オモテ男子とウラ彼女

葉之和駆刃

第1章 異世界

プロローグ

 「人間は、生まれながらにして平等である」――――――――――。



 これは、世界人権宣言第一条に記された言葉である。


『すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ尊厳と権利とについて平等である』


 これは見ての通り、人にはそれぞれ自由に生きる権利が与えられているというものだ。

 しかし、それは恋愛においても言えることなのだろうか。いや、そうではない。確かに、顔が良ければモテやすいと世間一般的には言われているが、中には例外も存在する。そう、これから話す主人公のように……。


 彼は、青春時代を暗がりの中で過ごした。自分に自信が持てず、わざと目立たないようにして生きてきたのだ。そのせいか、他人から声をかけられることはほとんどなかった。それでも、彼に恋愛感情が全然無かったと言われれば、それは違う。何度も、自分の殻を破ろうと試みたが、それは悉く失敗に終わった。

 人は、生まれながらにして平等であるはずがない。彼は、これまでの経験からそう思い続けてきた。自分に待っているのは、荒れ果てた何もない、くすんだ未来だけだと……。







 桜が散った。四月の太陽が、雲間から差し込む。冬の寒波が過ぎ去り、春風が妙に心地良かった。とある大学のキャンパス内では、昼休みに学生たちが楽しそうに会話している。今年、入学したばかりの一回生は、淡い期待を胸に今日を過ごしていた。その一方では、建物の屋上で溜息をついている一人の男子学生がいた。


 真宮さなみや希望ひかる、十九歳。ヒカルは、今年で二回生になった。

 彼は入学時、ある目標を立てた。それは、二十歳になるまでに彼女を作ること。しかし気がつけば、現状は変わらず、一つ年を食っているだけだった。それどころか、状況は悪くなる一方で、同じ学科の女子とも仲良くなるのはおろか、授業内での発表以外の時間は、ほとんど会話したことすらない。


 ヒカルは昔から、自ら他人に話しかけるのが苦手だった。高校の時も、一人椅子に座って読書していることが多かった。

 目立つことを恐れ、そうしていたのかもしれない。それは時として、目立つこと以上に彼に苦痛を与え続けていたのだ。


 何気に下を見ると、男女が仲良く向かい合わせに座り、昼食をとっているのが見える。一部の人間から、それらは「リア充」と呼ばれている。誰でも一度は耳にしたことがあるだろうが、ざっくり説明すると、それは「現実リアルが充実している人」のことを指す。


 一方、その反対語に「非リア充(略して非リア)」という言葉がある。意味も、先に書いた言葉の逆となる。しかし、一つ勘違いしてはいけない。それらはただ生活が充実しているのではなく、一般的に恋人がいるかいないかを表している。


 ヒカルはそれを見て、「ふぅ」と溜息をつき、屋上から去った。


 階段を降り、次の講義がある教室へと向かう。ヒカルはその途中、またしてもリア充を見かけた。カップル二人が仲睦まじそうに、寄り添い合うようにして前を歩いている。ヒカルはそんなイチャイチャを見ていると、自然と虫唾が走る。


(通行の邪魔だよ……、消えろ)


 ヒカルは心の中で呟くと、わざと彼女のすれすれのところを通過し、それを追い越した。実は、ヒカルは昔からリア充を恨んでいたわけではない。むしろ、憧れていたのだ。


 高校の時、ヒカルは親友と同じ女子を好きになった。しかしその親友は、ヒカルの気持ちを知っているにも拘わらず、その子に告白し、つき合い始めたのだ。ヒカルはその時、もっと早くに行動していれば良かったと悔やんだ。それ以来、ヒカルは恋愛に対して億劫になった。そして卒業するまでの間、勉強に明け暮れた。そのおかげで、第一志望の大学に合格できたのだが。それでもヒカルは、恋愛感情を捨てきれなかった。だから、大学では何としてでも彼女を作ろうという目標を立てた。しかし、この様である。


