錬金術振興信用組合員エドガーの記録

黒石迩守

第1話

 長い畑道を、一台の荷馬車がゆっくりと進んでいた。


 収穫にはまだ早い青い麦が、上質な絨毯の毛足のように畑に広がっている。端の見えない麦畑は、青空を境界線にしてようやく風景から途絶える。心地よい涼やかな風が吹き抜け、垂れた穂が風に負けじと踏ん張るさまが、童話に出てくる小人がいるようで愛らしかった。


 風に運ばれてきた緑の匂いは、首都では味わえない。出張で訪れた田舎だが、なかなか貴重な体験だ、などと荷台で揺られながらエドガーは感心していた。


「すまないが御者の方、今何時か判りますか?」


 鉄道駅の前でつかまえた、荷馬車の主にエドガーは問う。へぇ、と御者は手でひさしを作りながら空を見あげた。


「出るんときは、駅ん前にあった大時計が一時を指してたんで、日の高さを見るに、そろそろ二時頃じゃねぇですかね……失礼ですが、旦那は時計をお持ちなんでは?」


 御者がこちらを振り向き、背広の腰にあるから垂れる細い鎖を指差す。


「あぁ、これは……ただの、飾りでしてね。わたしも懐中時計は欲しいんですが、錬金術師たちの技術が使われているものは、まだまだ高価で手が出せないんですよ。なので、首都ではこうして鎖だけを着ける装いが流行しているんです」

「はぁ、そうなんですな。いやぁ、都会では見栄を張らんといけんのですなぁ」


 大して興味もなさそうに、御者は道の先に視線を戻した。


「しかし、よく懐中時計をご存知でしたね、まだなかなか普及していないというのに」


 エドガーの疑問に、御者は大口を開けて気風のいい笑い声を上げる。


「そりゃあ、知ってますとも! なんせ、〈天才〉が住んでいた村ですよ。手前も一度だけ、あの方に実物を見せてもらったことがあります。値段を聞いて、腰を抜かしかけましたわ。あんなちっこいもんで、牛が三頭も買えるってんですから」

「〈天才〉と会ったことがあるんですか」


 へぇ、御者は相槌を打つ。


「十年ほど前でしたかね、奥様と娘さんと一緒に、ご家族で越してきまして。聞くと、高名な錬金術の先生だってんで、村の者みぃんな、何でこんな辺鄙な田舎に来たんだか、と首を傾げたもんです」

「ですが、この村から去ったとか……」

「六年前に。それっきりです。気がついたらご家族を置いてどこかに……あぁ、見えてきました、あの蔦に覆われた、おっきなお屋敷です」


 御者が指差す先では麦畑が途絶え、隆起したように突如小高い丘が現れた。頂上までの短い道は、丁寧に石階段で舗装されているが、長年手入れされていないらしく、所々欠けている。御者の言葉通り、僻地には不釣り合いな構えをした、草の滝が流れる邸宅があった。


 丘の前に荷馬車を止めた御者が訊いてくる。


「しっかし、旦那、こんなところにわざわざ何の御用で? あの方が出て行ってから、奥様も亡くなったとかで、あの家は娘が一人で暮らしているだけですよ」


 荷馬車から降り、仕事道具の入った旅行鞄をエドガーは荷台から降ろす。懐から財布を取り出し、御者に心づけを渡しながら答えた。


「借金の取立です」




 丘の上に続く石階段を登りきったエドガーは、屋敷を見あげる。


 遠目に見た印象通り、立派な造りをしている。見たところ二階建てで、下階は煉瓦積み、上階は木造の骨組みを剥き出しにした、半木骨造だ。屋根は粘板岩で葺かれた寄棟造で、伸び放題の蔦の隙間から、鎧戸の窓が見える。錆びた風見鶏が軋む塔屋の下部に、玄関口が設けられていた。しかし、巷で聞き及んだ〈天才〉の成した業績を鑑みると小さすぎるぐらいだ。


〈天才〉は、たった一人で文明を二〇〇年は進めたと言われている。首都では、彼の手による作品、あるいは技術が関わっていない場所を探すほうが難しい。しかも、技術は、世の錬金術師たちが理解できている部分だけだ。普及していないだけで、実際はどれだけ〈天才〉が先を行っているのかは、誰も把握できていない。噂では、生命を操ることすらできるようになったという、眉唾ものの話もあるほどだ。


