第217話 たくさんの日々をすごしてきたのに
どこから思い出せば良いのだろう。
幸せな家庭だったと思う。
両親はやさしく、しかし悪戯や子供らしい考えなしの行動には厳しかった。
けれど、そんな時は近くにいる大人たちは物凄い勢いで両親に抗議をしていた。
お嬢様は何も悪いことはされておりません。お嬢様のなさることは全て正しいのです
普段は父や母の言うことはよく聞く人たちなのに。
私がなにか悪さをしても許し、それを叱る両親には厳しかった。
自分でもいけないことをしたと理解しているのに。
まわりの人はおかしい。
それに気づいたのはまだ三才にもならない頃。
私は両親に相談した。
そして知ってしまった。私の持つ不思議な力に。
決して周りの者に心を許してはなりません
あなたを褒めたたえるだけの者は敵だと思いなさい
どうやら私の力は近しい人たちには効かないらしい。
後は私のことが嫌いな人。
そして強い心を持った人にも。
私はそんな人たちと出来るだけお付き合いするようにしていたし、両親もそれを奨励していた。
ある日、一人の冒険者が私の前に現れた。
我が家からある依頼を受けて来たのだが、彼はイライラして犬に豆を投げていた私の手を握ってこういった。
「
長い白い髪の彼は、私を決して特別扱いはしなかった。
子供心にこのような扱いをしてくれる人を信じれば良いのだと思った。
そして両親と同じような年齢の彼に、この人こそが私の生涯の連れ添いだとわかった。
だからその場で求婚した。
なのに彼はそれを拒否した。
「亡くなった妻を今でも愛しているのです。お許し下さい」
私は負けなかった。
何度も何度も求婚した。
その度に断られていたけれど。
今この年になって思えば、自分の子供のような年の娘の求婚など受け入れるはずがなかったとわかる。
それでも、今でも、彼への想いは変わらない。
ある日やってきた彼は言った。
「冒険者を引退することにしました」
故郷に帰るのでもうこの国には来ないと。
私は泣いて引き留めたが、彼の決意は変わらなかった。
自分はもう年老いてしまい、冒険者としての仕事を続けることが出来ないと。
「甘い言葉に流されてはなりません。忠告してくれる人は宝です。それを心に止めておけば、必ずや素晴らしい人生を送ることができるでしょう」
素晴らしい人生。
彼の言うその未来は訪れることはなかった。
ある日、王宮から使者が来た。
私の王位継承権一位が覆ったと。
現王の御落胤が見つかったので、次期王位は彼のものになったと。
ホッとした。
あの重い物を背負わなくてよくなったと。
両親も同じ思いだった。
だが、仕える者たちは違った。
私こそが正しい継承者であり、どこの馬の骨かも分からない御落胤などとても認められないと。
そこからの二年間は悪夢だった。
御落胤の少年の暗殺未遂。
現国王への悪意ある噂。
私たちに返ってくる悪口雑言。
どれほど私たちが止めても、どれほど私たちが懇願しても、その勢いは止まらずに繰り返された。
そして国王はついに私たち一家を国賊として処分することを決めた。
許してくれ。
このままいけば国が二分する。
祖国のために命を捧げてくれ。
兄である国王に頭を下げられれば、父は断ることはできなかった。
だが両親は二つ条件を出した。
その一つは私を密かに国外に逃がすこと。
ちょうど貴族の女性を妻にしたいという商人がいた。
他国の男で近く爵位を得るのだが、妻は貴族令嬢であるのが条件だった。
私はそれを受け入れるしかなかった。
幼馴染の侍女が一人付いてきてくれた。
祖国を去る日、両親に別れを告げた。
もう二度と会うことがないのはお互いわかっていた。
幸せになってと言われた。
その言葉には応えられなかったのがつらい。
そのまま別宅に連れて行かれ、その日はそれで終わった。
後からその商人は翌日お連れ様と結婚式をあげ、華やかな披露宴を催したと聞いた。
母の出したもう一つの条件は『白い結婚』だった。
別宅には執事が一人。
国からついてきてくれた侍女の他に数名と料理人がいた。
思った通り、彼らは私に忠誠を誓った。
嫁いでから数日。
夫にある場所に連れて行かれた。
孤児院だ。
私は夫の持つ孤児院の管理運営を任されることになった。
お連れ様がそちらの関係に全く興味を持たなかったからだ。
「よろしくお願いします、おばば様」
私は子供たちからそう呼ばれるようになった。
私より年上の子供もいたというのに。
二年後、私は本宅に移った。
お連れ様が亡くなったからだ。
後には生まれたばかりの男の子が残された。
孤児院の仕事に加えて、母親役と女主人も引き受けることになった。
そして本宅の召使たちは私の信奉者になった。
私は十六才だった。
あれから夫も逝き、父親譲りの商才を発揮した息子は可愛らしい子爵令嬢と結婚し、孫が生まれ、多くのことが過ぎていった。
貴族として申し分ない躾をしたはずの息子は、商人として働きだすと父親そっくりになってしまった。
やはり身分にあった付き合いは大切だと、孫娘にはしっかりした家庭教師をつけ、嫁には決して商売に関わらせないようにと言い含めた。
