好きで大切な人
月波結
第1話 「好きで大切な人」がふたり
好きな人がふたりいるのは、おかしなことだろうか?
「好きな人」と「大切な人」がいるのは、普通じゃないのだろうか?
わたし?
わたしには、「好きで大切な人」がふたりいる。さすがにこれはおかしいかもしれない。
「いってらっしゃい」
可燃ごみの収集のついでに、
「いつ見ても、高品さんの旦那さん、カッコイイわよねぇ。わたしも若ければ。うちの旦那なんてお風呂上がるとパンツ1枚でビールよ。親父」
わたしは曖昧に笑ってごまかす。
うちの旦那も、大して変わりはない。お風呂上がると、パンツにシャツとか、パンツにスゥェットパンツとか、わたしはそれ程気にしてないけど、ほかの奥様はこの話題がすきみたいだ。
「あ、洗濯機、止まったかも。失礼します」
話題の切れ目で逃げ出す。
社宅ではないんだけど、ここの奥様方は世間話がすきだ。
若い人はみんなそうだと思うけど、わたしにはそれは苦手だ。なので、さっさと逃げ出す。
部屋に帰ると、スマホの通知ランプが点滅している。「あ」と思う。
ここで、いつもためらう。スマホのロックを外せば内容が見えてしまう。でも外さなければ……。
『午後から空いてるんだけど、来る? ひとりだし、さみしい』
じっと文字を見る。念を送って相手の本意を見透かすように、見る。けど、そんなものは見えないので、抑えられないわたしは、
『いいよ』
と返事を打つ。
「
「学校」
「巧は行かなくていいの?」
「今日は1年生の実習。他の人が代わりに出るから。千寿もそのひとり」
ふうん……。
「
「え?」
「今日は黎、早かったりしない?」
「千寿ちゃんより、早くはないと思うよ」
「だよね」
ぱたん。
倒されるときの音は、やけに軽い。巧の体はあんなに大きいのに、どうして大きな音にならないのか、不思議になる。
目が合うから、キスをする。
十分、お互いにお互いの体に慣れているから、もうエッチというよりコミュニケーションだ。離れていた時間を埋めるように……。
ある雨の日、わたしは黎と喧嘩をして、同棲していた黎の部屋を飛び出した。傘も持たずにずぶ濡れになっていた迷子のわたしを、黎の友だちの巧が拾ってくれた。
正確に言うと、
「ケンカをしたなら、外は雨だからうちに寄る?」
と紳士的に誘ってくれた。
わたしはうなずいて彼の部屋でタオルを借りたけれど、そこからが迷路だった。
上手く隠していたけれど、巧はわたしをずっと好きで、わたしはもう黎のものだったけれど、巧の、黎とは違う美点を好きだった。
バカみたい、好きだった、なんて……。若い子の使う言葉だ。その雨の夜までは、口に出したことなどなかった。
「もうコーヒー、冷めたよね?」
「いい加減、冷めたでしょう? 大体、どれだけ布団に入ってたと思ってるんだよ」
「そうだよねぇ……。やっぱり、千寿ちゃん、布団一緒じゃかわいそうだから、次はホテルにしようよ」
「待ち合わせる時間がもったいないよ」
彼はわたしを抱きすくめると、わたしのシャンプーの匂いを確かめた。
「……やっぱり、黎のにおいだね」
「おかえりなさい」
「あれ、瑠宇、どうしたの?」
ソファでぐったりしてたわたしに、黎が声をかける。
「ああ、なんか腰のあたりがすごく痛くて。排卵痛かも」
「……」
何を思ったのか、スーツを着替えに行ってしまう。彼は片づけが苦手だけど、服は大切にする。
「夕飯、作るよ。何がいい?」
「……いいの?」
「たまにはいいでしょう? 結婚前は、ほとんどオレが作ってたじゃん」
「疲れてるのに、ありがとう……」
わたしの夫は優しい。たぶん、世界で一番優しい。そんな夫を裏切っているわたしは、世界で一番の大馬鹿者だ。地獄に落ちても仕方ない。
「ご飯の前に、してもいい?」
「うーん、腰は痛いけどいいよ」
「やさしくするから。……へたってても瑠宇はかわいい」
やさしくされてまたへたってると、酢豚と中華スープが出てきた。
「赤ちゃん、できないかな?」
「黎、すぐ欲しいの?」
「できてもいいかなーと思う。瑠宇と二人暮らしもいいけど、子供ができたら新しい世界があるかもって」
黎はいつも前向きで何事にも好奇心を持っている。
「そうだねぇ……」
お椀片手に、お箸が止まる。――巧とそのときには、本当にサヨナラだな、と思う。それが辛いかどうかは置いておいて、こんな話のときにそんなことを考えるわたしは最悪だ。
「排卵日だと思うし、試してみる?」
「いいの?」
「だってわたしたち、夫婦じゃん。何を今更」
「……つけないよ」
「つけたらできないよ」
食器を片づける。
シャワーを浴びていると、ひどい目眩がして、給湯器の呼び出しを押す。
「どうしたの? 瑠宇」
「なんか、目眩と耳鳴り……」
お風呂から引きずり出される。
「やっぱりもっと職場に近いとこに引っ越そうか?」
「……大丈夫だよ」
「だってもし、オレのいないときに」
ふと、巧の顔が目に浮かぶ。けど、それは心の迷い。いないときに何かあったら?……巧が来られるわけがない。わかんない、電話したらすぐ来そうで怖い。
「抱いて……」
「今日はゆっくりしたほうがいいよ」
「でも」
シングルベッド2台なんてやめればよかった。2つのベッドの距離がどんどん開いたら、どうしたらいいんだろう?
「子供はすぐじゃなくてもいいんだよ。瑠宇が大事。体弱いんだから、ゆっくり過ごしなよ」
「……そっちのベッドに行ってもいい?」
「いいよ」
ふたりとも欲しいなんて、やっぱりわたしはどうかしている。
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