 それほどの人物が住んでいたというには、片田舎の屋敷は一つ二つどころではなく、何回りも小さい。


 壁のほとんどが蔦で緑に塗り潰された屋敷を横目に、煉瓦造の塀に囲まれた敷地に足を踏み入れると、更に荒れ放題の庭が目に入った。名前も知らない植物が好き勝手に生を謳歌している。目を凝らすことで、ようやく種ごとに区分けされていることが判った。どうやら、ここの住人により栽培されているようだ。


 玄関前に立つと、ほつれた呼び鈴の紐が佗しげにぶら下がっていた。軽く引くと、久々の職務に喜ぶように、大きさに見合わぬ音を響かせる。暫しエドガーは待つが、家の中から家人がこちらに向かってくる様子はない。


 もう一度紐を引く。


 同じ結果だった。


 しびれを切らし、扉の握りを回してみると、くるりと抵抗なく回すことができた。鍵が掛かっていなかったことにエドガーは目を丸くしながら戸を引くと、古びた扉は不満げに軋みながらも、客人を迎え入れてくれた。


 屋敷の中に足を踏み入れると、昼間にも関わらず薄暗い。窓がすべて蔦で塞がれているせいだろう。屋敷の外観と同様、ろくに手入れされていないらしく、空気が埃っぽい。とても人が日常を送っている場所とは思えない。取立の相手は確かにここにいるという報告を受けていたが、調査に不手際があったことを疑いたくなる。


 帰って調査担当者にどう文句を言ってやろう、などと考えていると、視界が縦に細い白い筋を捉えた。目を凝らしてみると、廊下の奥に光が漏れて扉の輪郭を象っている場所が見える。


 僅かな光を頼りに手探りで廊下を進み、エドガーは奥の部屋に足を踏み入れた。


 その室内は、灯火の明かりで照らされていた。


 ぼんやりと膨らむような橙の光の中で、一際目立つものがエドガーの視線を奪った。年端も行かぬ少女が、その小柄な体格には似つかわしくない大きな外套を毛布代わりにし、床の上で本を枕にすやすやと寝息を立てていた。それだけならば和やかな光景だったろう。しかし、その周囲の状況は、異常の一言に尽きた。


 室内には、大量の本が収められた本棚があるが、入りきらない何百冊もの分厚い本が床に転がり、硝子製の器具が前衛芸術のように複雑に組み立てられている。都会ではもうほとんど見ることのない、石油灯が置かれた机には紙の束があり、短くなった鉛筆が転がっている。机の置かれた壁面には鉛筆削り器が取りつけられているが、覆いが壊れて内部の機械構造が剥き出しになっている。そのせいで削りかすが散らかっているが、まったく頓着されていないようだ。


 中でも際立って異様なのは、部屋の壁に画鋲で留められた大量の書付だ。脳や記憶に関する考察、装置の設計図と思しき走り書き、何かの図案が描かれたもの――それらすべてが同じ筆跡で手書きされている。


 部屋の中で寝ている少女にエドガーは視線を戻す。


 恐らくは、彼女が現在のこの家の主なのだろう。つまり、取立を行う対象だ。しかし、〈天才〉の娘は二〇の年の頃だったはずだが、目前の少女は一四歳程度にしか見えない。部屋の様子から推察される生活態度を思うに、きっと発育が悪いのだろう。子供にしか見えない大人というのも、たまにいるものだ。


「お休みのところ申し訳ありません。起きていただいても宜しいでしょうか、アリーシャさん」

「んん……なんだ……お昼ご飯なら言われた通り、ちゃんと食べたぞオリビア……」


 呼びかけに対し、少女――アリーシャは、寝ぼけ眼をこすりながら、億劫そうに起きあがる。エドガーを誰かと勘違いしている様子だった。食事を用意してくれる世話人のような人物がいるのだろうか。


「わたしはオリビアではありません」


 訂正すると、目を細めながら怪訝そうにこちらの姿をアリーシャは見た。次の瞬間には、尾を踏まれた猫のような声を上げながら、その場を飛びのき、壁際の本棚を背に後退りして指差してくる。


「誰だお――」


 アリーシャが体当たりした衝撃で、本棚から一冊の厚い本が零れる。棚から追い出された不満をぶつけるように、本は彼女の頭に落下した。


 短い悲鳴のあとに、頭を押さえてその場にアリーシャはしゃがみこんだ。相当痛かったらしい。少しの間のあと、痛みが治まった様子の彼女に、なぜか涙目で睨まれた。


 涙を指先で拭うと、すっくと彼女は立ち上がる。小柄な身体で精一杯の大股で歩き、先程まで毛布代わりにしていた外套を手に取り、袖を通した。革帯を使い、二の腕辺りで袖を固定しているが、体格と合っていないせいで、着ているというよりも被っているように見える。


