第45話 仇

「戦え! 戦え!」


 死地へと踏み行った異界の軍勢を殲滅することはできなかった。総勢にしても人類の二倍はあろうかという数に対して、その力は個々の平均が人類の三倍の膂力をもっているとまで評されているのである。どれだけ優勢な地の利を得たとしても人類側の犠牲というのはとてつもなく大きなものになるはずだった。



「戦え!」


 さらに、異界の軍勢は途中で統率を乱した。本来であればそれは致命傷になりかねないほどの行動であったのだが、罠にかけて殲滅をもくろむアノーとリヒトの策略にとっては、無秩序という最悪の結果をもたらしてしまったのである。乱戦になれば、戦力が低いほうがやられる。


「もはや、これまでか」


 煙草を噛み潰して、アノーは天を仰ぎ見た。何かがあり、都が壊滅しかかっているという事は連絡を受けた。おそらく、帝は死に門も破壊されたと思われる。こんな事ができる者をアノーは知らなかったが、天が味方してくれたのだと思うとともに、帝の冥福を祈った。だが、自身たちもそれに追従しそうになっている。


「帝国軍が壊滅しかかっております」

「ああ、うちの軍もだな」


 異界の魔獣たちが乱れに乱れて兵に襲い掛かる光景を遠巻きみ見るしかなかった。その中で、親友リヒトの率いる魔獣大隊が突撃していくのさえ見える。彼は、全てを諦めたのだろうか。


「離脱する。異界の魔物たちがこの世界にはびこるようになったとして、国を作り立てこもることは可能だ」


 この量の魔物が世界にばらまかれたとして、繁殖でもしようものなら人類は絶滅するしかない。いくら魔物たちを統率していたと思われる存在が都の事故でいなくなったとしても、いや、統率がはずれた魔物たちの方が厄介だった。


「すまない、リヒト」


 親友が自暴自棄になったとは思いたくなかったが、彼の率いていた部隊が突撃した集団に飲み込まれようとしているのを見て、現実は悲惨だと思った。ならば、まだ自分はあがき続けるしかない。逃走用の馬を用意させ、最後にアノーはもう一度戦場を眺める。



「戦え!」



 しかし、先程から戦場には一種の狂気ともとれる言葉が連呼されていた。そして、それはアノーたちがいる反対側から光として近づいて来るようだった。


「戦え!」


「あれは、何だ?」

「分かりません、発光しているようですし、その周囲では激戦が繰り広げられているようです」


 アノーは目を凝らした。たしかに部下の報告の通りに光を発する者の周囲で多くの魔物が殺されているようである。そして、リヒトの率いる部隊はその集団へめがけて集まろうとしていた。いや、他の部隊もである。その光に応じないのは異界の魔物たちだけだった。


「時間がない。どちらにせよ人類は負けたんだ」


 馬に乗る。これから東にでも逃げるしかない。門が閉ざされた今となっては、ミルザーム国へむかっても魔物に出会うことも少ないだろう。そして西ではアノーに味方してくれる者は皆無だと思っていた。ミルザーム国の残党を集結させ、それで何ができるのかを見極めねばならない。



「逃げるのか?」


 馬を少しだけ進めて森の中へ入ろうとした時に、そう声をかけられた。


「逃げるのか?」


 アノーが答えないのをみて、その人物はもう一度聞いてきたのだ。


「無礼者! そこをどけ!」


 部下の一人がその人物に斬りかかる。見た所はソードマンだった。フードつきの外套を羽織っているために、風貌はあまり分からない。ミルザーム国の軍に支給されている軍服や刀を装着しているわけではなさそうである。だが、身のこなしがそれを物語っており、南紅流の達人でもある部下が斬りかかるのを見ると刀を抜きはらった。



「鬼人の舞」


 しかし、その人物は南紅流の達人の刀を受け流すと、一回転して首を刎ねてしまった。あの部下はミルザーム国の中でも達人であり、西星流のウラルですら互角以上に立ち会うことのできる猛者だったはずである。


「逃げるのか?」


 その人物はもう一度言った。


「私はミルザーム国の軍師アノーだ。軍は壊滅した。人類のために、再起を図ると言いたいところだが、貴殿の言うとおりに逃げるというのが正しいのだろう。だが、私は行かねばならない」


「なぜ……」


 男はフードを取り払った。しかし、その顔は見た事のないものだった。


「ミルザーム国の! 人類のためだ! この世界を異界の魔物に蹂躙させてはならない!」


 すでに、自分に対する言い訳にすらなっていないとアノーは感じていた。今まで、これほどまでに非論理的な主張を自分がしたことがあっただろうか。リヒトであったならば、もっと正々堂々とした事を言えたのだろう。だが、すでにアノーには引くに引けないほどの傷を心に背負っていた。


 情けないほどに狼狽している自分に驚きつつ、立ちはだかっている男が泣いているのにさらに狼狽した。


「何故、祖国のために、輩のために死んでくれと言ってくれなかった……」

「な、何の話だ?」

「……ラハドの町」


 最も痛い所を突かれた感触がした。アノーが苦悩し続ける原因となり、帝が心を壊した出来事のあった場所。その決定はたしかにアノーが行った。


「ダンか?」


 噂は聞いていた。鬼神ダン。リヒトの護衛になったというのも聞いている。賢者エイジの許へ使者として旅立ち、究極の召喚獣を探す旅の途中で消息を絶っていたはずだった。


「僕は……いや、いい。お前にも愛がなかった。それだけの事だ」


 その男はアノーではなく、戦場の発光した何かを見つめてそう言った。

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