芽生え 後編

 青嵐がやってきてから数日後、夕食の席に座った青嵐は、ぼさぼさの髪を切りそろえてさっぱりとした印象に変わっていた。初めて会ったときのボロ布。そう称した方がいい衣服も新しく、背丈にあったものに変わり、一瞬誰だか分からなかった。

 目があいそうになった瞬間、セツナは慌てて青嵐から目をそらし、目の前の夕食をかきこんだ。いつも美味しく作ってくれているのに、青嵐が来てからというもの味が分からない。

 これもそれも青嵐のせいだ。そうセツナは苛立ちを募らせ、さっさと自室に引っ込んだ。


 日を増すごとにナルセが気落ちしているのも分かったし、父や母にはそろそろ仲直りしてほしい。とそれとなく頼まれた。

 セツナと会うたびに泣きそうな顔をするナルセの顔を見るのはつらかったが、セツナは辞め時を見失っていた。それに泣きそうな顔をするナルセの隣にはいつも青嵐がいて、それがどうしようもなく不快だった。

 そこにいたのはずっと俺だったのに。そう思うとナルセに対する罪悪感よりも怒りがこみあげてくる。結局セツナはナルセたちに背を向けた。ナルセのすがるような視線を感じたけれど、振り返ることはできなかった。


 何日目になるか分からない、たった一人で過ごす日々。

 青嵐が来る前だったらナルセが当たり前のように隣にいて、一緒に話して遊んでいたのに。そう思うと寂しさがこみあげ、それを奪っていった青嵐への怒りを感じる。

 暇つぶしに異種双子に関する本を読んでみたが、まだ幼いセツナには難しい言葉が多くてよく分からなかった。ただ、世界にたった一人の大切な存在であり、代わりはいない。双子のようなものである。という説明だけは読み取れて、セツナは不満に思った。


 セツナにとってもナルセは世界でただ一人の、代わりが存在しない、大切な双子の妹だ。

 同じ条件のはずなのに、異種双子の青嵐の方が上のように扱われる。それがどうしてもセツナには納得いかなかった。

 セツナは自分の容姿に自信があった。美人な母親に似て、可愛いナルセに似ているのだから当たり前だと胸を張れた。頭だっていいという自信があった。同年代の子供と遊んでも、誰もセツナと同じようにはできなかった。剣術のセンスだってあると、稽古をつけてくれる先生はセツナを褒めた。

 貴族の息子だから。そういった理由だけでなく、自分という人間は人より秀でている。そうセツナは自覚があったし、誇りがあった。だからこそ、青嵐というみすぼらしい子供に大事なナルセを奪われたのが我慢できなかった。


 自分よりも小さくて、細くて、いつもビクビクしていて、見た目だってよいとはいえない。長い前髪を切った下にあった顔は、目つきが悪く、人相が悪い。ナルセを守る騎士というよりは、騎士に退治される悪党の方がお似合いだ。そうセツナは鼻で笑う。


 すべては自分の方が上なのに、何でうまくいかないんだろう。そんなに運命というのは重要なものなのかとセツナは泣きたくなる。

 ナルセに見つからないように、人が滅多にこない裏庭の木陰に隠れ、涙を必死にこらえる。そこまでして自分は何をしているんだろう。そう思ったらセツナはどうしようもなく寂しくなってきた。


 涙がこぼれそうになったとき、木の枝を踏む小さな音がした。

 慌ててセツナは涙をぬぐい、音のした方向へ顔を向ける。そこには、しまった。という顔をした青嵐が立っていた。

 いつのまに近づかれたんだ。とセツナは驚いた。人の気配がしたらすぐ逃げるようにしていたのだが、気を抜いてたのだろうか。そう思ったが、よくよく考えればナルセに比べて青嵐は動作が静かだ。


 ナルセがセツナを探すときは「お兄様」と声をかけるし、ナルセはパタパタと軽快な足音を立てる。だからセツナはすぐに気づいて逃げられるのだが、その後をついて歩いていた青嵐は足音がしなかった。

