異種仲介屋

黒月水羽

本編

迷子の子供

 ここはどこだろう?

 ぐるりと周りを見回しても視界にはいるのは、見慣れない景色。

 知らない大人や、母親らしき女の人に手を引かれる子供。前を通りすぎていく馬車。

 全部みなれないもの。知っているものは何もない。

 迷子。その2文字が浮かんで、頭がくらくらした。

 お父さん。お母さんと泣きそうになりながら探してみたけれど、助けに来てくれるはずがない。

 だって僕は、黙って家を出てきたんだから。


 僕の家族が王都に引っ越したのはつい最近。

 よい仕事が見つかった。と上機嫌なお父さんにつれられて、やってきた王都は僕が生まれ育った小さな村とは全く違っていた。


 まず人の数が違う。

 小さな村では皆顔見知り。知らない人なんていなかったのに、王都では道行く人はみんな見たことのない顔と匂いをしていた。

 聞いたことも見たこともない物も沢山。

 市場には知らない食べ物、道具が並んでる。かたっぱしから質問してお店のお姉さんに笑われて、お母さんには怒られた。


 それでもワクワクした気持ちはおさまらなくて、危ないから一人で出かけちゃいけません。そうお母さんにはきつくいわれていたけど、我慢しろなんてひどい話。

 全てが目新しくて、全てがキラキラひかって見える街。探検してみたい。

 そう思うのは当たり前。

 1人勝手に言い訳した僕はこっそり家を抜け出したて、とりあえずは市場にむかって歩き始めた。


 最初の失敗は帰りのことなんて全く考えていなかったこと。

 次の失敗は目の前を珍しい馬車が通りすぎたので、気になって後を追ってしまったこと。

 馬車を見失ってあーあ。と声をあげたところでやっと、自分が知らない場所にいると気がついた。


 右を見ても左を見ても知らない景色、知らない匂い。知らない人が通りすぎていくけど、キョロキョロしている僕のことなんて誰も気にもとめない。

 あーどうしよう! そう思った僕はとりあえず来た道を戻ろうと見覚えのある方向へ走り出した。

 脇を通りすぎた叔父さんが顔をしかめたけど、謝る余裕もなかった。それに謝ったとしても通じなかったと思う。僕は人間の言葉がうまく話せなかった。


 走っても走っても、知っている道にはたどり着かない。疲れた僕はついに立ち止まって、道のはしに座り込んだ。あれだけ輝いて見えた世界が、とても冷たくて怖いものに思えた。

 このままお父さんにもお母さんにも一生会えないまま、この広い街をさ迷いあるくのか。そう思ったらどうしようもなく悲しくなって、大きな涙がこぼれ落ちる。


 そんな僕に声をかけてきたのは優しげなおばさん。買い物帰りなのか果物がたくさん入った籠をもったおばさんは、心配そうに僕の顔をのぞきこむ。

 何か話しかけられた。そのことは口の動きでわかったけど、言葉の意味がわからない。僕は余計に泣きたくなった。


 声をかけた時以上に泣きそうな顔をする僕をみて、おばさんは困った顔をする。心配そうに何かをいって、口をしきりに動かすけれど僕にはやっぱり意味がわからない。

 もっと真面目に人間の言葉の勉強をしておくんだった。そう今さら思っても遅い。

 お父さんに、ほらみたことか。って怒られるかな。そもそもお父さんにもう一回会えるのかな。そう思ったらまた悲しくなって、涙があふれた。

 おばさんが慌ててまた何かをいう。でも僕はそれに対して何も答えることができなかった。


 そんな僕らの前に今度はいかつい顔のおじさんが近づいてきた。僕をみて顔をしかめ、おばさんに話しかける。

 おばさんは困った顔でやっぱり僕には分からない言葉で返事をする。答えるおじさんの言葉も僕にはさっぱりわからない。


「お父さん……お母さん……」


 さびしくなってそうつぶやく。

 その声が聞こえたらしい、おじさんとおばさんが驚いた顔をした。それからおじさんの方が小さく頷くと、おばさんに何かいって離れていく。


 おばさんはおろおろしていたけど、僕は膝を抱えて丸くなった。

 悪い人ではないし心配してくれるのも分かるけど、言ってる意味がわからないんじゃどうにもならない。家に帰りたい。その一言だって向こうには伝わらない。


 おじさんはすぐに、誰かを引っ張って戻って来た。

 無理やりつれてこられたのか薄着で眠そうな男の人。お兄ちゃん。と呼べるくらいの年齢のその人は、ほかの人とは違って馴染んだ匂いがする。

 確かめようと匂いをかぐとお兄ちゃんは僕と目があって、驚いた顔をした。ふだんだったら近づかない、目付きの悪いお兄ちゃん。だけど、それ以上に懐かしい匂いに落ち着いた。


