治癒師 アイリ

第17話 才

 禁忌の術というのは存在する。それは世界の均衡をも覆しかねないものだ。


 誰しもが思うのが死に対する恐怖と不安である。

 それが自分のものであれ、大切な他者のものであったとしてもその恐怖と不安と同居するということが生きるという事なのかもしれない。


 では、その死を覆すことのできる術が存在したらどうなるのだろうか。



「死者蘇生というのは定義によって異なるのです。もう一度話したいという希望を叶えることの何がいけないのですか」

「お前のそれは死者に対する冒涜だ」


 私の技術が、世の人のためではなく、自分の欲望のためであったと気づかせたのは弟子の一人だった。あらゆる回復魔法と補助魔法を極めた私が治癒師としての名声を謳歌したのは単純に自己顕示欲を満たすだけのものだったのだろう。

 先人の掟というのが私には煩わしかった。その理由も理解できない未熟者だった私が、回復魔法の技術だけで自分が先人たちを越えたと勘違いし、猛進していたのに気づくには遅すぎたのだ。


「師匠、貴方は偉大な方だ。これは貴方の教えです」

「違う!」

「何が違うんです? 貴方は世の人のために技術を磨き、それを弟子である私が受け継ぎました。これで救われる人がいるんです!」


 自分を見ているようだった。そして、世の人のためという大義名分を持った自分は踏み入れてはならないと言われていた道に足を踏み入れたのだ。禁忌の意味を分かっていなかった。


「師匠、私は貴方の名を歴史に刻みたい」

「それはお前の傲慢な考えでしかない。そして、私はたった今、自分が歩んできた道が間違いだったと気づいた。頼むから戻ってきてくれ」

「無理です。貴方の技術は受け継ぎました。貴方は偉大な治癒師の師として歴史に名を刻むのです」



 ネクロマンサーと呼ばれる死者を冒涜し、死体を動かす者が現れたのはそれからすぐの事で、ラバナスタン帝国でも類を見ない犯罪の歴史に名を連ねることになった。

 辺境の共同墓地から蘇るアンデッドと呼ばれる魔物はもともと人間だったものたちである。それの討伐のためにナイトたちが派遣されたのだが首謀者は分からずじまいだった。

 その後、帝国のあちこちで墓地が荒らされ、アンデッド化した住民が町を襲うという事件が相次いだ。


 私には犯人が分かっていた。だが、どうしてもそれを指摘することができなかった。

 帝国の中でも随一といわれる治癒師の私の、一番弟子がそのような犯罪を犯したということを知られたくなかったのである。私は弱い人間だった。

 そのうち、私は引退することにした。


 五十路を過ぎ、妻も子供もおらず、寂しくも死んでいくのが私にはお似合いなのだろう。歩んできた道全てが空虚に見えた。



 ***



 ラバナスタン帝国旧オーキド国領にある私の実家はさびれていた。それもそのはずである。旧オーキド王国が帝国に滅ぼされてからすでに三十年が過ぎていた。若かりし頃に王国が亡ぶのを目の当たりにし、その際の死傷者の数に愕然とし、助けなければという思いが私を治癒師として覚醒させたと思っていた。

 もともと才能はあったのだろう。メキメキと回復魔法の技術は上がっていき、王国の者だろうが帝国の者だろうが負傷者は片端から治癒させるその姿勢が、他者に大きく評価された。


 実家の周りの人々は私のことなど当の昔に忘れていると思っていた。だが、そんな中でも知り合いというのは残っており、私が帝国の治癒師統括を引退して帰ってきたのを歓迎してくれた。

「ライル、お前はこの町の英雄なんだぞ」


 幼馴染はそう言った。だが、以前はそれを聞きたくて邁進していたはずの私にはその言葉が届かないのを実感した。




 ネクロマンサーが捕らえられ、その場で殺されたという報せが帝国中を安堵させた。

 弟子はその名すら知らされずにこの世を去った。

 私の人生はそれによって完全に意味をなさないものとなり果てた。他の弟子たちはいまだに帝国の各地でその技量を振るっているが、私が教えなくとも彼らは成長していったことだろう。たまたま教官としてついたのが私であった程度の関係だった。


 全てを受け継がせたかった。魔法の技量は私にも比肩するほどのものだった。知識を注いだ。そして、結果がそれだった。



 そんな生きる意味を見いだせない治癒師のいる診療所が流行るわけがなかった。

 ここには重症なものはほとんど来ない。回復魔法も、高度なものはまったく必要なかった。そもそも、この三十年で平和な町となっていたのだ。衛兵の数も驚くほどに少ない。


 元からある診療所があった。町の人間はほとんどがそちらへと通っている。たまたま、重症なものがいて、その診療所の治癒師から頼まれることはあっても私を好んで診療所へきてくれる者は少ない。