 いつも青嵐はナルセと一緒にいたから警戒していなかった。今まで一緒に行動していたのに、今になって何だ。自分を笑いにきたのかとセツナは青嵐から逃げようと立ち上がる。


「待ってください。セツナ様!」


 自分と同い年の、弱々しい声。年上の使用人に言われるには慣れていたが、同世代に言われるのは初めての敬称にセツナは戸惑い、思わず足がとまる。

 振り返ると青嵐は思ったよりも必死な顔でセツナを見つめていた。


「お、俺……いや、私が気に食わないのはわかってます」


 青嵐はセツナと目があうと気まずげに視線をそらす。何をどういおうか迷うように口を動かし、眉を下げる。泣きそうにも見える顔を見ると、年下をいじめているような気持ちになった。


「私が嫌いで構いません。でも、ナルセ様とは仲良くしてください。私は近づかないようにしますから」


 青嵐が下を向きながらそんなことをいう。

 青嵐の申し出はセツナにとって理想的ともいえた。ナルセとは仲良く出来て、邪魔な青嵐は近づいて来ない。今までと変わらない。願ってもない言葉だというのに、なぜかセツナはそれが気に食わなかった。


「お前を空気として扱えっていってんの?」


 わざと高圧的に意地悪くいうと、青嵐は小さく頷いた。

 否定の言葉が返ってくると思っていたセツナは驚いた。


「いない者扱いは慣れてます。こんなに綺麗な服を着せてもらって、住む場所と食べ物を与えてもらっているだけで十分です」


 そういって青嵐は控えめに笑う。それは作り笑いというにははかなげで、本心だと分かるからこそ胸の奥がざわついた。気まずさから視線をさまよわせると、服の袖口から白い包帯がちらりと見える。青嵐の病的までに白い肌よりもさらに白いそれを見て、初めて会ったときのみすぼらしい姿を思い出す。

 あの時もたしか包帯を付けていた。手だけでなく足、首にもあった気がすると記憶を探って、セツナは眉を寄せる。


 鬼にしては小さな体。同世代とは思えない手足の細さ。誰に対しても怯える態度。

 具体的な何かは思いつかなくても、何だか嫌な感覚が胸の中に広まって落ち着かない。


「何それ。俺にひどい奴になれっていってんの」


 今でも十分ひどい態度をとっている。そうセツナは分かっているのに、腹が立った。

 今の自分がセツナは嫌だ。何でこんな態度をとっているんだろう。そう自分自身に嫌気がさしているのに、どうしていいか分からない。それなのに青嵐は、もっと嫌な自分なれとセツナにいってくるのだ。

 なんて嫌な奴だ。そうセツナは思って、それから泣きそうになる。

 嫌な奴なのはどう考えても青嵐ではなく、自分だった。


「そんなことは言ってないです。セツナ様が過ごしやすいようにしてもらえれば、俺は……!」


 こんな嫌な奴に対して青嵐は焦った様子で言葉を続ける。必死でどうにかしようと頭を悩ませる姿を見ると、セツナはどんどん自分が醜い人間だと突き付けられるようで泣きたくなった。

 自分の方が上だ。そう思っていたけれど、そんなことはない。青嵐のほうがセツナよりよっぽど大人だ。そのことにセツナは気付いていた。だからナルセは青嵐の所にいったのだ。そう思ったセツナは自嘲的な笑みを浮かべた。


「むしろ、君こそ俺のことは気にしなきゃいい。ナルセと君は運命の相手だろ。俺なんてほっといて2人で仲良くしなよ」


 ふてくされたような言葉に、なんて自分は子供っぽいんだろうとセツナは唇をかみしめた。それでも、それが本心だ。大事な可愛い妹が出会って間もない相手に奪われた悲しさと失望感。それを受け止めるにはセツナはまだ子供だった。

