第12話 花子さんは……お姉ちゃん?

 隼人とトイレの前で別れ、花子は階段付近まで戻って来ていた。途中警備員とすれ違った時に、どこか隠れるところが無いか焦って探したが、自分の姿が見えないことを思い出し、警備員の横を素通りして今に至る。


「ガキーどこに逃げたー!」


 通り過ぎて行った花子の後方から、警備員の怒鳴り声が校舎内に響き渡る。

 花子も隼人も悪いことは何一つしていないのだが、最終下校時刻を過ぎた時間の、しかも先日小火騒ぎがあった場所で侵入者を発見したのだ。たとえ悪行を働いていなくても、このような荒々しい口調になってしまうのは仕方がないかも知れない。


『さてと、どうしようかな? 一番無難なのは音を出すことよね? でもどうすればいいかな?』


 花子がどうやって警備員の気を惹くかを考えている時、トイレ近くの廊下から低い唸り声が聞こえてきた。

 確認するまでもなく、あの警備員だ。


「足音が聞こえない……ってことはこの辺に隠れてるな?」


 どうやら隼人の居場所の目星が付いたようで、そう呟いた警備員の声が静かな廊下に木霊する。


『あ、マズイ。早くしないと』


 隼人の危機に花子が焦り、立てた指を口元に当てて『えっとぉ』や『う~んとぉ』などと呑気に考えている辺り、やはりこの花子はかなり残念な幽霊なのかもしれない。


「トイレか、それともさっきの階段下か……だな。どちらから行こうかな」


 警備員が選択肢を絞り、視線の先にあるトイレと過ぎ去った階段の方を交互に見ている。一瞬だが花子と視線が合ったような気がするが、当然花子の姿は警備員の目には映らない。

 視線が合った気がして口を両手で塞ぐ花子だが、見えていないことを思い出し、中断していた考えを再び巡らせる。


「トイレから調べるか」


 どうやら警備員の選択肢は決まったようである。


『階段下に誘い出せばいいかな? あ、でもそれだと隼人が抜けられなくなるから、上かな。あれ? でも既に逃げられたことにすればいいからやっぱり下?』


 しかしそんな状態でも花子のマイペースは変わらず、未だにどうしようか考え、悩んでいるようである。

 警備員がトイレへと歩を進め、扉の前で一度立ち止まり大声で叫ぶ。先ほど隼人を見つけた時よりも、更に低く唸るような声である。


「おいクソガキ! 今から中を調べる。もし隠れていても時間の問題だ。今なら許してやる。おとなしく出てきやがれ!」


 これは警備員なりの最終勧告だろう。口では「許す」と言ってはいるが、その口調や態度から、今出て行けば間違いなく警察沙汰にするだろうことは、手に取る様に分かる。


「やべぇ……このままじゃ見つかる」


 当然隼人もそれが分かっているのだろう。トイレの個室に隠れながら息を潜める。そして同時に焦っていた。

 警備員の言う通り、このままではいずれ見つかってしまう。しかし、今出ていく事は出来ないのは当然である。今は花子を信じて待つしかない隼人であった。


「さて、奥から行こうかなぁ」


 トイレの入り口を開け、低い声を上げながら警備員が中に入ってくるのが気配でわかる。どうやらトイレの個室を奥の方から調べるみたいだ。

 このままでは、あと数十秒もすれば隼人の隠れている個室に辿り着いてしまう。


「チ! 次だな」


 最奥の個室が開けられ、中を確認したが当然誰もおらず、悪態を付いて次の個室の前に移動する警備員。


「ここでもないか。次だな」


 隼人が隠れている隣の扉が開かれ、誰もいないことを確認したようだ。


 ――やべぇ……次だ。


 正に万事休す。隼人には警備員が扉の前に立ち、ドアノブに手を掛けるまでの時間が異常にゆっくりと流れているように感じられた。

 ドアノブが半分ほど回ったところで、


『ガラァァン……』


 突如トイレの外から何かが倒れる乾いた音が響く。


「ん? 階段の方か!」


 その音にドアノブを回していた手を止め、トイレの外に警備員が出ていく気配がする。


「ふぅ……助かった」


 警備員が出て行ってから数十秒後、隼人が一人呟く。隼人の額は今までにないほど汗ばみ、背中にも気持ちの悪い汗が滲んでいる。

 心臓は早く高鳴り、その心臓の音がトイレの無音空間に響いているようにさえ錯覚する。


 ――どうやら花子さんが上手くやってくれたみたいだな。


『隼人、いる?』


 隼人が一息ついているところに花子が姿を現す。

 先ほどまでの緊張の影響もあってか、花子の出現に一瞬心臓が高鳴るが、深呼吸して落ち着かせ、隼人が口を開く。


「あぁ、助かったよ。警備員さんは?」


 ――一瞬心臓が止まるかと思ったけどね。って言うか遅くないか? まぁ助かったから別に良いけどさ。


『たぶんだけど、階段下に向かったと思う。たぶん逃がしたと思ってるんじゃないかな?』


「そっか、ありがと」


『ふふ、気にしないで!』


 隼人の礼に花子が笑顔で答える。


 ――はぁ、さっきまでのわだかまりがこの笑顔だけで消えちゃうのが不思議だ。って、もしかして俺ってかなりチョロイ? いやいや、たぶん花子さんは誰にでもこの笑顔のはずだ。ってあれ? 今花子さんの笑顔を見ることが出来るのって……俺だけじゃね? ってことは……いや考えない様にしよう。


