第90話 アルの実験

 さて、一角猪を屠って三週間がたった。

アンシアちゃんの討伐のチュートリアル。

【食べられる魚を三匹釣ってくる】はまだ達成出来ていない。

 と言うのも、時期的に鮭の遡上そじょうがあるから楽勝だろうと思われていたけれど、予想に反して鮭がまだ戻ってこない。

 そんな訳で、私とアンシアちゃんはまだ川に釣り糸を垂れている。

 お弁当を持ってアルと三人で、朝とおの鐘から夕五つの鐘まで、おしゃべりしながら釣りをしている。

 日焼け防止の麦わら帽つき。どうせ採取のチュートリアルで使うのだから、アンシアちゃんにも同じものをプレゼントした。

「お姉さまとおそろいっ !」

 と、喜んでくれた。私も嬉しい。

 翌日は私たちは領主館で教育。

 アンシアちゃんは自薦他薦の釣り名人のところに行ってコツを教わっている。

 また迷子になったら困るので、ピンクウサギのモモちゃんに付き添ってもらっている。

 街の皆さんも彼女を見かけたら気を付けてくれると言っているので安心だ。

 アンシアちゃん、すっかりヒルデブランドの有名人になった。

 天然方向音痴小娘 (ご老公様命名) として。



 両親が陸上勤務になったので、なんだか家の中がすごくにぎやかだ。

 毎日三人で朝食を食べ、夕食も一緒だ。

 春からは両親ともに学校に入校するから、再来年の春まではこんな生活が送れる。

 不思議な感じがするけれど、これが普通の家族の生活なんだなって思う。

 それとアルのご自宅にうかがってから、双方の親がなんだか仲良くなってしまった。

 週末アルのお家におじゃましてアロイスと遊んだり、お母様とお料理したりするのが定例行事になった。

 アルは前のようにお出かけできないので、ちょっと不満のようだ。

 でも、ずっと一人で過ごしていたから、ワイワイしながらいろいろなことを教えてもらえるのはすごく嬉しい。


「それで、アルのところの犬っころはそんなに大きいのか」

「大きいですよ。私乗れちゃいますもん。お散歩に行ったらスマホ向けられましたね」


 一度アロイスに頼んで乗せてもらったんだ。

 数歩歩いてもらったんだけど、フェンリルにまたがるってこんな気持ちかなって感激した。

 背中を痛めてしまうといけないのでもう乗らない。


「見てみたいな、その犬」

「ああ、あっちでググれば画像は出てくるんだろうがな」


 でも、それはアロイスじゃないもんね。

 なんとか見せてあげられないかな。

 私は机にあった紙を手に取ると、手をかざしてアロイスの姿を思い浮かべてみた。

 部屋に会った大型ソファに寝そべってるところだ。

 一角猪の時にわかった体の中の魔力を手の平に集めていく。

 そして紙にペタンと押し付ける。

 