 今は放っておいてくれ。そう思って背を向けようとすると、焦った様子で青嵐がセツナの腕を掴む。


 見た目の細さに比べて掴む力は強かった。それにセツナは驚いて、それから泣きそうな顔をする青嵐にさらに驚いた。


「違うんです……俺は、セツナ様とも仲良くしたいんです……。セツナ様とナルセ様が俺のせいで仲たがいするも嫌なんです……」


 鬼は傲慢な種族だ。血も涙もない。そう聞いていたセツナは驚いた。

 眉をさげ、今にも泣きだしそうな顔で青嵐が下を向いている。セツナの腕を掴んだ手は震えていて、何だか苛めているような気持ちにになってきた。

 ナルセとケンカした時、ナルセは泣くのを必死にこらえながら「ごめんなさい」と服の裾を掴んできた。あの時の様子を思い出して、セツナは青嵐の腕を振り払えない。


 ナルセを奪われて悲しかったのに、ナルセを奪った相手に可愛い妹を重ねている。その不可解さにセツナは混乱して、とにかく泣き止ませようと焦った。

 

 青嵐の腕を引っ張る。やっぱりずいぶん細い腕は骨と皮しかないように思えて、セツナは眉を寄せた。こんなに細くて弱い相手を苛めてしまったのかと罪悪感が浮かび、それを振り払うためにセツナは青嵐の額に口づけた。


 ナルセとセツナの当たり前。

 ナルセが大好きな童話の王子様が、お姫様にこうしてキスをしているシーンがある。そのシーンの挿絵がナルセは大好きで、一度泣いているナルセにまねてみたら、大層よろこんだ。それからはケンカしたら仲直りに、ナルセが悲しんでいたら励ましに、いいことがあった祝福に、額にキスをする。

 周囲も可愛いともてはやしてくれるし、セツナからすると慣れ親しんだ行為だったが、やった後に気づく。


 目の前にいるのは可愛い妹ではなく、会って間もない同性の少年。


「ごめん!」


 いきなりほとんど知らない男にキスされたらいやだよな。とセツナは慌てて体を放した。セツナだっていきなり知らない相手、しかも同性に額とはいえキスされたら嫌だ。

 ナルセに重なって見えたとはいえ、せっかく仲直りできそうだったのに。そうセツナがあせって青嵐の様子を伺うと、予想外の姿に目を丸くした。


 青嵐は真っ赤になって固まっていた。

 病的なまでに真っ白い肌が桃色にそまっている。動揺からか目じりに涙がたまり、何かを言いたいが言葉が出ないのか、口がもごもごと動いていた。その姿はなんというか衝撃で、よく分からないがとても可愛くセツナには見えた。


「……青嵐?」

「す、すみませんでした!」


 セツナが声をかけると、青嵐は我に返った様子で駆け出した。驚くような速さでセツナに背を向けると、屋敷の方へと走っていく。

 その後姿をセツナは唖然と見送り、時間がたつにつれてじわじわと胸の奥から何かがこみあげてくるような感覚がした。

 胸を押さえて首をかしげる。何だろうこれは? とセツナは考えるがよく分からない。父さんや母さん、ナルセに向ける感情に近いようで、全く違うような気もする言葉にしがたい感情。でも不快ではなく、むしろ心地よい気がして、セツナは余計にわけがわからずしばし茫然と立ち尽くしていた。


 その頬が、走っていった青嵐と負けず劣らず真っ赤なことにセツナは全く気付かない。

 

 そんなセツナが気付くはずもなかった。

 木の陰から、偶然いあわせたナルセが覗いていたことに。セツナと青嵐と負けず劣らず真っ赤な顔をしてしゃがみ込み、こみあげる歓喜ともいえる感情を持て余していることにも。


 この日、双子のセツナとナルセは、それぞれ全く違う感情への扉を開けた。

 そう気づくのは2人がもう少し大人になってからの事だった。

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