 生きる意味はない。このまま死を迎えるのもいい。

 自然と診療時間が少なくなる。朝は遅く開き、夕は早く閉めた。これが、私の人生だ。




「貴方、回復魔法が使えるんでしょ?」

 診療所の庭は荒れ放題だった。私のようだなと、誰も来ないのをいい事に庭の手入れをしている時に彼女は現れた。長い黒髪の、小さな女性だ。年は二十代かもしかしたらもっと若いかもしれない。


「ああ、こう見えても……」

 いや、過去の栄光を誇ったところで今の私には意味がない。苦笑いしだした私をこの年若い女性は気持ち悪がるかもしれないが、それも仕方ない。それよりも相談事でもあるのだろうかと私は彼女を見据えた。


「私の才能はどう?」


 彼女は急に右手をかざして回復魔法を唱えた。



 あたたかな、それでいて力強い光だった。

 生きる意味を失っていた私にすら、戦慄させるほどに美しい魔力の流れだった。


「才能があるんじゃないかと思うのよ。昨日初めて覚えたのだけれども」

「は?」


 思考が追い付かない。この女性は何を言っているのだろうか。その回復魔法は熟練のそれだった。私や一番弟子ほどではないが、一般的な治癒師ではここまで達しないだろう。特にこの町の治癒師などには無理だ。だが、彼女はそれを覚えたのが昨日だと言った。


「私を弟子にしない? 貴方、帝国でも有名な治癒師だったんでしょ?」

「……悪いが、弟子はもう取らないと決めたんだ」

「じゃあ、弟子じゃなくてもいいから回復魔法の使い方を教えてよ」


 なんて強引なんだと思った。だが、彼女の才能は明らかに今まで見てきた誰よりも上だった。それこそ、生きる意味が見いだせないほどに情熱がなかった私に嫉妬の炎を再燃させるほどの才能だ。



 彼女は強引に私の診療所へ通うようになった。聞けばまだ19歳なのだという。両親に結婚を勧められているが全て断っているとか、将来なりたいものがなかったけど一般的な家庭に埋もれるのだけは嫌だとか、私には今まで縁のなかった年頃の女性の話を聞かせてくれた。


「ねえ、貴方はなんでそんな顔をしているの?」

 やる事もなく、ただ私に回復魔法のやり方を聞くばかりの彼女がそんな事を言い出したのは数日後である。その頃には彼女の回復魔法はかなりの領域にまで昇華されていた。私は彼女の成長に、かつての情熱を思い出させられ、そして気が緩んでいたのか、弟子の話をしてしまった。



 全てを聞き終わった彼女は私を見て言った。

「貴方の人生は貴方のものよ、彼の人生は彼のものよ」

「私は彼の師匠だったんだ。私の全てを受け継がせるつもりだった。だけど、彼はそれを持って、禁忌の道へと踏み出した……」

「ふん、くだらないわ」

 怒りすら沸かずに驚く私に向かって彼女は続けた。



「貴方の人生に意味がなかったって? そんな事はさせないわ。私に教えれば貴方は歴史に名を刻むことになるでしょう。偉大な治癒師の師として。貴方のために塗り替えてあげるわ。そんな出来損ないのことなんて、誰もが忘れてしまうほどに」



 三十歳の歳の差があったにも関わらず、彼女には勝てないのではないかと私は思ってしまった。今まで、どんな人生を歩めばそんな事が言えるのだろうか。私には言えない。だが、彼女が言った言葉は私を救ったのだろう。


 治癒師ライルとは帝国治癒師統括にして彼の前では生きていれば助かるとまで言われたほどの男である。今までどんな状況でも狼狽しなかったはずの私が、狼狽した。



「弟子はとらないつもりだったんだがな」

 私の中に一つの感情が芽生えた。だが、この想いは死が迎えにくるその時まで隠そうと思う。私にその権利はないし、それに彼女の、いやアイリのためにならない。



 生涯をかけてアイリのために生きて行こうと決めた。

 彼女は私などには及びつかないほど、歴史に名を刻む治癒師になるという予感があったがそんなことはどうでも良かった。



 こんな小娘に惚れるとは。この人生は意外と悪くないのかもしれない。


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