第257話 悪だくみするのは親と悪人だけとは限らない
皇帝陛下と北の使節との謁見は、無一文でボロボロの彼らの正装が整うまで待たれることになった。
それまでは王城内の視察などに当てられる。
すでに瓦版で北の大陸から王子が来ていると触れ回っている。
こちらとは違い、カラフルな髪をしていることも。
数十年ぶりの北の王族の来訪に、城下町は湧いている。
貴族の間では『ボロは着てても心は錦』という堂々とした態度に、ご令嬢たちはもちろん殿方も興味深々だ。
私はと言うと、心がどんどん重くなっている。
宰相令嬢として皆さんを歓待しなければならないのは解っているけれど、ラーレさんとアルが仲良くしているところを見るとつい回れ右してしまう。
今日も陛下のひきこもり部屋にアンシアちゃんと二人籠っている。
「お姉さま、社交、しなくてもいいんですか」
「・・・」
「この部屋にこもってたって、何の解決にもなりませんよ」
「・・・」
「そろそろ、そのへの字
アンシアちゃんは辛らつだ。
私が考えたくないことをガンガン言ってくる。
係累の中では一番エイヴァン兄様に近いと思う。
「・・・でも、なんでこんな気持ちになるのか判らないの」
「そうですか。わかりませんか。あたしたちにはまるわかりですけど。あ、アルは全然わかってないですよ。あのピンク頭の世話で大変なんで」
また胸がちくっと痛む。
そんなこと言われても、本当になんでこんなに重くなっていくのか判らないのだ。
アルと手を握りたいのに、しちゃいけないような気持になる。
なんでだろう。
ラーレさんがアルの左手にしがみついているのを見ると、なんだかアルが遠くにいるような気持になる。
そんな気持ちを抱えたままにしていたら、私はまたまた
◎
バレエ『ドン・キホーテ』。
これを寅さんシリーズだと言った人がいる。
恋人同士のキトリとバジル。
金持ち貴族に嫁がせようとするキトリの父。
そこへフラっと現れたドン・キホーテ主従。
騒ぎを起こしながら若い二人を結婚させ、颯爽と去って行く。
確かに寅さんだ。
気が付いた人すごい !
私の役は町娘のキトリと、ドン・キホーテが恋い慕う幻のドルシネア姫。
冒頭ドン・キホーテの夢に現れて旅に誘い、中盤では気絶した彼の夢の中に現れる。
ちなみにキトリはドルシネア姫にそっくりなので、彼はキトリを姫と間違えて騎士の忠誠を捧げる。
で、私が何をやらかしたかっていうと・・・。
「・・・佐藤さん、あちらでお話しましょうか」
百合子先生が急に私の手を取ってお稽古場から出た。
わけもわからず先生の部屋に連れ込まれる。
「はい、ひどい顔だわ。涙を拭きなさい」
先生にタオルを渡される。
気が付いたら私は泣いていた。
「どうしたの ? 何か悲しいことでも思い出したのかしら」
練習していたのは一幕の初め。
待ち合わせをしていた広場に現れない恋人のバジルの待っているキトリ。
そこに現れたバジルはキトリを無視して女の子たちを口説きまわる。
キトリはムッとしながらもしょうがないわねえという態度。
不機嫌な彼女に気付いたバジルは、一生懸命ご機嫌を取って仲直り。
そんなシーンだった。
あなたの女癖の悪さは知ってるわ。
でも私を無視して他の女に愛の言葉をささやくってどうかしら。
その辺にしておかないと真剣に怒るわよ。
キトリの気持ちがよくわからなくて、とにかく指示された振付で踊る。
そうしたら、フッと見たバジル役のお兄様がアルに見えた。
気を取り直して踊っていたら、百合子先生に拉致された。
「とも、友達が文化祭のお芝居で、女の子と恋人になるシーンがあって・・・」
取り繕った説明。
大人の百合子先生には通じないだろう。
だから、正直に話してみる。
「練習に参加していて、それを見てると凄く悲しくなって、バジルが他の子と仲良くしてるのを見てたら、おんなじ気持ちになっちゃって・・・」
「そのお友達って男の子よね。お付き合いしているの ? 」
「ただのお友達です。だから、なんでこんなに悲しいのかわからないんです」
また涙が零れてくる。
アルの仕事は書記で、ラーレさんの仕事も書記で、だから二人が一緒にいるのは当たり前で。
「佐藤さん、あなたのその気持ちが何なのか、私にはわかる。多分、周り人りたちにもわかる。でも、それが何か教えてあげることはできない」
「先生・・・」
「自分で気づくしかないの。そしてあなたは今、それから目を逸らしている。ちゃんと向き合えば、答えはそこにあるのよ」
向き合う ?