 近づいてきたお兄ちゃんは僕の前にしゃがみこむ。やっぱりよくしった森の匂いがして、でもこの街の匂いとそれから知らない匂い。何だか不思議だなと思って見ていると、お兄ちゃんの頭にぴょこんと耳が生えた。


「ワーウルフ!」

「そー、お前と同じワーウルフ」


 ニッと笑ったお兄ちゃんの口には見慣れた牙。人間にはないっていうワーウルフの特徴。黒い耳と尻尾が動いているのが見えて僕はやっと安心した。

 思わず抱きつくとお兄ちゃんは僕をだきとめて、よしよしと背中を撫でてくれる。安心して耳としっぽが出てしまったけど、きっと大丈夫だとさらに体をくっつけた。


『    』


 おばさんが何かやっぱりわからない言葉を話す。それにお兄ちゃんが返事をした。

 おじさんとおばさんと変わらない、ひっかかりがない人間の言葉。

 お母さんとお父さんは僕より話せるけど上手くないみたいで、言葉が伝わらなかったりする。

 それに比べてお兄ちゃんは自然だった。きっと長い間、人間と一緒に生きてきたんだ。だから馴染みのない匂いがするんだな。と僕は鼻先をお兄ちゃんに近づける。


「心配してくれたんだから、お礼いえ」


 お兄ちゃんにそういわれて、僕はおじさんとおばさんを見る。2人が気づいてくれなかったら僕はお兄ちゃんに会えなかったかもしれない。そう思ったら、お兄ちゃんの言う通りお礼を言わなきゃ。そう思った。

 だけど教えてもらったはずの人間の言葉は、すっかり僕の頭から抜けていた。今日だけでいろんなことがあったから、僕の小さな頭はびっくりしてしまったみたい。

 どうしよう。と思ってお兄ちゃんを見上げると、ああ。とお兄ちゃんはうなずいて、大きく口を開ける。


『あ、り、が、と、う』

「繰り返せるか?」


 ゆっくり発音されたそれを聞いて、僕は小さく繰り返す。よくできた。とお兄ちゃんが笑顔で頭をなでてくれるから自信がついた。

 最初はこわい。そう思ったけど、笑ったお兄ちゃんは全然怖くない。

 僕はおじさんとおばさんの方を向いて、お兄ちゃんに教わった言葉を声に出す。


「あ、り……がと!」


 ちゃんと伝わったかな? と不安になりながら見ると、おばさんはにっこり笑ってくれた。おじさんも腕を組んでうなずいてくれる。

 ああ、よかった。ちゃんと伝わったんだ。と嬉しくなってお兄ちゃんを見ると、えらい、えらい。と頭をなでてくれた。


 それからお兄ちゃんはおじさんとおばさんに何かをいった。僕には聞き取れなかったけど、それを聞いたおばさんたちは安心した顔をする。おじさんが僕の方をみて何かをいって、おばさんは笑顔で手を振ってさっていった。


「おじさん、何ていったの?」

「もう迷子になるな。あともうちょっと言葉の勉強しろ。だってよ」


 昨日までの僕だったら、勉強は嫌い。そういっただろうけど黙ってうなずいた。もう迷子も、言葉が分からなくて不安になるのも嫌だ。

 そんな僕をみてお兄ちゃんは、えらいなーとまた頭をなでてくれる。それから僕を抱き上げた。

 目線が高くなって街の様子がよく見える。さっきまではあんなに怖かった街が、またキラキラして見えて、自分でも単純だなと思った。でも最初みたいに何も考えずに飛び出そうとは思えなくて、お兄ちゃんに振り落とされないようにぎゅうっとしがみつく。


「家どこだか分かるか?」

「……わかんない……」


 言葉がわかる相手には会えたけど、お兄ちゃんの言葉で帰り道が分からないのは変わらないんだ。そう気づいて僕はまた不安になった。僕の様子をみてそれに気づいたお兄ちゃんは、心配するなと頭をなでてくれる。


「王都に来たのは最近か?」

「うん。この間。お父さんが、仲介…屋さん? っていうのに、仕事と家を見つけてもらったんだって」


 僕にはよくわからないけど、王都には人間と僕みたいなワーウルフ。他の種族の間に入って相談をしてくれる人達がいるらしい。その人のおかげで僕らは慣れない王都で生活できてる。感謝しないといけないんだぞ。ってお父さんはいっていた。


