第137話  乙女の涙

 アンシアちゃんが私にしがみついて号泣している。

 少し離れたところにはボロボロになったグレイス公爵様。

 そして今なお公爵様を踏み続けている仲間たちがいる。

 なぜかその中にご子息であるグレイス副団長が混じっている。


「お、お姉、お嬢様っ、あたし、あたしっ、もうお嫁にいけないっ !」

「アンシアちゃん、大丈夫よ。少し足に触られただけだもの。その辺の犬になめられただけよ」

「そっちのほうがまだましですっ!」


 訓練場に響き渡るアンシアちゃんの悲鳴。

 そちらを向くと公爵様がアンシアちゃんの太ももをサワサワとなでていた。

 

「ピチピチだな。やはり若い子は肌の張りが違う。鍛えられた良い肉筋だ。希望を言えばもう少し柔軟性があったほうが・・・」

「・・・ !」


 思わず目の前の騎士様を投げ飛ばし、公爵様からアンシアちゃんを引きはがしていた。

 ついでに顎に一発お見舞いしておく。

 

「アンシア、無事かっ?!」

「・・・許せない・・・!」

「親父殿っ、なんてことをっ!」


 男たちの心が一つになった瞬間だった。

 そして冒頭に戻る。



 私たちは今、皇后陛下の応接室にいる。

 近衛騎士団を辞したとき、髪を乱して大泣きしているメイドを見て、すわ近衛騎士団で不祥事がとご注進が飛んだのだ。

 女性問題の総責任者は皇后陛下。

 なにがあったか説明をとそのまま連れてこられてしまった。


「ルチアちゃん、一体何があったのかしら。アンシアはどうしてそんなに泣いているの」

「これには色々と訳が・・・」

「お嬢様は悪くないです。あたしが、あたしが・・・うわぁぁぁんっ !」


 部屋には私たちと副団長。皇后陛下とたまたまお茶に呼ばれていたお方様と、グレイス公爵様の奥方様。

 後は親衛隊の騎士様たちと、陛下の専属侍女と女官の皆さん。

 あ、侍女は生活面を受け持つ人たちで、女官は事務仕事をする人たちです。

 立場としては女官のが上だけど、皇室の身近に使える侍女さんたちのことは、女官の皆さんも敬意をもって接しているそうです。


「バルドリック、説明しなさい。それとあの人はどうして来ないの ?」

「わ、私の口からとても・・・。親父殿は治療中です、母上」


 貴婦人三名は訳がわからないと顔を見合わせる。

 皇后陛下が近くの女官に目で合図をすると、侍女さんが一人私の前にやってくる。


「陛下に直接お返事することは出来ません。私がお伝えしますから、何があったかお話し下さい」


 そうだ。この国ではお許しなく両陛下と会話することはできない。

 昔の日本と同じだね。

 

「グレイス公爵様が私の侍女の太ももをサワサワと触ったのです。ご子息と私の近侍が少しばかりお仕置きしまして、ただいま騎士団で治療中です」


 私が侍女さんの耳に口をあて告げると、わかったと頷いて隣の侍女さんに耳打ちする。

 あれ、直接お話するんじゃないの ?


「私は陛下とお話する資格はないのです。より上位の者がお伝えしますから、ご安心を」


 先ほどの侍女さんが別の侍女さんに、それをまた別の侍女さんが、といった感じで何人かを経由した後陛下の側の女官さんに伝える。

 そして女官さんが陛下に小声で告げる。

 すると皇后陛下が顔を真っ赤になさってフルフルと体を震わせる。


「な、なんて破廉恥はれんちな・・・」

「陛下 ?」

「グレイス公爵夫人、あなたの良人おっとはとんでもないことをしでかしました」


 公爵夫人がハッとして立ち上がり、陛下の前に膝まづく。

 顔が一気に青ざめる。


「よくお聞きなさい。あなたの良人おっとは・・・」


 皇后陛下が口にしたくないと言いたげに、しかし言わなければいけないという意思の元に告げる。


「こともあろうにその見習メイドを押し倒して下着を奪ったそうです !」


 はあぁぁっ ?! 違うしっ !


「それを責められ腹を切り、今は治療院で虫の息だそうです !」


 それってどんな伝言ゲームっ ?!



「ああっ、もういいわっ ! 全員直答を許します ! 普通にお話しなさいっ !」


 こちらの混乱ぶりを見て、皇后陛下が切れた。

 直答できずにどう真実を伝えようかと、全員混乱して身振り手振りでアワアワしていたら、どうやら正しい答えではなかったと気付かれたようだ。

 

「何があったかはわかりました。が、これは最初の話ほどではありませんが、あまりにもひどい。帝国の近衛騎士団としていかなるものか。答えなさい、副団長」

「相手が武器も持たず騎士でもないと知った上での凶行。その上全員返り討ち。さらに団長自らの蛮行。この上は近衛騎士団全員どのような処罰でも受け入れます」


 皇后陛下は額に扇子を当てて大きくため息をつく。


「公爵夫人、あなたの良人おっとが色恋沙汰に疎いことはよく知っています。どうせ目の前にいい筋肉があったから触ってみたかった程度のことでしょう」

「御慧眼、恐れ入ります」

「けれど何もこんな若いお嬢さんにその目を向けなくてもよいでしょう。いくら触りやすい服装だったとしても、です。ボコボコにされても文句は言えませんよ」


 皇后陛下、今ボコボコとおっしゃいました ?


