サイバーパンクの中心で
やどうまる
1.1 悲劇の王子 part1
暗闇の中、ディスプレイの複眼が男の顔の造形を映し出した。
部屋にはほかに女が一人。部屋の隅にじっと佇んでいる。
「君は僕を愛せるかい?」
発した台詞と裏腹に無機質で、つまらなそうな声色。
「あなたを愛しているわ」
女は無表情のままだ。
不規則に移り変わり、点滅するディスプレイの光が女の顔の半面を照らしている。
「その答えは何度も聞いたよ。僕が教え、君が話す。ずっとそうさ…」
口を閉ざす女に構わず男は語りかける。
「もう僕は、一人芝居に飽きてしまった」
男は画面に向き直ると、再び首元にデバイスを装着した。
「どうしても君のゼーレの声を聞きたい。そのためにまず僕は…
劇作家にならなきゃいけない…」
そう囁くと男はうつろな目の顔を歪ませた。
錦が受け取った新しい制服は、ひねりのない黒スーツだった。
「これであらかたの説明は終わりになるが、何か質問はあるかね?」
長官はタブレットの画面に映る最後の項目にチェックを入れると、錦の方を見た。
灰色のスーツに白髪頭の老人、身長は高いがほとんど義体化していないことが一目でわかる。
錦が上司から突然の辞令を受けたのが4日前。
狡猾で難解なあの入課試験を受けさせられたのが2日前。
そして今日、錦は新しい職務の説明と案内を受けている。
膨大な量の説明を受けあちこちと連れまわされた錦は、すでに質問する気も失くしていた。
「一通りは頭に。ひとつ、七課はツーマンセルと聞いていたんだが…相方は」
少し声を低くして適当に話を合わせると、唯一気になっていたことの答えを探して錦は軽くあたりを見渡した。
国家省治安課の巨大なビルの37階オフィス。
ここは事務的な処理をするためのギフタがほとんどを占めるようで、あたりに省員は見当たらない。
そこらじゅうから聞こえる電子音が耳障りだった。
「あぁ、それならすぐにわかるだろう。
ここから3フロア上、40階から上が我々の職場である7課の敷地だ。そこにこれから君の同僚となる者たちがいる。」
数秒と待たずに到着したエレベーターの扉が開く。
錦は、新宮でも一等高いこのビルからガラス越しに見えるであろう景色を少し想像した。
だがそれが目に入るよりも早く、フロアには警報音が鳴り響いた。
「事案発生、新宮十七区画にて男が女性に暴行を加えたのち、同区の商業ビルに女性を連れて立てこもるという事案が発生、各部署対応を急いでくだい」
ギフタの放送がおおまかな事件の概要を伝えている。
錦の装着しているデバイスにも赤く、事案発生の文字が浮かび上がった。
急な仕事が多いのは変わらないな。
錦は五日前まで刑事課で送っていた日々を思い出した。
「早速で悪いが、事件のようだ」
「急なのには慣れてるさ」
二人はエレベーターに乗り込み、40階へと向かった。
「はじめるぞ」
空間投影されたスクリーンの前に女が立っている。
彼女はこの場を仕切っているようだった。
中背で細身の女性、年はかなり若く見方によっては少女ともとれる。
今では珍しくもない濃紺色の髪に、ぴったりとした女性用の黒スーツ姿だった。
「ケイス、まずは状況報告を」
室内だというのにフルフェイスのヘルメットをかぶった、ケイスというらしい男は、
彼女の指示を受けると慣れた手つきで三次元マップを呼び出した。
「コトが起こったのは本日19時、場所は十七区の第三商業区画。通報で駆け付けた区警に発見された男は、女性を人質に取ったまま同区の、ノマド・インダストリの所有する商業ビル12階の一室に立てこもってるっス。」
スクリーンには男を映した複数の監視カメラ映像が映し出された。
道に佇んでいた女の手を後ろに回して、銃を突きつけながら進んでいく様子が鮮明に映っている。
「蔵野、犯人の男とさらわれた女の背景については?」
蔵野と呼ばれた男は半分ほどまで吸った太い煙草の火を消すと、首元のデバイスに触れた。
海賊のように豪胆なひげを生やした男、筋骨隆々の中年だがケイスの不審さから比べると、彼はよほど普通に見えた。
スクリーンは蔵野の仮想思考領域のモニタリングに切り替わる。
「男に関しては、サイバネティックスキャンで面割れした。こいつはイヴァン、義体に違法改造を施して裏の仕事をこなす雇われのごろつきだ。隣接する四区や五区のいくつかの事件でも関連が疑われてる。
問題は女の方なんだが…」
蔵野は煙草焼けした声で報告する。
「もったいつけんなよ蔵野」
向かいにいたスキンヘッドの大男が蔵野をせかした。
これも妙な男だった。服の上からでもわかる広背筋に、そり上げたスキンヘッド。
錦は男を観察しながら、刑事課で検挙したカルテルのボディーガードを連想していた。
「まあ聞け、実はこの女はスキャンにかからなかった。」
監視カメラ映像が一時停止され、女の顔が大きくズームされた。
「それの何がおかしい?いまだに全身生身で電脳化してないやつなんて珍しくもない。何らかの部位を義体に換装してなけりゃ電脳スキャンにはかからない。当たり前のことだ」
体の一部や脳が機械によって代用され、平均寿命が140歳を超えた今日にも、体を電脳部品に置き換えることを拒絶し外部デバイスを装着するのみで生活している人間は多くいる。
「問題はそこじゃねえ」
蔵野は消した煙草を右手でこねながら息をつく。
「なるほど」