「仲介屋? 仕事……家……あーお前、ギルさんとこの息子か」

「お父さん知ってるの!」


 お兄ちゃんからお父さんの名前がでて、思わず僕はお兄ちゃんをみた。しっぽと耳がパタパタ揺れて、顔にあたったお兄ちゃんはくすぐったそうな顔をする。


「ああ、知ってる。お前の家も知ってるから、そのまま送ってやるよ」


 そういって牙を見せて笑うお兄ちゃんを見て、僕は嬉しくてしっぽをブンブン揺らした。色んな人がいるから耳としっぽを出しちゃダメ。ってお母さんには言われているけど、上手くしまえそうにない。それに、お兄ちゃんがいるから大丈夫。

 最初は怖い。そう思ったのに、今はお兄ちゃんのことが好きになっていた。


『   !』


 さて、行くか。とおにいちゃんが歩き出そうとしたとき、背後からお兄ちゃんを呼ぶ声が聞こえた。走ってきたのか息を切らしたその人は、お兄ちゃんと同じく薄着。慌てて飛び出してきた。そんな雰囲気。


 僕より年上なのは間違いないけどお兄ちゃんに比べると小さくて、男の人みたいだけどやけに顔が整ってるから女の人みたいにも見える。蜂蜜色の髪を片側だけ三つ編みにした特徴的な髪型のお兄ちゃんは、立ち止まっているお兄ちゃんに近づいてくると驚いた顔で僕を見た。


 じぃっと見つめられて僕は緊張する。僕の周りには綺麗な人っていうのはあんまりいないから、落ち着かない気持ちになった。それに何でこんなにじっと見てくるんだろうと不安になる。やっと目をそらした蜂蜜のお兄ちゃんはお兄ちゃんに向かって何かをいう。

 それを聞いた瞬間にお兄ちゃんが吠えた。言葉は分からなかったけど「バカか!」みたいな意味だってことは何となくわかった。

 何をいったんだろう? と首をかしげて見上げると、お兄ちゃんが顔をしかめている。


「気にすんな。アホだけど悪いやつじゃねえし、お前を送り届けるのについてくるってさ」


 別についてくる必要ねえのに。とブツブツいいながらお兄ちゃんが歩き出すと、慌ててその人も後についてくる。やっぱり僕のことをじっと見てくるから落ち着かない。そわそわしてお兄ちゃんにくっつくと、なぜかムッとした顔をされた。その直後にお兄ちゃんはその人の頭を小突く。


 仲良しなんだ。って僕は思った。この人もワーウルフなのかな? と思って匂いを嗅ぐと残念なことにワーウルフみたいな匂いはしない。この街の匂いと、お兄ちゃんと同じ匂いがした。


「お兄ちゃんと同じ匂いがするね」


 蜂蜜のお兄ちゃんをみてから、そういうとお兄ちゃんは目を見開いた。びっくりしたのかピシっとたった耳がすぐにへにょんと下をむいて、困った顔をする。

 その反応に蜂蜜のお兄ちゃんは不思議そうな顔をした。お兄ちゃんの服の裾をひっぱって、たぶん、何をいったんだ? って質問をしたんだと思う。それにお兄ちゃんは顔をしかめて答えなかった。


「ラルスさん!」


 僕が不思議に思って首をかしげていると、よく知った声が聞こえた。

 ピンっと耳をたてて僕は声のする方をみる。人込みをかきわかてやってきたのは、間違いなくお父さん。

 何で。という気持ちよりも先に嬉しくて安心した。

 僕はお兄ちゃんの手から飛び降りるとお父さんにかけよって、勢いよく抱き着く。


「お前はまったく、心配したんだぞ」


 そう怒った顔をしながらも、お父さんは僕をぎゅうっと抱きしめてくれる。

 ごめんなさい。と謝ると、無事でよかった。と頭をなでてくれた。もう言いつけを破って外にいくのはやめよう。そう僕は思ってさらにお父さんに抱きついた。


「すみません。この子がご迷惑をおかけしました」


 僕を抱き上げたお父さんはお兄ちゃんに頭をさげた。お兄ちゃんは、気にしないでください。と笑っている。

 お父さんとお兄ちゃんは知り合いで、ラルス。というのが名前なんだと、僕はそのやり取りをみながら分かった。


「探してたんですか?」

「家内が血相かえて職場にかけこんできたので。誰か見かけなかったか聞いて回ってたんですが、さっきラルスさんが保護した。っていう方に会って」


 さっき別れたおじさんとおばさんの姿が浮かぶ。どっちかがお父さんにも教えてくれたんだと分かった僕は、2人にもう一回お礼をいいたくなった。けど、いったいおじさんとおばさんはどこにいるのか。


