第2話 脱出
5歳の冬の日、突然の母さまの死を切っ掛けに目覚めたウロボロスの神印の力。
回復魔法や浄化魔法に代表される聖属性の力を把握するのはイメージし易かったので簡単だったが、闇属性の力を理解するには少し時間が掛かった。
闇属性……これは聖属性以上にトリッキーで、扱いに困る力を秘めていた。
その代表格が、死霊を操るネクロマンサーの力。他にも、影を操り、影に潜み、闇に溶け込む魔法。攻撃魔法、精神に作用する魔法、呪い、幻影。なんだか、正義の味方って感じじゃないな。
「死霊魔術なんて、完全に悪役だな」
闇属性で生み出し操れるのは、死体や骨を素材にしたゾンビやグール、スケルトンや、無機物に霊を取り憑かせたディラハンにリビングアーマーやリッチなどだ。
でもゾンビやグールは嫌だな。腐って臭そうだ。
そして闇属性魔法の中で、僕が一番有り難かったのは、ダークホールという収納魔法だった。空間に出現させた影の中に、様々なモノを収納できる便利な魔法。収納出来る容量は術者の魔力に比例する。この魔法のお陰で、母さまが遺してくれた思い出の物を誰にも盗られずに済んだ。
それにウロボロスは、聖と闇の属性を持つだけの神印じゃない。死と再生、破壊と創造、陰と陽、相反する両極の力を秘めていた。
破壊……物質から事象まで、魔法や呪いすら壊す力。
創造……自分が思い描く物を創り出す力。
もう本当に、これは神印なのかと疑いたくなる破格の力だった。寧ろ、これは人には与えてはいけない類いの危険な力だと言えた。
そして、僕の身に宿るもう一つ、奴等が馬鹿にして蔑んだ、僕が生まれた時からある、右手に刻まれた蜘蛛の神印は、実はただの蜘蛛の刻印じゃない。
これは《土蜘蛛》と呼ばれる異世界の幻獣(僕の中の記憶では#妖__アヤカシ__#と呼ぶモノらしい)の神印だった。
その能力は、身体能力の強化一つ取っても、父の獅子や兄の熊などよりも遥かに強力な神印だ。もっとも子供の僕では強化されても知れているけど。そして能力は身体能力の上昇だけではなく、魔力を使って生み出した蜘蛛の糸を操りる事も、毒を操る事も出来る強力な神印だった。母さまが秘密にするのも納得できる。
それに加え、土蜘蛛の神印は特定の土属性の魔法が使える。
僕は、ウロボロスと土蜘蛛という二つの反則級の神印を身に宿している事になる。
「隠し通さないと……ここを出て、自由になるまでは」
幼い子供らしからぬ知識や精神を持った僕を、怖がらず何時も無償の愛をくれた優しい母さまを思い出すと、声を上げて泣きだしそうになる。怒りで何もかも壊したくなる。だけど僕は、必死になって泣くのを我慢する。暴れだしたくなる気持ちを抑え込む。僕が涙を見せると彼奴らは喜び笑うから……
◇
ズキズキと痛む身体を、下働きの男にゴミの様に引き摺られ、地下室へ放り込まれると、男爵家の下働きの男が部屋の鍵をかけ去って行く。
「つっ、痛てて。バンガとワポルの奴、容赦ないな……ちくしょう」
今日も今日とて、剣の訓練という名の虐待を受け、ボロボロに痛めつけられた全身の痛みに耐えながら、何時もの硬い寝台に辿り着く。
一応僕にも木剣が渡されるけど、バンガ達の木剣を防ぐ以外は攻撃など許されない。お陰で、木剣で打ち付けられてもダメージが少ないように調整する術を身に付けてしまった。
それに、土蜘蛛の神印による身体能力の強化は、父や兄の獅子や熊の神印の比ではないくらい大きい事も分かっている。今なら、その気になればバンガとワポルなんて簡単にやっつける事ができると思う。その並外れた身体能力のお陰もあって、僕はこれまで大きな怪我を負う事なくやってこれたんだと思う。
だけどあれだけボロボロにしておいて、僕の頑丈さを不審に思わないのかな。明らかに普通の子供の耐久力じゃ説明がつかないと思うんだけど……
硬い板にボロボロのシーツ敷いただけの寝台に寝そべり、意識を僕が使役している蜘蛛のアンデッドに移す。虫のアンデッドを使役する時、何故か蜘蛛の死骸が一番しっくりとくる。僕は、その蜘蛛のアンデッドを屋敷の何ヶ所かに配置してある。情報収集の為だったけど、頻繁に僕を蔑む男爵家の奴等には怒りを通り越して呆れる程だ。誰かを下に見ていたいのかな。
優しい母さまが死んで2年が経った。
この2年、僕への扱いは酷くなるばかりで、直接間接問わず虐待を受けていた。それでも僕は、狭い地下室の中で不味いメシを無理矢理詰め込み、身体を鍛え、魔力の制御能力に磨きをかけていた。