平民は子供でも平気で食事会などに参加させる。
彼らと交わって友情など育まれては困る。
嫁は慎ましい性格ではあったが、母親が伯爵令嬢とあって中々の社交上手。
孫は男爵家の娘でありながら、どこに出しても恥ずかしくない令嬢に育った。
家の中は順風満帆だった。
だが私の周りは相変わらず盲目的に仕える者ばかり。
血の繋がりのない家族にはその力が効かなかったのは救いだった。
ある日、幼馴染の侍女が怒りに満ちた目で告げた。
御落胤を連れてきたのが彼だったと。
あれほどお世話になったというのになんという裏切りでしょう。
この仇は我々が必ず取ります。
そう言った彼女たちの目は一様に血走り、狂気的な光を浮かべていた。
さすがに彼はもう生きていないだろう。
そう考えた彼らは彼の生まれ育った土地を、そしてその土地を治める領主を標的にした。
ヴァルル帝国宰相。ダルヴィマール侯爵だ。
私が止めても無駄だったのはあの時と同じだ。
今では忘れ去られている呪いという技法は、私が少女の頃にはまだ有効な手段としてよく使われていた。
幼馴染はそれを周りの者に伝授した。
足が付かないように無関係と思われる者たちにも。
秋。
宰相家が養女を迎えるという話が聞こえてきた。
西の海の彼方の姫君だという。
孫娘と同じく春の成人の儀でお披露目されると知った幼馴染は、頭から火が出るほど怒り続けた。
姫様は異国でご苦労されたというのに、その娘は諸手を挙げて歓迎されるとは。
決して決して、幸せになどさせません。
必ずや宰相家に一矢報いてやります。
私はその姫君のご無事を祈るしかなかった。
春が来て成人の儀が終わった。
孫娘は翌日その時のことをはしゃぎながら話してくれた。
侯爵令嬢がどれだけすばらしいか。
美しく愛らしくあんなお方と知り合いになりたいと。
下位貴族の我が家では宰相家とのつながりはない。
孫の願いは叶わない。
そう思っていたら、さる伯爵令嬢のお披露目の会で話しかけられたと言う。
従者が刺繡の名手ということで、ぜひ一度刺繡の会に来ていただきたいのだけれどとお願いしたら、従者がこちらの大陸の刺繡に興味があるらしく、日を選んで来てくださると言う。
その日は孫の刺繍仲間が集まり、侯爵令嬢の到着を待っていた。
私は気が気ではなかった。
召使の誰かが姫を傷つけないか。お茶に毒でもいれるのではないか。
我が家でそのようなことが起きればお家取り潰しは免れない。
さすがにそのような愚か者はいなかったようだ。
その後ご令嬢は何度か刺繍の会に来られた。
そこで私は気が付いた。
姫君とその近侍の周りの瘴気。
同じ建物の中にいるからわかる。
幼い頃習った呪いの瘴気だ。
誰かが姫に呪いをかけている。
そしてしばらくして、幼馴染が倒れた。
彼女を見てすぐにわかった。
姫に呪いをかけていたのが誰かを。
それも普通の呪いではない。
他人を媒介にして自分だけは助かる類の物だと。
そしてそれを解呪したのが誰かも何となくわかった。
悔しゅうございます。
あの女を殺しそこないました。
けれど私の息子が必ずや仇を取ってくれるはずです。
そんなこと、私は望んでいない。
私は自分の持つ力を制御することはできない。
ならばせめてそこから発生した瘴気、呪いを何とかできないか。
人を惑わすこの力が、私が無意識に使っている魔法であれば、私の意思でなんとかなるのではないか。
それから私は呪いの塊、瘴気を集めようとした。
老さらばえたこの身では、とても辛いことではあった。
だが、望まぬとも己の力がもたらせたことであれば、始末をつけるのは私でなければならない。
そうやっているうちに、私の周りは瘴気で一杯になった。
私は瘴気に囲まれてまともに動くことが出来なくなっていた。
そんなとき侯爵令嬢が来られた。
「はじめまして。ルチア・メタトローナ・バラ・ダルヴィマールと申します。ファウスティンさんとは仲良くさせていただいています」
一言二言話すうちに、令嬢の顔色がどんどん悪くなっていく。
何事もないかのように振る舞われているが、時折苦し気な顔をなさる。
ああ、この方はご存知なのだ。
ご自分にかけられた呪いの元凶が誰かを。
そしてこの膨大な量の瘴気と私の力に抗っておいでなのだ。
お助けできない。
その時、部屋に充満していた瘴気がフッと消えた。
侯爵令嬢がお帰りになって、しばらくは体も楽になり、すっきりとした気持ちで過ごすことが出来た。
だが夕方、再び瘴気が戻ってきた。
呪い返しだ。
姫君らに取り付いていたものだろう。
その日から再び瘴気を集める日々が始まった。
また日がたった。
孤児院出身者の何人かが病気になったと聞いた。
他人にうつしてはいけないから保護されたと。
またしばらくして、幼馴染の息子が逮捕されたという連絡があった。
宰相家に対する犯罪行為があったと。
ついにその日が来た。
少女だったあの頃と同じように、全てを失う日が来てしまったのだ。
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