第42話 骸

「返せ! 返せぇぇっ!」


 遠くへ消えていく黒い巨体へと向けて、ミルティーレアは絶叫した。すべては自分の力不足が招いたこと、そしてそれは自分の中の希望が断ち切られていくのに等しかった。

 腕の中には首から先を失った愛する人の亡骸があった。ミルティーレアは自分の体が愛する人物の血でまみれていくのを、暖かいと感じてしまった。


「ミ、ミルティーレア…………」


 体の半身を業火で焼かれても、アイリはなんとか命をつなげていた。その先には完全に意識を失ったラングウェイが横たわっている。彼が生きているかどうかを調べる術はなく、今は片足を失い血を流し続けているミルティーレアの止血が先決だとアイリは判断していた。彼女はそれでも希望そのものだった。



「コラッド……コラッド……」

 もはや誰が見ても明らかなコラッドの死。アイリの中で、あれはリザレクションでも元に戻すことはできないという事が否応なく理解できる。


「エリアヒール!!」


 自分もミルティーレアもラングウェイですらも癒す同時広範囲型治癒魔法。三人を同時に治す術がある事を師であるライルに感謝をする。その甲斐あってか、ミルティーレアの出血は止まり、ラングウェイのうめき声が後方から聞こえてきた。


 ミルティーレアが失った足を取り戻すためにはかなりの時間と継続的な治癒魔法が必要になる。この場で治すことはできなかった。ラングウェイが意識を取り戻したのならば、まずはこの場から離れる必要があるだろう。自分の火傷の具合はよく分からないが、追加で治療を行わなくても歩ける程度には回復したと判断してよかった。


「ミルティーレア」

「……なんでだ、なんで治らねえんだ」


 魔法を受けても、コラッドの体は何も変わらなかった。




 ダンと別れて西へと向かう途中で、その黒色の恐怖は飛んできた。見覚えのあるその形に、ほぼ全員が油断したその時にラングウェイが警告を発した。


 可能性を考えていたのはラングウェイだけだったのだろう。コラッドですら、その可能性は考えてすらいなかったようである。しかし、分かってしまえばこれほどに理解しやすいものはない。それで対応が遅れた。しかし、間に合っていたからと言って、結果が変わったとは思えない。


 賢者エイジは異界から来た異形のものだった。アイリも、他の者も自分の馬鹿さ加減を呪いたくなるほどだっただろう。

 奇襲に近い形で業火が己の身が立っていた場所を焼き尽くした時に盾となったのはコラッドの召喚した召喚獣たちだった。二匹のベヒーモスは焼けただれ、即座に光の粒子となって消えて行ってしまった。その余波でがアイリの半身を焼いた。転げまわる間の視界の端に、ミルティーレアがフェニックスを召喚するのが映り、ラングウェイが特大の爆炎魔法を放っていた。


 しかし、賢者エイジは少しだけ動きにくそうにしただけで、ラングウェイの魔法を翼を使ってかき消すと、そのままラングウェイを吹き飛ばした。吹き飛ばされたラングウェイは起き上がることはなかった。


 その挙動を見て、しかし確実にフェニックスは賢者エイジという竜の動きを抑制していることが見てとれた。賢者エイジは咆哮を上げると、コラッドへと肉薄した。


 その爪で組み敷かれたコラッドが最後に何と言ったのか、アイリには聞こえなかった。そして、次の瞬間に、エイジはその爪を少しだけ動かし、コラッドの頭部は胴体から離別することになったのである。



 ミルティーレアが絶叫し斬りかかったが、大盾ごと踏みつぶされてしまった。地面と大盾に挟まれて、ミルティーレアの左足は切断され、出血がコラッドのそれに混ざり合った。


 賢者エイジという竜は、何も言わずにコラッドの頭部を爪に引っ掛けると飛び去った。ミルティーレアはそれに向かって叫び続け、這い、コラッドの遺体を抱き上げた。



「私に力が……、力があったならば!」


 泣きながら、ミルティーレアは叫ぶのをやめようとはしなかった。ラングウェイは何も言わず、アイリははかつての師を想い空を見上げることしかできなかった。



 ***


 賢しげにコラッドの頭部を僕に突き出し、エイジは何かを言った。心の壊れた僕はその意味をすぐには理解出来なかったが、壊れていなくても理解に時間がかかったに違いない。



「エイジ、お前は愛を知らない」


 僕は刀を構えた。黒竜王エイジが次に発した言葉は、粉々に砕かれたはずの心をまた一つへと戻した。仲間に対する愛を失いかけた僕は他の愛で再び救われたのだ。


 彼は、コラッドは死に恐怖した人間だった。一度は挫折し、死から最も遠くに身を置くことを望んだ人間だった。彼のその心情を僕は理解することはできない。そして彼をそのような感情に突き落とした僕に理解する権利はない。

 だが、コラッドはそんな僕と酒を酌み交わすのを望んだ。こんな僕に対して、体を震わせながらだ。僕は彼を仲間だと思い、彼はそれに応えてくれた。これ以上の仲間はいないというほどに、彼は僕を含めた仲間たちをまとめてくれた。


 彼は、命を代償に僕らを愛してくれた。ならば、僕も命にかえても愛そうではないか。ただし、その命は僕ではなく目の前の愛を知らない愚者のものである。



「何がおかしい?」

「お前でも、知らないことがあるのが分かった。そして愛に破れて散り、賢くなればいい」



 手にした刀は、全てを切り裂く。僕にはそれが分かった。

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