 お兄ちゃんなら分かるのかな。と思って見つめるけど、今はそれを聞ける時でもなさそうだ。

 大人の会話に口をはさむと怒られる。そのくらいは僕だってわかってる。お兄ちゃんはお父さんより年下だけど、僕からしたら十分大人だ。


 何もすることがない僕が視線を動かすと、蜂蜜のお兄ちゃんが綺麗な顔をしかめてお父さんたちを見ていた。ワーウルフの言葉が分からないから僕と同じで置いてけぼりされてる。そんな感じ。

 勝手に仲間だ。そう思う。


「ほんとラルスさんにはお世話になって……家も仕事も、この子のことまで」

「お兄ちゃん、仲介屋さんなの?」


 お父さんの言葉で思わず僕は口をはさんでしまった。

 あっと思ったけどもう遅い。お父さんはお世話になった。ってずっといってし、落ち着いたら一緒に挨拶にいこう。そう言ってたから、ずっと気になっていたんだ。


「まあ、そういう感じの仕事だなあ……。始めたばっかりであんまり成果出せてないけどな……」


 お兄ちゃんは困った顔でそういうとチラリと蜂蜜のお兄ちゃんの方を見る。蜂蜜のお兄ちゃんも仲介屋さんなんだと僕はその反応で気が付いた。


「だから、同じ匂いがするんだね」


 同じ仕事をしてるからなんだ。って僕はそう思っていったんだけど、お兄ちゃんの表情が固まった。なぜかお父さんの動きも固まった。

 言葉が通じない蜂蜜のおにいちゃんだけが不思議そうな顔で、お父さんとお兄ちゃんを見ている。


「……ま、まあ、そういう、感じ……だな……」


 お兄ちゃんが何故か顔を赤くして視線をそらす。お父さんがものすごく気まずそうな顔でお兄ちゃんを見て、チラリと蜂蜜のお兄ちゃんの方をみる。

 やっぱり蜂蜜のおにいちゃんは不思議そうな顔。それがだんだん不機嫌そうな顔になってきたのを見て、お父さんは慌てだした。


「今回は本当にありがとうございました。今度お礼をさせてもらいますので」

「そんな気にしなくていいですよ。他種と暮らすのはもめ事も多いですし、今後も何かあったら相談に来てください」


 そうお父さんにいってから、お兄ちゃんは僕と目をあわせてくれる。


「もう迷ったりするなよ」

「うん! 今度はお父さんと一緒に来る」


 そういうとお兄ちゃんは柔らかい顔で笑った。

 一瞬でも怖い。って思ったのが悪いことのような気がして、そうだ。お礼もいわなくちゃ。と僕はお兄ちゃんの方へと身を乗り出した。


 お兄ちゃんの頭を両手でつつむと、頬をお兄ちゃんの頬にくっつける。

 人間相手には驚かれるからやっちゃダメ。そう言われていたけど、お兄ちゃんはワーウルフだから大丈夫。そう思ってワーウルフ同士の挨拶でお礼をいった。言葉でいってもいいけどそれじゃ感謝が伝わらない気がしたし、離れた故郷の挨拶をしたかった。

 お兄ちゃんも僕の気持ちが伝わったのか、同じように返してくれる。

 お父さんはその様子をほほえまし気に眺めていたけど、なぜか隣を見てギョッとした。


『   』


 すごい低い声が聞こえて、僕は声のする方を見る。

 眉を吊り上げて、腕を組み、ものすごく不機嫌な顔で蜂蜜のお兄ちゃんがこっちを見ていた。顔が整ってるからなんだか怖くて、僕と耳としっぽが垂れ下がる。

 お兄ちゃんがすごい慌てた顔で何かをいっているけど、蜂蜜のお兄ちゃんは不機嫌な顔のまま。乱暴にお兄ちゃんの手を引いて、歩いて行ってしまう。


「えっと、じゃあ、気を付けて!」


 お兄ちゃんが去り際に僕らに向かってそういったけど、その言葉で蜂蜜のお兄ちゃんがさらに怖い顔をした。一瞬だけど睨み付けられた僕はお父さんに思いっきり抱き着いた。


「……僕、怒らせるようなことしたのかなあ?」

 泣きそうになりながらそういうと、お父さんはすごく呆れた顔をしながら僕の頭をなでてくれた。


「お前は悪くないって言うか……あの兄ちゃんが大人げないって言うか、心が狭いって言うか……」


 意味がわからずに首をかしげると、お父さんは最終的には「もう少し大きくなったら分かる」そういって僕を抱えたまま歩き出す。

 それってどういうことだろう。って僕は考えたけど、その時は幾ら考えても分からなかった。


 分かったのはお父さんの言う通り、僕が少しだけ大人になってからの事だった。

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