「できました ! 兄様たち、これがアロ・・・アルの犬です」

「ほお、どれどれ。うぉっ ! なんだ、この大きさは !」

「犬じゃないだろう。フェンリルだ」

「ね。兄様たちもやっぱりそう思うでしょ ?」


 アロイスってライオンくらい大きいんだよね。

 ちっちゃい子とか怖がるから、お散歩は早朝と人通りがなくなった夜遅く。

 この間みたいに昼間に出歩くことはほとんどないんだって。

 びっくりした人が通報しちゃって、おまわりさんがかけつけてしまった。

 怒られはしなかったけど、十分注意するようにと言われた。

 その後はアルが通ってた学校とかお店とかを紹介してもらった。

 楽しかったな。


「ところで、ルー。今のはなんだ」

「え、写真ですが」

「また変な魔法を・・・いや、これは使えるか。今のは思い出して紙に写したのか。思い出せないのは無理・・・」

「デジカメみたいにSDカードに保管するような感じでどうだ。改良すれば人探しなんかに使えそうだ」


 兄様たちと新しい魔法について色々検証していると、アルがおずおずと手をあげた。

 相談があると言う。


「実はアロ、うちの犬が大きくなったのはここ数か月なんです。その前は普通に大型犬でした」

「数か月 ? そんなに簡単に育つものなのか ?」


 数か月ってもしかして・・・。


「アル、それってもしかして・・・」

「うん、君の病院に行き始めたころ。あの頃ドッグランで仲良しだった子が引っ越しでいなくなっちゃって」


 寂しさからごはんを食べなくなって、どんどん痩せてやつれてしまった。

 そこで私にしたのと同様にダメもとで回復魔法をかけてみたそうだ。


「そしたら食欲も元に戻って元気が出てきて、でもそれからどんどん大きくなっていって。もう魔法はかけてなかったけど、最終的にこの大きさにまでなりました」

「うーん、ルーが目を覚ましたのも、復帰が早かったのもアルの回復魔法のおかげというのはわかる。その犬が気鬱から立ち直ったのもそうだろう。だが成長の方は偶然とは考えられないか」


 ディードリッヒ兄様が安易に魔法に繋げるのはどうかと言う。

 あちらで回復魔法をかけてもらったけど、正直魔力なんて全然感じなかった。

 アルは微力な魔力を感じたと言ったけど、夢の世界こちらとは比べようもないくらい効き目が悪かったようだ。


「それともう一つ。これは実際見てもらった方が良いと思います」


 アルは上着を脱ぎシャツの左袖をまくり上げる。

 そしてテーブルにおいてあった短剣の鞘を抜くと、いきなり自分の左腕に振り下ろした。


「あああああ、アルっ、アルっ !」

「なんてことをっ ! 兄さんっ ! 早く魔法をっ !」


 アルの左腕は大きく切り裂かれ、肉の奥に白い物が、多分骨が見えている。

 床には大きな血だまりが出来ている。

 私はディードリッヒ兄様にしがみついてなんとか立っている。


「今、今治すから動くな」

「いいえ、見ていて下さい、エイヴァン兄さん」


 アルは小さく「治って」とつぶやく。

 するとアルの左腕が白く光って、その光が消えると傷ついていたはずの腕は、何もなかったかのように、元の状態に戻っていた。


「おまえ・・・切り傷を治すくらいの回復魔法しか使えなかったはずだろう・・・」

「はい。魔法対決のときにアンシアを治したときに気が付いたんです。あの時の彼女は自分の魔法でボロボロでした。なのに簡単に治せた。僕の魔法の力は以前よりずっと強くなっているんです」


 シャツを整え上着を着たアルがサッと手を振ると、血だらけだった床が一瞬できれいになる。


「それは、現世で魔法を使うと、こちらでの魔力が上がると言う事か」

「わかりません。でも、検証してみる価値はあると思うんです。もしうまくいけば、ベナンダンティ全員の魔力の底上げが可能です」


 冷静に会話している三人と違って、私はまだ震えが止まらない。

 私はなんとか近づいてアルの左手を取った。

 服の上からでも何の傷も残っていないのがわかる。

 アルが無事。

 体から力が抜けてへなへなと床に座り込んでしまう。

 ホッとしたら涙が溢れてきた。


「ルー、大丈夫 ?」


 大丈夫じゃない。

 全然大丈夫じゃない。

 アルが腕を切った。

 血がいっぱい出た。


「もうしないで」

「え ?」

「もうこんなこと、自分で自分を傷つけるなんてことしないでっ!」


 アルが死ぬかと思った。

 いなくなっちゃうかと思った。

 嫌だ、そんなの。

 

「ごめん、ビックリしたよね。もうしない。約束する」

「ホントよ、絶対よ」


 しゃくりあげる私の涙をアルがハンカチで拭ってくれる。

 アルのケガはなおっているのに、私は泣き止むことができなかった。


「兄さん、ルーは・・・」

「ああ、この程度の血であれじゃあ、この先やっていけるか」

「解体も討伐もこなしていましたがね」

「解体はともかく、討伐では一切血を流していない。魔法に頼り切ってるからな。だが、そろそろ血を流すこともおぼえてもらわないとな」

「ではアンシアのチュートリアルが終わったら・・・」

「辛い思いをするかもしれんが、乗り越えてもらわんと冒険者として落第だ」


 おままごとのように慰められる私を見て、兄様たちが何を言っているのか、その時の私には聞こえなかった。


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