第3話 龍の墓場

 鬱蒼とした昼なお暗い森の中を、今にも疲労から座り込んでしまいそうになるのを必死で我慢し、立ち止まる事なく必死で走る。


 足に力が入らない。

 心臓が破裂しそうだ。

 人の手の入っていない原初の森は、幼い子供の足には過酷だった。

 しかも、目的を持って鍛えていたとはいえ、長い間、狭い地下室で暮らしていた僕の体力は限界だった。


「はぁ、はぁ、はぁ、くそっ! 異端者は普通に生きる事も許されないのかよ!」


 昼でも暗い不気味な森の中を、時折闇属性移動魔法シャドウトランスファーを使い、影の中を移動しながら走る。

 探知用に張り巡らした土蜘蛛の糸で、ボーナム家の騎士達が追っ手として森の外縁部を隈なく探しているのが分かる。


 こんな所で捕まってたまるか。

 あんな奴の経験値になんて、なってやるもんか!





 あとで冷静になって気が付いた事だけど、僕が足を踏み入れた森は、この大陸に唯一存在する、決して足を踏み入れてはいけない禁忌の地だった。アンタッチャブルな領域、その名を「龍の墓場」と呼ばれていた。

 何故そう呼ばれているのか。それは、この森の奥には、この世界でもっとも神に近い存在、この世界で最強の存在と言われている龍。その龍種の墓場が在ると言われているからだ。

 だけど誰も森の奥まで行って確かめた事はない。何故ならこの森は、奥に進むに連れ強力な魔物が跳梁跋扈する魔窟となるから。

 永い大陸の歴史の中で、奇矯にも森の奥に足を踏み入れた勇気ある英雄達は数多く居た、ある者は国王の命で、ある者は自身の栄達の為に、だけどこの森に挑んだ英雄達は誰一人として帰って来た者は居なかった。

 故に、今となっては、決して誰も足を踏み入れてはいけないアンタッチャブルな領域と認識されている。

 そんな事も気付けない程一杯一杯だった僕は、ただ魔物に遭遇しないように気を付けながら森を走る。もしこの森の事を思い出していたら、このルートでの逃走は考えなかったと思う。そして僕に影に潜み影の中を移動する闇属性魔法がなければ、とうに生きてはいなかっただろうと思う。そしてこの森に入らなければ、僕はあの後生きていけなかっただろう。




 心臓が破裂しそうだ。息が苦しい。幾ら精神が多少成熟していても、7歳の幼い子供の体力なんてしれている。辛いものを多少我慢は出来ても、普通の7歳の子供と比べても誤差の範囲だ。へたり込んで休みたくなるのを我慢して、一歩でも先へと足を前に運ぶ。

 闇そのものの様に暗い森は、それだけで僕に恐怖心を与える。いくら暗い地下室で暮らしていた僕でも、この森の暗さは恐怖を呼び起こす。僕は闇属性魔法で気配を消して、魔物に見つからない様森の奥を目指す。この森を抜ければバルディア王国へ行ける筈だから。





 屋敷で待機していたジョブズのもとに、ガチャガチャと音を立て、フルプレートメイルに身を包んだ騎士が報告に訪れる。


「閣下、次男様の足跡が龍の墓場へと続いているのを発見しました。現在、森の外縁部を隈なく探索しております」

「チッ、よりにもよって龍の墓場に足を踏み入れるとは、何処まで儂の手を煩わせるのだ!」


 部下の報告に、不機嫌になるジョブズ。それもそうだろう。龍の墓場という場所は、例え帝国軍全軍をもっても踏破できない、いや、足を踏み入れるべきではない禁忌の地なのだから。その所為で、バルディア王国との戦争では、森を大きく迂回するルートを進軍する必要がある為、大陸南西部への侵攻が進まない原因の一つになっていた。


「シグフリートも龍の墓場を知らん訳ではない。そう森の奥へは行けないだろう。徹底的に探索しろ! 生死は問わん!」

「はっ!」


 敬礼して部屋を出て行く部下の姿を苦々しく見るジョブズのもとに、嫡男のバンガと三男のワポルがやって来た。

 軍務を司る騎士の家系なのに、バンガとワポルの体型は、ぽっちゃりとして顎にも肉が余っている。


「父上、シグフリートの奴、まだ見つからないのですか?」

「うむ、彼奴は龍の墓場へ逃げ込んだらしい」

「なっ! 龍の墓場ですか!?」


 シグフリートと同じ年齢のワポルが絶句し、驚きの声を上げる。それも当然だろう。なまじ領地が接しているだけに、森の怖さをボーナム家は当主から家人まで、嫌という程知っていた。


「まあ、ほっといても命はないだろうが、確実に死んだのか確認は必要だからな」

「はぁ、何処までも迷惑をかけますね。魔物に喰われるくらいなら、僕の経験値になった方が有益だというのに」


 バンガにとって腹違いの弟シグフリートは妬みの対象だった。

 同じ父親の血を引く弟だというのに、その容姿は血の繋がりを疑いたくなる程だった。

 父のジョブズの要素がまるで感じない、母のミューズの美しさを、そのまま受け継いだシグフリートに対し、バンガとワポルの容姿は父ジョブズによく似ている。

 ジョブズにしても自分と一つも似ていないシグフリートに対し、親子の情は薄かった。いや、情など一欠片も持ち合わせてはいなかった。


 結局、その日シグフリートは見つかる事はなかった。

 次の日から探索範囲を広げ、十日間の捜索を行ったが、シグフリートの姿どころか痕跡すら捕らえる事は出来ないまま探索は打ち切られる。

 魔物の腹の中までは確認出来ないという理由で……





「ダークランス!」


 気配を消して近づき闇属性魔法ダークランスを放つ。

 体長3メートルを超える巨大な虎に似た魔物の喉に漆黒の槍が突き刺さり、声を上げる事を許さず葬り去った。


「ぐっ……」


 魔物が息絶えた瞬間、僕の身体中が燃えるように熱くなる。

 これが階位が上がるって事なんだ。

 身体の熱さが治ると、明らかに身体能力と魔力量が上昇した事が分かる。


「ははっ、レベルアップって凄いな」


 あれから僕は、夜になると蜘蛛の糸で木の上に登り、身体を木に括り付けて生み出した影に潜んで眠り、朝になると気配を消して魔物を避けながら森を抜ける為に進む。眠る間も影に隠れるだけじゃなく、魔力で出来た蜘蛛の糸を周囲へ放射状に張り巡らせ、魔物が近付くのを警戒していた。それくらいこの森はヤバかった。


 森を進む途中、どうしても避けれない魔物を何度か斃して、階位が上がる感覚にも慣れて来た。

 僕はレベルアップする度に、身体能力や魔力や魔力の保有量が爆発的に上昇しているのを自覚していた。それは右手の『土蜘蛛』が身体能力を大幅に上昇させ、僅かに魔力も上昇させていると同時に、左手の『ウロボロス』は魔力を大きく成長させると共に、身体能力も僅かに上昇させているからだろう。自身の神印と向きあう事で、それを理解する事が出来た。

 実際、土蜘蛛の神印一つとっても、戦士向き神印だと言われている獅子や狼に比べても、その身体能力の上昇幅は、比べ物にならないくらい、遥かに大きいと後になって知る事になる。


 森に入って何日目だっただろう? あきらかに周りの空気が変わった気がした。



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