 一度深呼吸すると、アリーシャはこちらを再び指差した。


「誰だお前は!!」


 今の一連の出来事はなかったことにしたいらしい。


「初めましてアリーシャさん。わたしはエドガー、錬金術振興信用組合の者です」

「何だ、金貸しか。少し待っていろ」


 こちらの素性を聞いたアリーシャは、興味を失った態度を隠しもせず、眉を顰めた。そのまま本棚に向かい、同じ意匠に装丁された本が並べられている列に細い腕を伸ばす。そこから右端にあった一冊を手に取ると、ぱらぱらと頁を捲る。何かを確認すると、納得した様子で本を閉じた。


「記録にないな。お前はか。何の用だ」


 相手の奇妙な言い回しに違和感を抱きながらも、エドガーを用件を端的に告げる。


「貴女の御父上が、我々が融資した資金を返済せずに行方を晦ませました。そのため、連帯保証人に指定されていた術師である、アリーシャさんの資産を差し押さえに参りました」


 多少はうろたえるかと思ったが、意外にもアリーシャは平静に、ふん、と鼻を鳴らしただけだった。


「天才の私と違い、無能な父だとは思っていたが、借金を娘に押しつけるほどだったか」

「貴女の御父上は錬金術師の頂点です。それを無能だと?」

「無能だとも。借金以前にパパにとって世界は玩具箱だ。すべてを遊び尽くして飽きたら捨てる。パパはママに飽きて遊んだ。天才の私が最初に作った独自の術は、ママを死なせてあげる術だった。未来を想わず、過去を問わない男。無能だろう」


 何かの比喩だろうか。アリーシャが淡々と、冷笑的に言い放った言葉の意味をエドガーは汲み取ろうとする。父親が病に倒れた妻を放って去ってしまった。そのような意味合いだろうか――違うだろう。少女の瞳は濁っていた。その淀みは、汚泥が溜まった腐った川底のようだ。肉親を失っただけというには、余りにも昏い。


