掃除人と深紅の決意

掃除人と深紅の決意


 はめられた、と分かった時には、引くに引けない状況に陥っていた。


「……っ!!」


 綾は両手で拳銃を握りしめ、背中をコンクリートの柱に預けたまま、静かに奥歯を噛みしめた。


 ――おかしいとは、思ってたんだよねぇ


 背後の様子をうかがうためにチラリと顔をのぞかせれば、間髪入れずに銃弾の嵐が降り注ぐ。慌てて頭を引っ込めるが、その代わりに着々と柱は削られていく。


 ――たっちゃんと別々で召集令状が出されるなんて、ありえないとは思ってたんだよ、もう……


 そう思ったならなぜ俺に確認しないんだ!! と脳裏に浮かんだ相方が小言を呈してきた。


 ――まったく、脳内でもうるさいんだからっ!!


 脳内の龍樹たつきに舌を出してから、綾は銃撃の隙間に銃口を差し込む。一発の発射に対し、返ってくるのは銃弾の嵐。理不尽ったらありゃしない。


 だがこうして無意味ながらも抵抗を示さなければ、相手はすぐにこの場所へ流れ込んでくるだろう。そうなれば綾の人生はここでジ・エンドだ。


 ――まぁさ、これはただ、私のストックが尽きるのを待ってるだけだってことも、分かってはいるんだけどね


「……私がなぶり殺しにされたら」


 敵は、待っているのだ。


 綾の手持ちの残弾が尽きるのを。


「たっちゃんは、どう思うんだろうね?」


 綾を囲っているのは、反政府を掲げたテロリストだ。だが実際にそのテロリストを煽っているのは、綾が所属するリコリス……掃除人という肩書きを持った殺し屋を抱え込む国家人口管理局の、とある上層部幹部だということは理解している。そうでなければこれだけの勢力を相手に綾だけが現場に送り込まれるはずがない。相方である龍樹がセットであるならば話は別だが。


「今に始まった話じゃないんだけどさ。たっちゃんを精神的に潰すために私に危害を加えようっていうのはさ」


 綾の幼馴染にして相方である遠宮とおみや龍樹は、眉目秀麗にして文武両道という他に何か秘密を持っているのだろうと、綾はうっすらと察している。そうでなければ上層部がここまで龍樹を潰そうと躍起になるはずがない。


「みんな買い被りすぎだよね。……私一人がどうなったって、遠宮龍樹は変わりようがないっていうのに」


 自分がお荷物なのだと、自覚している。自分が完全無欠である遠宮龍樹の唯一の弱点と化しているのだと、誰よりも綾自身が理解している。


 だからこそ、なおのこと、こんな所で死んでやるのは癪だとも思う。


 手元にあるのは拳銃一つ。予備のマガジンが二本。それ以外の装備を用意してくる暇は与えられなかった。


 対して相手は少なく見積もっても十五人。全員が全員、最新鋭の武器でガッチリ武装している。


「私だって、少しは使えるんだからねっ!!」


 綾は思い切って柱の陰から飛び出した。


 銃弾の嵐が尾を引くように付いてくる中、頭に叩き込んできた図面から割り出して目星をつけておいた場所へ銃口を向ける。一発だけ弾を放つのと隣の柱の陰に滑り込むのはほぼ同時。そのままうずくまり両耳をふさぐと、炎が衝撃を伴って柱のすぐ横を駆け抜けていった。それを体感だけで確かめて、再び走りだす。


 転がされていたガスボンベとむき出しの配線はまだ生きていたらしい。それが分かれば、まだ使える手がいくつかある。


 それを思った瞬間、鋭い破裂音とともにガクンッと右足から力が抜けた。再び柱の陰に身を投げ入れるように倒れ込む。足を引きずって座り込むと、コンクリートの床の上にズルリと朱色の線が走った。着弾した衝撃はなかったから、おそらくかすっただけで済んだのだろう。


「――っ!!」


 この足ではもう走り回ることはできない。立ち上がるのでやっとだ。


 対する敵は、綾を殺すまで決して諦めてはくれないだろう。冷静に距離を詰める足音が聞こえてくる。


 ――今の爆発で、何人片付いた?


