第74話 領主夫妻の明るい妄想とキャロットケーキ

  王都オーケン・アロンの昼下がり。

  ダルヴィマール侯爵邸では現領主である侯爵が長い手紙を読んでいた。


「あなた、お茶をご一緒にいかが ? よい茶葉をいただきましたのよ」

「ああ、ありがとう。いただくよ」


 分厚い手紙を封筒に戻すと、控えていた侍従がお盆で受け取りさがる。


「ずいぶんな量のお手紙ね、どちらから ?」

義父上ちちうえからさ。領都がおもしろいことになっているみたいなんだ」

「まあ、また何か始めたのかしら。お父様もいつまでたってもおちつかないこと」


 侍女の入れてくれた紅茶を口に含む。


「これはターネル伯爵のところのものかな ? 確か秘蔵のお茶で一度だけいただいたことがあるが」

「ご名答。これからも定期的に分けてくださるそうよ。そのかわりにね」

「そのかわり ?」

「ピンクウサギの毛皮が欲しいんですって !」


 領主夫人はおもしろそうにケラケラと笑った。

 先日の夜会に持って行ったピンクウサギの房飾り。

 かなりのインパクトがあったのだ。

 領都ヒルデブランドではピンクウサギの飼育繁殖計画が進んでいる。

 ウサギの繁殖力はすごい。だからと言って安売りをするつもりはない。

 ガンガン出し惜しみするつもりだ。


「そういえばそのピンクウサギの功労者のお嬢さんがずいぶん面白い子らしいよ」

「えーと疾風のルーちゃんでしたっけ ?」

「そう、最速のルーとも呼ばれていて、もうへいに上がったそうだ。今年の新人王は確定だね」


 侯爵が茶碗を空にすると、すかさず新しいお茶が注がれる。


「近来稀に見る美少女だと手紙に書いてあった。ちょっと規格外れの新人だと。以前から頼んでいた情報収集役に打ってつけだから、社交界に出られるよう淑女教育の最中だそうだよ。春にはこちらに一緒に来るそうだ」

「ならわたくしも力になれるわね。領都に戻ったらお勉強のお手伝いをするわ」


 領主夫人はウキウキとした気持ちが隠せない。

 なにしろ子供は一人、それも跡継ぎの男の子しかいない。

 つまらないのだ。


義父上ちちうえは孫娘のようだと言ってるよ。セシリアさんの教育の後でお茶をするのが楽しみだと書いてある」

「お父様ったら。でも、だったらわたくしの娘のようなものね。いっそ養女にするのはどうかしら。それだとわたくしも皆さまに紹介しやすいわ」

「養女かあ。そうだね。娘を持てば君との結婚を反対していた義父上ちちうえの気持ちもわかるかな」


 一緒にお茶して、ドレスを選んで。たまにお父様、根を詰めすぎですわ、一休みなさって、とか言ってもらって。

 領主夫妻の妄想は果てしなく広がっていく。

 欲しかったのは娘じゃなくてスパイだろうという突っ込みは、侍従たちの心の中で、静かに消えるのだった。


 ◎


 今日、私は子供たちの英雄になった。


「ルーお姉ちゃん、カーテンきれいにしてくれてありがとう」

「ルーお姉ちゃん、おいしいお菓子をありがとう」

「ドアがピカピカ。宝物みたいね、ルーお姉ちゃん」


 そうだろう、そうだろう。

 この世界ではまだ鉄は武器や農具など以外には浸透していないらしく、金属部分は真鍮が多い。

 真鍮にはピカー〇が一番だ。

 両親も学生時代に強制的に愛用させられたと言っていた。

 今は新しい洗剤がたくさんあるけれど、昔ながらの物も立派に生き残っている。使わない手はない。

 そしてケーキ。

 こちらでも重曹は存在していて、パンやケーキに使われている。

 ただケーキはお砂糖が入っているだけのものが主流で、現世のように凝ったものはすくない。

 だから子供たちが収穫のお手伝いのお礼でもらってきている野菜で人参ケーキを焼いた。

 やはり人参の消費はすくないらしい。

 野菜嫌い多いな。

 卵は別立てにしてふんわりしっとり。

 おいしいおいしいって食べてくれて、人参が入ってるってばらしたら、人参嫌いの子たちが目を丸くしていた。

 母が甘いものが好きだから、祖母に習っていろいろ作ってたんだよね。最初は火を使うのは危ないからって炊飯器だったっけ。

 炊飯器でケーキ作ったって言ったら、そんなこと出来るはずがないって、嘘つき呼ばわりされたなあ。


「ルーさん、ありがとうございました。綺麗にしていただいただけではなくて、こんなにおいしいお菓子まで。子供たちは大喜びです」

「どういたしまして。お役にたててうれしいです。また機会がありましたらうかがいますね」


 尼さんも子供たちも嬉しそうなので、私も嬉しい。

 大冒険するだけが異世界じゃない。

 ちゃんとした暮らしがここにある。

 大切にしたい世界があるって、なんて素敵なんだろう。

 一切れだけ残しておいた人参ケーキを持って、私は孤児院を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る