 隼人の思考が別の方向に向き始めたのを無理矢理修正し、花子を縛り付けていた本をトイレの給水タンクの裏に隠す。


「とりあえずこれで一件落着かな?」


『とりあえずね』


「それじゃ、俺帰るね!」


 ――さっきので警備員さんは近くにいないと思うけど、帰る時には気を付けないといけないな。昇降口からは……出れないよな。そしたら一階の窓から抜け出した方が良いかも知れない。明日の通学に使う靴は……ま、何とかなるだろう。


 隼人がこれからの事に腕を組み、考えを巡らせていると、


『え?』


 花子が疑問の声を上げる。


「ん?」


 その花子の声に反応し、隼人も疑問の声を返す。

 顔を上げれば驚いた表情をした花子と視線が合い、時が止まった。時間にして十数秒だろうその時間は、隼人にとって何分にも、何十分にも長く感じられた。

 その長い時間に思考も止まっていた隼人だったが、はっとして我に返ると花子と視線を外し、停止していた時間を無理矢理に動かした。

 しかし、視線を外してからもまた長い時間が流れ、次に時間を戻したのは花子の声であった。


『あの……さ、もう少しだけ、一緒にいちゃダメ?』


 そう呟いた花子の姿は、視線を外している隼人からは確認することは出来ないが、上目遣いで隼人を覗き込んでいた。

 その花子の口から紡がれる言葉は、いつもよりも濃密さを増し、隼人の心に絡みつくような甘さを秘めている。


「何でそんなに甘え口調なの?」


 ――出来たらその口調、やめてもらえるかな? でないとマジで【花子さんルート】に嵌っちゃいそうだから! 勘違いして告白しちゃいそうになるから! 自意識過剰ルートまっしぐらだから!


『……ダメ?』


 ――ダメです! だからそんな風に甘えた口調で話しかけないでもらえますか!


「はぁ……少しだけね!」


 心の中では拒んでいた隼人であるが、感情まではコントロールしきれなかったみたいで、花子のお願いを聞いてしまう。


 ――最近の俺、花子さんに甘いな。最近ってまだ一週間ぐらいだけどね。


『ありがと! お姉ちゃん嬉しいぞ! ご褒美だ』


 そう言うと花子が隼人を抱き寄せ、その顔を自分の胸に押し付ける。思春期の男子高校生には危険な柔らかさと甘い香りが隼人を襲う。


「……花子さん、胸に埋めないで!」


 ――いやもう本当やめてください。じゃないとマジで勘違いしちゃいますから。俺でなければ今頃花子さんに告白してますよ。それで『私幽霊だから付き合えないの。ゴメンね』ってフラれる結末が見えるんですけど!


『サービスだよ! 隼人のおかげで助かったんだから! えい!』


 一度はその危険地帯から抜け出した隼人であるが、花子の攻撃は一向に収まらず、むしろ攻撃力を増加させて隼人の理性を攻撃する。


「でもさすがに恥ずかしいよ」


 まだ理性を保っている隼人が今の正直な感想を花子に伝える。

 しかし、恥ずかしいとは言っても、今ここにいるのは隼人と花子だけである。一体に何に恥ずかしがっているのか、と言われれば今の隼人には答えることは出来ないだろう。


『まぁ良いじゃない! サービスサービス! どう? 私に抱きしめられた感想は?』


 花子による最後の攻撃は、耳元への攻撃であった。

 最初は明るくふざける様に言い、


『今日は……ありがとう』


 続く言葉は優しく静かに呟く。


「……あったかいよ、花子さん。姉ちゃんみたい」


 この攻撃に、ギリギリのラインで理性を保っていた隼人もついに陥落したようだ。

 自分を抱きしめる花子を抱きしめ返し、花子と視線を合わせてそう伝える。


『えっと……、そう? それならお姉ちゃんって呼んで良いんだよ!』


 隼人の反応に恥ずかしさがこみ上げたのか、一瞬言葉を失う花子であったが、すぐにいつもの調子を取り戻し、ふざけた口調で隼人に話しかける。

 この花子の態度は多分、照れ隠しだったのかも知れない。そのことを読み取ったのか、隼人がゆっくりと口を開く。


「……そのうちね」


 ――え? もしかして俺、今とんでもない約束をしてない? 出来ることなら今の無かったことにしてほしいんですけど……。


『約束だよ!』


 ――いや、だからその辺は察してくれても良い気がするんですが……って今更言っても無理だよな。


 隼人が無理と判断した理由は簡単である。それは目の前の少女の目がキラキラと輝きを放っていたからである。


『いつ?』


「家族に紹介する時……かな」


 そんな目を向けられたら大抵の男子生徒は頷くことしか出来ないだろう。そしてそれは隼人も例外ではなく、ゆっくりと頷きそう答えたのである。


『それっていつ?』


「いつの日か」


『じゃあ、期待しないで待っとくね』


 ――そんな目を向けられたら、何とか実現させたくなっちゃうよね? これは俺だけじゃないよね? あれ? でも今花子さんを見ることが出来るのは俺だけだから、結果的には俺だけってことになっちゃう?


「了解! それじゃそろそろ良い時間だから帰るね!」


 隼人がスマホを取り出して時計を確認すると、時刻はまもなく19時30分になろうとしていた。花子と約束をした時間から、わずか30分程度しか経っていないことになる。

 そのことに隼人自身も驚くが、それだけいろいろなことがこの三十分間に発生したという事だろう。


『……うん』


 隼人の別れを告げる言葉に、一瞬悲しい表情を浮かべてそう呟く。


「……帰ったらライン送るから」


『わかった!』


 後ろ髪を引かれる思いで花子に別れを告げると、計画通り一階の窓から外に脱出することに成功し、普通の生徒よりもかなり遅い下校をする隼人であった。

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「新説? 幽霊日記」トイレの花子さんは……女子高生!? やざき ねこ @ta9bo-

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