突然先の少女が口を挟んだ。
「義体化して顔を変えているわけでもないのに、生身の顔が照合できない」
彼女の視線はスクリーンの女に向いている。
「政府居住区内の住民の、顔を含めたすべての個人情報は管理されているはずですから、それはおかしいッスねえ」
紫のラインがあしらわれたフルフェイスのヘルメットが斜めに傾く。
ケイスの独特な口調は意外にもすぐに違和感をなくし、むしろ自然に耳に届くようになっていた。
「カズサよ、そいつが居住区外の非正規民だって可能性を忘れてるぜ」
豪胆なハトの声が耳につく。
カズサと呼ばれた少女は、説明してやれと言うようにケイスに視線を送った。
「それは考えにくいっス。政府管理区の外と面している四区や五区ならまだしも、
現場は新宮のほぼ真ん中の十七区、非正規民がどう頑張ってもここには入り込めない。」
ケイスは地図の真ん中やや左、十七区の警察省を指している。
錦が暮らし、勤めていた場所だった。
「当然僕らを含む警察組織がそれを見逃すはずも、ない」
時計回りに渦を巻くようにナンバリングされた新宮の三次元マップが、ケイスの指に触れてわずかにゆがむ。
「残りは生身の整形ってえらく古風な線がありますが、
これはすぐには確かめようがないっスね。」
「なら、あとは行って確かめるだけか?」
突然の発言に、四人の視線は一気に入口近くへ向かった。
「どうも、やっと気づいてくれて感謝するよ。
俺は昨日付で七課に配属された錦だ。会議中で悪いが顔と名前くらいは覚えてくれ」
錦はここが一番自然に流れに入っていくことができるタイミングだと考えた。
「あ?お前が例の新人か。長官から話に聞いちゃいたがな。俺はハト」
「ケイスといいますー。急ですみませんがよろしく頼むっス」
「蔵野だ。よろしく新人」
三人が順番に一言ずつ話していった。
予想に反してどれも普通の挨拶だったことで入れていた肩の力が抜ける。
「あとは…」
最後の一人、紺色の髪の女と目が合った。
「わたしはカズサ、ここを仕切っている。新人扱いはしない。足を引っ張るなよ」
カマかけや脅しの類ではない、冷静な口調だった。
「私は仕事の邪魔をされなければそれでいい」
最後の一言を合図に、錦に張り付いた冷たい視線はよそを向いた。
思わぬ刺客に、錦は眉間にしわを寄せた。
「通報してきた人間の詳細は?」
何事もなかったかのようにカズサは再び会議を進行する。
「十七区に住む29歳の杉崎という男ッス。家族を亡くしてから一人でギフタと暮らしているようで、今日は偶然犯行場面を目撃したということで通報したようっスね」
スクリーンの映像が、これといった特徴のない中年男の顔に切り替わった。
「立てこもる前ビル内にいた人間はどうした?」
「どうやら犯人は、例の女の人質以外に興味がないようで、警報とともに避難する人たちは完全にスルーしたみたいッス。男はその後エレベーター二基のワイヤーを切って移動を非常階段のみにしたようで。」
三次元マップに移された東西のエレベーターが赤で表示された。
「大体は分かった、これから現場に向かう。
追って指示は出すが、大まかな作戦は、ハトと蔵野が直接犯人を抑え、ケイスは奴の電脳にクラッキングをトライ。隙を作って私が人質を保護する。」
少し間をおいてカズサが指示を出すと、メンバー達は装備を整え始めた。
ひとりでに開いた壁面の収納から、アーマーやプルバップ式SMGに対物ライフルなど、大国の小隊をフルカスタマイズできるほどの装備が現れる。
錦以外のメンバーが準備を進める中、壁に寄りかかっていた長官が、見計らったように二、三歩前に出た。
「少し聞いてくれんか」
長官にメンバーの視線が集まる。
「先程、正式に省の上層部から特務7課に向けて任務が発令された。
警察をすっ飛ばして特務課に連絡してきたところを察するに、上は区議選に向けて相当ナイーブになっているらしい。
彼らが言うに、十七区は様々な中枢機関が連なる政令区、ここで堂々と立てこもりなどやられてしまっては国家省の沽券にかかわる。
区警には正攻法の交渉で時間を稼がせるからそのうちに一気に片づけてくれ、とのことだ。」
長官は 体裁を保つためだけに発行された紙の命令書をひらひらとつまみながら口元を緩ませる。
いかにも世論第一主義を掲げた現政権らしいやりかただった。
「さしずめ、マスコミが集まって十七区の安全性云々と報道される前に終わらせろ、といったところだろうな。まあちょうどいい」
長官はちらと錦の方を見ると、
「カズサよ、錦のことだが彼を今回の任務から同行させることにした」
と言った。
配属初日から任務に就くとは予想していなかったが、錦は特に不安に感じてはいなかった。
長官の提案に、準備をするカズサの手が止まる。
「初陣は、早いほうがいいだろう」
「私は構わない、まずはケイスと後方から参加させる。」
カズサは少し間をおいて返すと片眉をあげた。
嫌な予感がした。
錦には長官が一瞬、皺の入った顔をにやりと歪めたように見えた。
長官は手に持っていたアタッシュケースを錦に手渡すと、芝居がかった動きで顎に手を当て、
「錦は今回からお前のバディとして配属させる。」
と言い放った。
サイバーパンクの中心で やどうまる @hi-ragi-yd
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