第39話 笑

 さらに多くの魔獣たちが「門」からこの世界へと侵入してくる。

 その数は帝国へ攻め入った時の倍ほどはあり、ミルザーム国の作戦参謀の一人は異界の勢力というのが無尽蔵なのではないかという思いに駆られざるを得なかった。


「行ケ」


 ミオルの長の命令で西へと向かうその軍勢を見て、帝国の命運はもはや風前の灯と言ってもよく、そしてそれは人類の終焉を現わすものだとも思う。もはや帝が正気を取り戻したとしてもミルザーム国軍が異界の軍勢を押し返すことはできないほどの量がすでに「門」から解き放たれてしまった。

 ここに残るのは少数のみのソードマンだけである。これほどの軍勢が都から繰り出されているというだけでも帝の身の安全が気になって仕方がないというのに、その帝は輩たちの心配をよそに、異界からやってきた者共を信用してしまっているようだった。


 その「門」の門番というのはかつての輩であるウラルであるという。その隆起しいびつな両肩から生える腕はもはや人間のそれではなく、持つ刀は刀と呼べるかどうか疑問を呈するほどに巨大であった。ウラルももとは帝の身を案じていたはずである。だが、そのウラルの心に今や帝の事は少しでもあるのだろうか。

 もともとの門番はかなりの強さを誇る魔獣であった。だが、ウラルはその魔獣を退け、「門」の前で誰かを待ち続けている。その光景は何とも形容しがたかった。見とれていたのか、他の何かの感情を押し殺していたのか、どちらにしても視界にウラルを入れ続けていたために何かが近寄ったのが分からなかった。


「力、ガ欲シイか?」


 いつの間にか傍にやってきていたミオルが呟いた。慌てて振り返る。何故、自分が慌てたのかも分からず、焦りが落ち着く事もなかった。

 輩の多くが自死を選ぼうとする中、ミオルたちは狂喜に満ちた動きでその輩たちに寄生した。生きている輩には寄生できないのではないかとも思っていたが、弱っていた輩はあっけなくその体を乗っ取られた。そのために多くの輩が自死するのを躊躇し、結局は生きる目的を失ったままに、他のものはわずかな望みに賭けてアノーに率いられて西で帝国と戦っている。


「我ガ眷属ニ勝テバ、力ガ手ニ入ル」

 

 何を言っているのだろうか。以前であったならば笑い飛ばしただろう。そして人間を辞めるというのも許せなかったに違いない。だが、ウラルという輩の前例は確実にその誘惑への障壁を崩しかけていた。別に、それほど悪い事でもないのではないだろうか。自分ならばミオルの寄生には負けず、そしてウラルのように信じられないほどの力が手に入る。そう考える者たちが出てこないはずがなかった。それほどにウラルの力は格別だった。


「サア」


 まだ誰にも寄生していないミオルというのは弱々しい存在だった。こんなものに負けるはずがないという考えが、人を辞めるかもしれないという恐怖に対抗する。そして力さえ手に入れば、今自分が感じている忸怩たるこの想いをなんとかすることができるかもしれない。


 手を伸ばしそうになり、引っ込める。だが、その時にはミオルの方から頭に覆いかぶさってきていた。





 若い作戦参謀がミオルを振り払おうと必死になったが、徐々に侵食されていくその感触に恐怖で発狂しそうになっていた。


「コレモダメカ」


 眷属を増やしたミオルの長は言う。欲しかったのは眷属ではなく、ウラルのような存在であった。だが、そうそう欲しいものは手に入らないという事もミオルの長は知っている。


 眼下には軍勢がいた。西へと向かわせた。それによって帝国の軍勢はなす術がないだろう。異界の魔獣のみを集めていた部隊が壊滅したようだが、そんな事は些細な事だった。壊れれば補充すればよいだけである。


 だが、こんな事では異界の王には手が届かない。



 ***



 ミオルの長は、何度か繰り返したのちに、ミオルの寄生に抵抗できるものを見出した。ウラルほどではないが、かなりの力を持ったソードマンが出来上がる。それらは、やはりというべきか異界のものたちへの憎悪で溢れていた。ウラルとは感情が違うのである。


「取リ押サエテ置ケ」


 ひとまず、こいつらは猛獣だ。檻に入れて、決まった場所で放してやればいい。そうすれば、その時に目の前にいた者たちに噛みつくだろう。


 計画が着々と進行しているのをミオルの長は感じ、「門」を閉じた。門番はそのことには全く興味を持たない。これ以上、異界の軍勢をこちらの世界にいれるわけにはいかない理由がミオルの長にはあった。今の、このくらいの量がちょうどいい。「門」は事を為したあとに開きなおせばよいのだ。


 王が降臨するのはもう少し後だろう。その時に猛獣たちを解き放つ。軍勢が多ければその妨げになるかもしれない。やつらが王を憎むように仕向ける必要があるだろうが、それはほんの少しの努力で事足りる。


 人に寄生してから、ミオルの長は笑うということを覚えた。これが喜悦の感情で、それを表現するためには笑えばいい。その歪んだ笑いが周囲の者を露聊も幸福な気分にしないであろう事など気にも留めていない。




 それから数日後、ウラルが待ち続けた侵入者たちが「門」へと近づいた。歓喜の叫びを侵入者たちが聞いた時、刀が鈍く光りを反射した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る