(これからどうしよっかな……)


 ヒカルは内心、焦っていた。二十歳の誕生日は、半年後に迫ってきている。それまでに、どうにか相手を見つけなければならない。歩いていると、後ろから声が聞こえた。


「お~い、ヒカル~」


 話しかけてきたのは、同じ学科の高塚たかつかりょうという男だ。


 良とは、あるサークルで知り合った。というよりも、半ば強制的に入部させられたのがきっかけとなった。

 そのサークルは、主にゲームやアニメ、今インターネット上で話題のニュースなどについて、好き勝手に語り合うというもので、いわばオタクの集まりのようなものだ。ヒカルは、小学生の頃からゲーム類をよく集めていて、家に引きこもって遊んでいた。大学に入学してからも、実家から下宿のマンションにゲームをいくつか持ってきていた。そのことを良に話したら、良がそのサークルに勧誘してきたのだ。


 しかし入部直後、ヒカルはそのサークルについてある噂を耳にすることになる。


 表では「ゲーム語り同好会サークル」とかいうような名前なのだが、裏ではある異名で呼ばれているのだという。その名も、「リア充駆逐隊」である。その名の通り、リア充を駆逐するのだ。部員たちは、ターゲットとしたカップルの仲を様々な方法で引き裂いては、それを眺めて笑っているのだという。それは嫌がらせであったり、わざと彼女を怒らせてその罪を彼氏に擦りつけたりなど、かなり陰湿なものらしい。


 ヒカルは、最初はその話を信じていなかったが、ある出来事をきっかけに信じることになった。正確に言うと、無理やり信じさせられたのだ。それは、部員の女子に彼氏ができたことから始まった。


 そのサークルは、非リア充の寄せ集めのようなものだった。しかし相手ができたということは、つまり、残った部員全員から裏切りや軽蔑のような眼差しが向けられることになる。その女子は、彼氏ができたと告げた直後から、部員たちから様々な嫌がらせを受けた。そしてついに、そのサークルから追放という形で退部させられてしまったのだ。ヒカルは、その出来事を目の当たりにした時、軽く絶望した。


 ヒカルは入学当初、自分にも「彼女が欲しい」という目標を立てたが、このサークルに入っている時点で、それはすでに破綻していたのだ。ここを抜けるのも一つの手ではあるが、高校の時のように、また一人になるかもしれない。

 そのような葛藤が、何日間も続いた。その結果、気を見計らって抜けるという結論を出した。そして、しばらくの間はこのサークルに留まり、様子を窺うことにした。


 ある日の夜、そのサークルで飲み会が行われた。ヒカルと良の他には、中原なかはら耕太こうた山田やまだわたるがいた。いつもは、その四人で活動している。中原と山田の二人は、ヒカルや良の二学年上で、良とは仲が良い。四人は、ある飲み屋の一角に集まった。


「なぁなぁ、二次はカラオケ行くか?」

「またかよー。お前、毎回同じやつしか歌わねーじゃん」


 二人はそんな会話をしていると、中原が店員にビールを注文した。するとすぐに、四つのビールが運ばれてきた。


「んじゃ、まずは乾杯いっとくかー」


 そう言いながら、中原がジョッキを上に持ち上げる。そして、ヒカル以外の三人は声を揃えてこう言った。


『リア充爆発しろー!』


 そして、三人はグイッとビールを飲んだ。それは、このサークル内で『乾杯』の代わりに使う言葉であり、合言葉のようなものだった。飲み会に行って乾杯をする時には、必ずこれを言わなければならない。