わからない。
この気持ちが何なのか。
一生懸命考えているのに、答えが全然わからない。
私はちゃんと向き合っていないのだろうか。
「とにかく一度お稽古場に戻りましょう」
そう言われて先生と一緒に歩いていると、お稽古場から拍手や歓声が聞こえてくる。
「あら、楽しそうね」
「先生、彼、すごいですよ。すごくジャンプが高いんです」
「ピルエットも全然軸がぶれないし、場所も動かないし」
アルがそこにいた。
「おかえり、ルー。迎えに来たよ」
「ごめんなさい。もうそんな時間 ? 」
時計を見ると予定時間をかなりすぎている。
先生とは随分長くお話していたようだ。
「お迎えも来たようだし、佐藤さん、着替えてらっしゃい」
「はい。アル、もう少しだけ待っててね」
「急がなくていいから、ゆっくりね」
部屋を出ていくとき、アルがお姉さま方に囲まれているのが見えた。
また、胸がチクリとする。
私は泣きたくなる気持ちを、唇を噛んでごまかした。
◎
「さてと、あなたが諸悪の根源ね、山口君」
「なんの話ですか」
パイプ椅子に座る先生は僕を呼びつける。
なんだよ、人を悪者みたいに。
「お芝居とはいえ他の女の子と仲良くしてるんですって ? おかげで佐藤さん、グチャグチャよ。あれじゃあキトリは踊れないわね。ジゼルの一幕ならともかく」
「仰ってる意味がわかりません」
当惑する僕に先生が簡単にさっきあったことを教えてくれた。
ああ、このところ毎日アンシアが報告してくるアレか。
「他人の気持ちはわかるのに、どうして自分の気持ちに気が付かないのかしら。あなた、ちゃんと告白した ? 」
「・・・まだです」
これだから少年少女は。
先生が盛大なため息をつく。
「もっとアピールしなくちゃダメ。ぬるま湯気分で安心させてたら、いつまでたっても先に進まないわよ。勘弁してよ」
「僕たちの恋愛事情はバレエ団には関係ないと思いますけれど」
「あるに決まってるでしょ」
ひじをついて先生が文句を言う。
「彼女、夏の公演の目玉なのよ。『ドン・キホーテ』は明るくて楽しいラブコメなの。初っ端からシクシク泣かれてたらお話が進まないのよ。このままお稽古が滞るなら、あなたにも責任取ってもらうわよ」
「ですから、僕は関係ありませんって」
色々問題ないみたいだから、群舞で出てもらおうかしら。
一年くらい育てれば佐藤さんとのペアで売り出せるかも。
先生が団員の皆さんと、なんか怪しい計画を立て始める。
「僕は受験生だし、バレエは彼女から基礎を教わってるにすぎません。それに文化祭用に習ってるだけですから、秋になったら終わりです。お手伝いなんかできませんよ」
「なら、せめて彼女をなんとかしなさい。男の人と踊ってるんだから、嫉妬して見せるとかあるでしょう」
「演技に嫉妬なんかしませんよ」
「佐藤さんはしてるの。だから自分も嫌だったって言ってご覧なさい。少しは違うから」
本当に女心の分からない坊やね。
先生がまわりの皆さんに同意を求める。
「ですから演技で彼女に触るのは全然オッケーです。必要なんですからどんどんやってください。でもそれ以外で彼女に近づいたら・・・」
「近づいたら ? 」
僕は『威圧』でバジル役の男性を笑顔で睨む。
「殺すぞ」
「ヒっ ! 」
・・・あんまり効かないな。
やっぱり
バジルは顔色が悪くなっただけだ。
「おまたせ、アル」
扉が開いてルーが入ってくる。
急いで『和み』の魔法を展開する。
こちらもそれほど効いていないな。
「じゃあ、帰ろうか。津島が駐車場で待ってくれているよ」
「まあ、こんなに待たせて、申し訳ないわ。謝らなきゃ」
軽く挨拶をすると、僕は荷物を受け取りながら、さりげなくルーの肩を抱いて外に出る。
小さい肩。
ルーの手以外に触れるのは初めてだ。
僕は本当に大きくなったんだ。
もう年少組じゃない。
グレイス公爵家という後ろ盾もできた。
でも、焦らない。
まだその時じゃない。
それじゃあ、あの猛禽類のピンク頭と同じになってしまう。
だが僕のルーを泣かせた罪は重い。
そろそろあの子に反撃すべきかもしれない。
今夜兄さんたちに相談しよう。
ルーは僕に肩を抱かれているのに全然気が付いていなかった。
今は、まだそれでいいんだ。
◎
「見た ? あの表情」
「ゾッとしました。俺、バジル役降りていいですか」
「バカな事言わないの。ちゃんと踊りなさいよ」
岸真理子記念バレエ団の総裁は楽しそうに笑う。
「ロミジュリのロミオが合うと思ったんだけど、悪役もいけそうね。ティボルトとか白鳥の魔王とか」
「基礎を始めて二年であれですからね。もっともっと成長しますよ」
「背は高いし」
「足、欧米人並みに長いし」
「マスクいいし」
日本において男性バレエダンサーは少ない。
子供の頃から習っていても、中学に上がる前に止めてしまう子が多い。
地方のスクールでは男子クラスがないところがほとんどだからだ。
友達に
それでも続けたいと思ったらどうするか。
下宿しながら大手のバレエ団の男子クラスに通うか、海外に留学するか。
そして留学組は大抵日本に帰って来ない。
男手はいつだって足りていない。
才能のある男子は喉から手が出るほど欲しい。
「逃がさないわよ。言質も取ったしね」
「それでは先生・・・」
「大学生になったらアルバイトしてもらいましょう。それまでは・・・」
バレエ団の頂点は、芸術だけではなく経営にも優れていなければやっていけないのだった。
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