「それは、一体どういう――」


 エドガーが疑問を呈する前に「まぁいい」とアリーシャが言葉を遮った。


「借金はいくらだ? 私の口座にも金はある。そこから支払ってやる」


 切りあげられてしまった話題に、エドガーはそれ以上追求しなかった。自分の職務とは無関係だ。やるべきことは、取立だ。


「それは不可能です」


 急に玩具を取りあげられた犬のように、アリーシャはきょとんとする。


「え? なんで?」

「すでに貴女の口座は差し押さえました。また、それでも返済額には不足しているので、他の資産を差し押さえるために、伺わせていただきました」


 両手を振り上げ、外套の余った袖をばたつかせながら、アリーシャが憤慨する。


「一体いくらの借金を残したんだあの無能は! 私の口座にだって、それなりの金額はあったはずだぞ!」

「総額はこちらになります」


 懐から書類を取り出し、アリーシャに手渡す。エドガーの腕から書類を乱暴に奪い取ると、彼女は食い入るように借金の額を確認する。


 書類の陰から、疑うような目をアリーシャは向けてきた。


「……桁、間違えてない?」

「いえ」

「本当に?」

「はい」


 アリーシャは器用に、外套の余った袖で書類を床にはたき落した。


「こんな金額払えるか! というかお前らも個人に小さな街の年間予算みたいな額を貸すな!!」

「貴女の御父上は、それだけの価値がある方でしたので」

「だからって、限度があるだろう!」


 アリーシャは肩を怒らせる。彼女の小さくて細い体躯では、聞き分けの悪い子供のようにしか見えなかった。


 仕方がない、とエドガーは内心で嘆息する。やり方を変えるしかなさそうだ。


「払えないのならば、貴女の資産――つまり機材などをすべて差し押さえます」

「やだー!!」


 急に大声を上げたアリーシャにエドガーはびくりとする。癇癪を起こしたように、彼女はエドガーの腰元にしがみついて喚き始めた。


「なんでそんなことするの! やだやだやだ!!」

「落ち着いてください、差し押さえを行わない方法もあります」


 思わず、こちらに敵意がないことを示すように両手を上げながらエドガーは伝える。


 半泣きだったアリーシャの顔が、ぱっと明るくなった、


「本当か?!」

「はい。毎月、決まった金額を返済して頂ければ、差し押さえは行いません」


 こちらの提案を聞くと、落ち着きを取り戻したように、アリーシャの態度が、元の不遜なものに戻った。


「何だ、そんなことでいいのか。天才の私ならば簡単だ。で? 月々の返済額はいくらだ」

「こちらになります」


 新たな書類を渡すと、アリーシャは目を通す。つい先程見たのとまったく同じ動作で、書類を床に叩きつけた。


「できるか! 中小企業の月の売上高と同じだぞ!!」

「承知しました。アリーシャさんには返済能力がないということで、差し押さえを行います。後日、機材などの回収に参りますので、よろしくお願いします。それでは」


 くるりとエドガーが踵を返すと、背広の裾に飛びつかれた。


「待って待って待って! やだやだ! 待ってってば!!」


 アリーシャは全体重をかけているようだったが、軽すぎてエドガーの足は止められない。ずるずると少女を引きずりながら、彼は言う。


「ですが、アリーシャさんには返済が不可能ということでしたので……」

「やる! やるから、何でもやるから! 頑張ってお金作るから!!」


 その言葉を聞いて、エドガーは歩みを止めた。


 振り向くと、息を切らせながら涙目で「やってやる」とアリーシャが呟いた。


「やってやるとも。私は天才だぞ? 天才は諦めない。天才は敗北しない。つまり私に不可能はない!」

「では、まずは今月の返済をお願いします」

「無理。持ちあわせがない。今度払う」

「帰ります」


 部屋を出ようとすると、今度は足にしがみつかれた。


「待って! 鬼か貴様!! 口座差し押さえたのお前だろうが人でなし!! いやいやいや、待って待って!」

「待てません。そうですね……貴女の錬金術の作品などはないでしょうか? 売却可能な物品であれば、そちらでも構いません」


 ぴたりと背後の罵詈雑言が止まった。足が軽くなったので、アリーシャの様子を確認すると、服の埃を叩きながら、仁王立ちで腕を交差させた奇妙なポーズを取っていた。恐らく腕を組んでいるのだろう。外套の袖が余っているので、脇の下に腕を通せていない。


「もちろんその方法にも気づいていた、天才だからな」

「天才ともなると、泣き喚く行為にも意味があるものなんですね」


 耳まで顔が真っ赤になっていた。


「ま、待っていろ、今天才の私に相応しい一品を持ってきてやる! 凄いやつ持ってくるからな! 覚悟しろよ!!」


 何を覚悟すればいいのか解らなかったが、部屋を出て行ったアリーシャを、エドガーは大人しく待つことにした。


 手持ち無沙汰になったエドガーは、部屋にある本棚に目をやる。そこには同じ意匠に装丁された本が並べられている。部屋を訪れたとき、アリーシャが何かを確認していたものだ。


 そのうちの一冊を手に取り、表紙を開く。


 ぱらぱらと頁をめくり、目を通していく。エドガーに理解できない用語が羅列された部分と、日常について記載されている部分がある。流し読みした限りでは、研究日誌と日記が併用されているようだった。そして、ある頁に辿り着き、手を止める。その頁には、一段の文章だけ記載されており、残りは白紙となっている。


『全身の細胞がのように不死化したママを、私が死なせてあげたことになっている。状況から判断して、どうやら私は一定周期で初期化されていると考えて間違いない。ママで試したあと、次に私をパパはようだ。これが何回目か解らないが、今後は初期化ごとに記録を別にしよう。日誌を読めば、次の私も状況理解が速やかに行える』


 俄かには信じがたいが、組合がアリーシャを求めている理由を、エドガーは理解する。


 実のところ、エドガーが命じられた取立は、回収することだ。本来ならば奴隷でもない人間を、金品のように扱うことはない。ただ、だけでわけではない。


 しかしそれは、ありとあらゆる権利を失うまでに落ちぶれた人間の行きつく末路だ。ただの少女が、債権になることはありえない。だが、アリーシャの日誌を読んだ今では、ただ一つの可能性が明確に浮き彫りになっている。


 彼女自身が〈天才〉の作品である。


 自分の技術を理解できる水準の知性を、永続的に残そうとした、〈天才〉の試みのうちの一つ。神の如き業でを実現している。


 アリーシャは〈天才〉の残した〈教科書〉なのだ。

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