「カジマヤー、あなたは治癒の魔法が使えるでしょう。なぜ公爵様を治して差し上げなかったの ?」


 お方様がアルに訊ねる。

 

「お答えします。治したくなかったからです」

「あら、何故かしら」


 皇后陛下がおもしろそうに聞く。


「直答を許すと言いました。話してごらんなさい」

「・・・閣下の傷を治すのは簡単です。けれど、アンシアの心の傷は治りません。それでは不公平です」


 室内がざわめく。


「私たち男性にとっては触っただけのこと。ですが、ご婦人がどれだけ傷つくかは完全に理解することは出来ません。事実アンシアはお嫁に行けないと言っていますし」

「お嫁に・・・」

「ですから実際の痛みで味わっていただきました。他の方が治療するのは自由ですが、私はご免こうむります」


 女性陣の目がキラキラと輝いている。

 アルを見る目がさっきと違う。

 

 ・・・やだ。


「その若さで女心をそこまで理解しているとは。国の母として、婦人全員を代表して礼を言いましょう。良くぞ懲らしめてくれました」

「恐れ多いことでございます。ですが致命傷になったのは主の一撃ですから」

「あらまあ、ぜひ見てみたかったわ」


 コロコロと笑う皇后陛下と神妙な顔の公爵夫人と子息。


「近衛の処分については宗秩省そうちつしょうと陛下にお任せしましょう。それで公爵家としてはどう責任を取るつもりかしら」


 ハッとして顔を見合わせる親子。

 アイコンタクトで頷き合うと、副団長が私とアンシアちゃんの前に立った。


「父のしたことは同じ男性として許しがたいことです」


 アンシアちゃんは泣き止んではいたが、まだしゃくりあげている。

 公爵子息は私たちの前に跪く。

 女性の皆さんが息を飲む。


「この責任は私の生涯をかけて取らせていただきます」


 そう言って左手から指輪を抜き取る。

 

「一生お守りいたします。この指輪を受け取っていただけますか」


 皆さんがワクワクしながらアンシアちゃんの答えを待っている。

 アンシアちゃんは私やお方様、兄様たちの顔をみて何か言って欲しそうにするが、何が起こっているのかわからない私には何もアドバイスできない。

 アンシアちゃんは意を決した表情で指輪に手を伸ばす。

 そしてもう少しで指が触れるというところで、私にギュッと抱きついた。


「無理っ ! エロ爺の娘になるのはいやっ !」


 副団長はガックリと両手をつき、部屋中にあーあという無言の声が広がった。



「残念だったわねえ。せっかくの機会だったのに」


 ダルヴィマール侯爵令嬢一行が退出し、お茶会のやり直しをしている貴婦人三人。


「はい、陛下。やっとあれが結婚を決意したというのに、まさか父親が理由で断られるとは思いませんでした」

「史上最大の身分差婚になったのに。欲がない子だわね」

「それほどグレイスにされたことが嫌だったのでしょう。可哀そうなことをしました」


 でも、と公爵夫人は続ける。


「あれも夫に負けず劣らずの脳内筋肉族です。一度こうと決めたらやり抜きますよ。十年後にはあの娘はうちの嫁です」

「その時はぜひ我が家ダルヴィマールを使ってくださいませ。養女がもう一人増えるくらいお安い御用ですわ」


 どこの世界でも悪巧みをする親はいるようだ。


「ところでダルヴィマール夫人、あなたのお嬢さん、何があったか分かっていないようだったけれど」

「ええ、すっかり忘れていましたわ。この国の娘なら全員知っていることですから、結婚申し込みの作法は」


 結婚を乞う男は、跪いて自分が身に着けている指輪を渡す。

 親から引き継いだものだったり、家紋が入った封蝋に使うものだったりだが、それを受け取ったところで結婚を了承したとされる。

 どこか抜けてそうな娘だから、早く教えないとあちこちで指輪を受け取りそう。

 皇后陛下はそう言って優雅にお茶に口をつけた。



 ルーとアンシアを馬車に乗せ、扉を閉めて合図をする。

 グレイス副団長は車寄せまでついてきて、改めて謝罪をする。


かさがさね申し訳ない。改めて謝罪に伺わせていただく」

「こちらこそお騒がせをいたしました。それでは我らは失礼させていただきます」


 黒髪の侍従が馬車後部に乗ろうと手をかける。

 王宮の召使たちが頭を下げる中、副団長が侍従に顔を近づけ囁いた。


「おまえ、エイヴァンだな」

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