 手が震えているのは、出血の衝撃のせいだ。決して恐怖からではない。


 そう必至に言い聞かせて、拳銃を両手で握りしめる。


「……死にたくない」


 人を殺すことは怖い。


 だけどそれ以上に、自分が死ぬことが怖い。


 我ながら最低だとは思っている。だけどそれが偽らざる綾の本音で、少なくとも綾の隣には、そんな綾の本音を肯定してくれる人がいた。


「死にたくないよ、たっちゃん……っ!!」


 自身の弱みになると分かっていながら、龍樹は綾に掃除人なる道を示した。足を引っ張られると分かっていながら、綾の相方としてともに世間の闇を渡り歩いてきた。


 その全ては、綾を生かすため。


 だから綾はどんな時でも生きることを諦めない。自身を損なう選択をしない。たとえそれが世間に後ろ指を差される、最低な選択肢だとしても。


 そしてできれば、少しでも相方の足を引っ張らない存在でありたいとも、思っている。


「―――……っ」


 相手の足音が消えた。次に響くのは足音か、銃声か。


 綾は覚悟を決めると、左足に力を込めて立ち上がった。両手の中にある拳銃の感触を確かめる。


 そして一気に振り返り、トリガーにかけた指に力を込めた。


「……っ!!」


 だがその指が動かされることはなかった。


 綾の予想以上に敵は綾の元に迫っていた。凍りついたように綾と相対した敵が、わずかに首を巡らせて綾に顔を向ける。


 背中から激しく、朱色の飛沫を上げながら。


「どうしてお前はっ!! こういう時に限って何も言ってこないんだっ!!」


 金気臭い朱色のカーテンの向こうに立っていたのは、綾が何度も脳裏に思い浮かべた相方だった。


 いつでも冷静沈着を絵に描いたような態度を崩さないくせに、今の龍樹は仕事服さえまとわず、手に緋姫だけを携えて肩で息をしている。ひとまず武器だけ手に取ってここへ急行してきたのだということは、その険しい表情を見れば説明されなくても理解できた。


「黒羽からリークがなかったら間に合わなかったかもしれねぇんだぞっ!!」


 何に、ということを、龍樹は口にしなかった。


 綾は呆然と周囲に視線を巡らせる。


 はるか向こうに、焼け焦げた通路。そこから点々と、綾が今いる位置に向かって、人だった塊が転がされている。鋭利な傷口と零れ落ちる深紅は、全て龍樹の仕業だと分かった。神速で振るわれる日本刀を前に、最新鋭の武器など無意味だったということか。


 ――そう、私は


 その光景を改めて焼き付けた綾は、全身が震えていることに気付いた。


 ――たっちゃんの到着があと一分でも遅れていたら、死んでいたんだ


 そう思うのと同時に、龍樹の体も震えていることに気付く。これだけ圧倒的な戦闘能力を見せ付けて、全ての危難を打ち破ってみせた龍樹が。


 ――ああ、死ねないな。


 その理由が分かってしまうから、より一層そう思う。圧倒的な力を持つ彼が、何に恐怖しているのか分かってしまうから。


 ――私一人がどうなったって、遠宮龍樹は変わりようがないっていうのに


 そう、周囲に思わせなければいけないのだ。それが、龍樹に命を助けてもらった綾にできる、唯一の恩返し。


 何も知らないフリをして、能天気に笑って、龍樹に呆れられてからかわれてプーッとふくれっ面をさらして。それをいつもお決まりの動作でパチンッと潰しにくる龍樹が、どれだけ安らいだ笑顔を見せるか、綾だけが知っているから。


 だから、まだ、死ねない。自分が死んでしまったら、龍樹を託せる人がいなくなる。龍樹を、唯一の幼馴染を、一人ぼっちにさせるわけにはいかない。


「しっ……仕方が、なかったんだもん……っ!!」


 両手から力が抜けて、拳銃が重い音を立てながら足元に転がる。


「連絡するより前に、連れて来られたんだから……っ!!」


 無理矢理笑ったつもりだったのに、その顔を龍樹に向けるよりも早く膝から力が抜けてしまった。緋姫を放り出した龍樹が、綾の目の前に滑り込んで崩れ落ちる綾の体を抱き留める。


「だから、私、一人でも、生きて帰るつもりだったんだから……っ!! たっちゃんの所に、帰る予定だったんだから……っ!!」


 伝わる温もりに涙腺が一気に緩んだ。それが分かったのか、龍樹は左手を後頭部に回すと、そっと綾の顔を胸にうずめるように力を込める。


「お前は……もっと俺を頼れ」


 促す手に甘えて、綾は龍樹の胸にすがりつくと無言のままむせび泣いた。ハタハタと龍樹の制服にしみこんでいく涙はありふれた学生生活のひとコマにあってもおかしくない光景なのに、それを取り巻く環境はあまりにも特殊だった。


「お前が生きていてくれるなら、俺は、どれだけ使われたって構わないんだから……」


 ギュッと強まる龍樹の腕の力は、綾の血濡れた生を肯定していて。その強さとぬくもりに安らぐ自分はやはり歪んでいる。


 そう思いながら綾は、気を失うまで泣いていた。





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