 ヒカルは毎回、どうしてもついていけず、出遅れてしまう。ヒカルもまた、ビールの入ったジョッキを口許に運ぶ。

 すると、山田が酔っ払いながら上機嫌で言った。


「なぁ、俺さぁ、今日電車でめっちゃイチャつくカップル見かけたんだけどさぁ。ほんとイラッときて、そいつらの足踏みかけたわ〜」

「あ、そうそう。俺もそう言えば今日学内で見かけたんだよ、昼飯の弁当交換してる奴ら。大体、人目も憚らずによくやるよなって感じだよな~」


 中原もそう言うと、ビールを飲み干す。


「そういや、お前らはさぁ、最近どうなの?」


 不意に、中原が黙っている二人に話を振った。すると、先に良が答えた。


「あ、いや、俺はまぁ、ただ素通りっすわ。あんなのに構ってるだけ、時間の無駄っすからね〜」

「さすがだなー。で、真宮は?」


 中原が、今度はヒカルを見て言った。


「あ、俺?いや、まぁ……、良と一緒かな……」

「なるほどなぁ」


 中原はその話に飽きたのか、もう山田と違う話を始めている。確かにヒカルも、近くをカップルが通る度に嫉妬心を燃やしているのは事実だった。そしてそれは、時に羨ましくもあった。

 しかし、それはヒカルしか抱いていない感情だった。他の三人は、リア充たちをとにかく恨み、目障りに思っている。サークルに「リア充駆逐隊」という異名がついた理由も、ヒカルは彼らの行為を目の当たりにしてもわかった。ずっと仲が良かった部員に彼氏ができた途端、態度を冷たくし、そして精神的に追いつめてサークルから追い出しているのだ。


 ヒカルもまた、自分も同じ運命を辿るのだろうかと、不安が脳内を過る。部員たちには、本当の気持ちを知られたくない。もし知られてしまうと、自分も二度とここにはいられなくなる。ヒカルはそう危惧していた。この中にいる連中は全員、自分がモテないと自覚し、諦めているのだから。


 飲み屋に来て二時間ほどが経過した頃、山田がこう言い出した。


「お前ら、そろそろ場所移動しようぜ」

「そうだな。じゃあ、久々に夜の街を蔓延ってるリア充どもを退治しにいくか」

「おおお、いいっすね!お供しますよ、先輩」


 中原と良も、勝手にそう言いながら立ち上がる。


「ヒカル、お前も行こうぜ」


 良がヒカルを見て誘ったが、ヒカルはどうしてもそんな気分にはなれなかった。


「ごめん。俺、今日は帰るわ」

「なんでだよ、折角いいところなのに~」

「悪い」


 ヒカルは立ち上がり、「失礼します」と先輩二人に言うと、そのまま店を出ていった。


 帰り道、妙に暗い気分になった。少し飲みすぎたのか、足が思うように進まない。


(ったく、何がリア充爆発しろだよ……。モテようと努力もしてないくせに。あ、まぁ、俺もそのうちの一人だけど……)


 ヒカルは、心の中でそう呟きながら、深夜の路地を歩いていた。


 しばらく行くと、更に細い路地に入る。マンションに帰るためには、そこを通らなければならない。路地を抜けると、大きな交差点に出る。前を見ると、ちょうど信号の灯りが見えた。ヒカルはフラフラの足で、そこを抜けようと路地に踏み込んだ。

 その直後だった。耳元で、低い声が聴こえたのだ。


「おや、未成年なのに飲酒ですか。感心しませんね」


 「はぁ?」と思い、ヒカルはふり向いたが、暗くてよく見えない。気のせいかと思ったヒカルは、また歩き出した。

 すると、今度ははっきりと聴こえた。


「悩みがあるなら、ここで言ってもいいのですよ」


 ヒカルは足を止めた。誰だかわからないが、まるで自分のことを知っているような言い方に、ヒカルはゾッと背筋が凍るような感覚になり、恐る恐るふり返ってみた。そうすると、十メーターほど離れた場所に、黒い人影のようなものが見える。


「はじめまして、真宮希望さん」


 それは、細身だが背丈が百八十センチはありそうな、背の高い男だった。

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