そしてウロボロスの神印の力の一つ、闇属性魔法で造ったアンデッドの蜘蛛を通し、騎士達の訓練を覗き見て、見取り稽古をしていた。手に持つのは土属性魔法で作り上げた剣。
狭い地下室の中で、基本の型をひたすら繰り返し身体に覚えさせる。
そんな日々を過ごしていたある日の事、僕の人生が動きだす。
ある時、父の執務室に配置してあるアンデッドの蜘蛛に意識を向けていると、父と兄の話す声が聞こえてきた。
『父上、何時まで出来損ないを飼っているのですか? そろそろ私の経験値にしたいのですが』
『ふむ、見た目は美しい女だったが、反抗的な奴の母も死んだ事だしな。……そろそろバンガの経験値とするのも悪くない』
『あの女の様に毒でも盛りますか?』
『相手は7歳の子供相手だ、騎士らしく剣で始末すれば良い。しかしミューズも死なせるには惜しい女だった』
『見た目だけは美しい女でしたからね。彼奴もあの女に似て、見た目は良いので高く売れるでしょうが、閣下の手前、戦争の報酬として受け取ったモノを売ることは出来ませんからね。ならばその命、私の経験値にでもなって貰わないと……』
「うむ、毒殺でも経験値は稼げるからの」
アンデッドの蜘蛛を通して偶然聞こえてきた父ジョブズと兄バンガの会話。信じられなくて頭が真っ白になる。
「毒を、毒を盛っただと……」
経験値については母さまから聞いて知っている。
この世界では、あらゆる経験を積むと、階位が上がり能力値が上昇する。一般的に魔物を討伐した時に多くの経験値を得られると言われているが、それは人間同士の戦闘でも当て嵌まる。
一般の成人の村人ならレベル8~12程度。
戦士職ならレベル15~25、騎士団長クラスならレベル30~40。
レベルが上昇すると、身体能力や魔力のが上昇するだけじゃなく、寿命も延びると言われている。
「は、はは、バンガの経験値の為に、奴等は母さまを毒殺したのか……」
母さまが亡くなってから、酷くなっていく家族や使用人達からの嫌がらせや虐待にも耐えてきた。強力な神印を持っていたとしても、まだまだ僕は幼い子供だったから。
でも、もう我慢の限界だ。
「絶対バンガの経験値になんてなってやるもんか」
母さまが死んでからのこの2年、僕を取り巻く環境はさらに悪化していた。
剣の訓練と称してはバンガのサンドバッグになる毎日。折れた骨や内臓にまで与えられたダメージを、こっそりとウロボロスの力で治したのも一度や二度じゃない。必死になって生きて来た。それはバンガなんかの経験値になる為じゃない。
母さまが僕の幸せを願っていたから。
僕はウロボロスの神印に魔力を流し、回復魔法を発動、全身の痛みがスッとなくなる。更に闇属性魔法を発動、地下室の地面に黒い穴を出現させる。
闇属性魔法「シャドウトランスファー」。魔法で創り出した影の中を移動する魔法を発動する。僕にはまだ長距離の移動は出来ないが、この腐った場所から逃げるには十分だった。
僕は戸惑う事なく地面に現れた黒い影に飛び込む。
待っていろ。
僕は必ず戻って来る。
母さまを殺したお前達を赦しはしない。
◇
ジョブズの執務室にシグフリートの世話係が慌てて駆け込んで来た。
世話係とは言っても、一日に一度粗末な食事を与えるだけの楽な仕事だったのだが。
「旦那様! 次男様が地下室から消えています!」
「なに! 鍵を掛けていなかったのか!」
「ひっ! い、いえ、鍵は掛かったままです!」
「父上、追手を出して処分しましょう。こんな事が知られるとボーナム家の名に傷が付きます」
「うむ、所詮7歳の子供だ。そんなに遠くまでは行っていないだろう。直ぐに追わせろ」
バンガと使用人が部屋から出て行った後、ジョブズは深く椅子に座り直す。
「忌々しいガキめ。蜘蛛などという呪われた神印を宿したばかりか、今まで養ってやった恩も忘れて逃げ出すとは。その命をボーナム家の為に使ってやろうと言うに」
苦々しく吐き棄てるジョブズ。
ジョブズはシグフリートを我が子だと思った事など一度もない。戦争で滅ぼした少数部族の女を戦利品とし、その結果生まれただけだ。シグフリートにボーナムの名前を名乗らせる気などサラサラなかった。
親子共に、嫡男のバンガの経験値にでもなれば良いと飼っていただけだった。
ジョブズはその後知る事になる。
その身に神の如き力を宿したバケモノに、これ以上ない程の高値で恨みを買ってしまったことを。
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