第9話 小さな英雄……誕生?

 2017年4月9日(日)19:10


 隼人の学校の最終下校時刻は18時30分である。それ以降は教員や職員も退室し、学校内は誰もいなくなる。

 学校に到着した隼人であったが、当然校門は閉まっており中に入ることはできなかった。


「だぁくそ! 校門が思いのほか高い」


 そしてその隼人の目の前には、跳んでも届かないほど背の高い校門が立ちはだかり、侵入を拒んでいた。


 ――もう少し。あともう少しで届きそうなんだ。何かしら踏み台さえあれば届く。


「そうだ、チャリを踏み台にすれば」


 身長で足りない部分を乗ってきた自転車を踏み台にすることでクリアし、なんとか校内に入ることに成功する。

 花子のトイレの窓から侵入し、奥から三番目のドアを乱暴に叩く。


「花子さん! どこだ? 返事してくれ!」


 しかしいつもなら明るい返事が帰ってくるはずなのに、隼人の声は静かなトイレに響くだけであった。


「くそなんで返事が聞こえないんだ? ……そうか図書室!」


 二度三度同じことを繰り返し、全く返事がないことに不安が更に高まるが、花子との会話から図書室にいることを思い出し、トイレを出て図書室まで全力で走る。

 図書室の前に到着し、ドアを開けようとする隼人であるが、


「だぁくそ! 当然だけど鍵が掛かってやがる! 仕方ねぇ!」


 最終下校時刻を過ぎているため、当然ながら図書室は鍵が掛かっていた。

 その図書室に入るため隼人が行った行動というのは、


「オラァ!」


 図書室のドアを蹴破ることであった。

 ドアが木製だったから簡単に開けることが出来たが、これがもし鉄製のドアだったら確実に怪我をしていただろう。

 花子を助けようと今はそのことが頭にないのだろうが、隼人にとっては初めてのことであることを本人は気づいていないようである。


「花子さん! どこだ?」


 蛍光灯のついていない暗い図書室に入り、花子の名前を呼ぶ。

 先ほどの地震の影響だろうか、本棚がところどころ倒れているのが目に入る。

 中には図書室の閲覧机に倒れ、中からヒビが入っている物もある。先ほどの地震がかなり大きかったことを改めて認識できる光景であった。


『隼人? 来ちゃダメ! 逃げなさい!』


 倒れた本棚の奥から隼人の名前を呼ぶ花子の声が聞こえ、隼人の呼びかけに答える。

 花子の声から焦りの色がにじみ出ており、状況の悪さをうかがい知ることが出来る。


「花子さん! くそどこだ?


 声の聞こえた方を必死に目で追うが、部屋の暗さも影響しており花子の姿は発見することが出来ない。


「声が聞こえるのに何で見えねえんだ?」


『隼人逃げなさい!』


 隼人にきけんが及ばないよう、花子が逃げるように叫ぶ声が図書室の中に響く。どうやら花子の声は、隼人の右斜め前にある本棚の奥から聴こえてくるようである。

 見れば視線の先が仄かに赤く光っているように見える。それも血の様に赤く光っている。目を凝らさなければ光っていることにも気づかないかもしれない。

 しかし、一度気づいてしまうと目が離せないような、そんな不思議な力を持っているようである。


「あの辺……何で?」


 直感的にその場所に花子がいることが分かるが、何故花子の姿を確認できないか疑問に思う隼人だが、ハッとして理由に気づいたように顔を上げる。


「そうかノック三回! 近くのドアっぽい……本棚で代用出来るか!」


 隼人の考えは半ばただの思いつきである。しかし、それでも行動せずにはいられなかったのは、花子の事が心配だからである。


「花子さん! 遊びましょ!」


 図書室にいつもよりも重い木製の音が三回響く。


『隼人! 逃げなさい! 今すぐ逃げるの! コイツは危険よ!』


 その音に反応して花子が答える。しかし、その言葉は隼人を迎え入れる言葉ではなく、きけんを知らせるためのものであった。


「何言ってるんだ? 約束しただろ!」


 しかし、隼人の頭の中には花子とした#ある__・・__#約束のことが脳裏をよぎっていた。


『約束?』


 花子とした約束、それは必ず守らなければいけないほどのものではなく、ごく普通の軽い約束事である。


「月曜日、会いに来いって! そのぐらいの約束も守らせないで、何がお姉ちゃんだ!」


 しかし今、隼人が行動をする理由には十分すぎる意味があった。


『……』


「だから返事をしてくれ!」


 再び本棚を三回叩く音が響き、続けて隼人が決まったセリフで呼びかける。


「花子さん! 遊びましょ!」


 その声は既に呼びかけというよりも、もはや叫びである。


『……隼人』


 花子が小さく呟く。その呟きは隼人の耳には届くことはなかった。


「花子さん! 遊びましょ!」


 三度本棚を叩く音が図書室に響き、隼人の叫びが暗闇に溶けて消える。


『隼人……はーい! 遊びましょ!』


 花子が再び呟き、一度隼人の名前を呼んでから返事をする。いつもと同じ、明るく朗らかな花子の声が図書室の空間を伝って隼人の耳に届く。

 その声が聞こえた瞬間、


「オラァ! 花子さん!


 隼人が目の前にある本棚を蹴り飛ばし、赤紫色の光を放つ場所に視線をやり、花子の名前を叫ぶ。


『隼人!』


 花子はいつもどおりの茶髪にミニスカートで隼人を迎え入れた。しかし、その花子の眼前には黒い物体が存在していた。

 しかし、それは花子とは全然見た目が違っていた。長い髪の毛の下には白く鋭い目が光り、くちからは日本の牙が長く生え、全体を黒い靄のようなものが纏わりついている。

 花子は確かに幽霊であるが、どちらかといえば人間味が残った幽霊と言えるだろう。それに対して目の前の悪霊は自我というものが感じられない。


「これが……悪霊? 花子さんと全然違う」


『完全に自我が崩壊してる! 隼人逃げて!』


 初めて見る悪霊の姿に足がすくみ、隼人が思考を停止させているところに、花子の叫び声が聞こえる。


「花子さんも一緒に!」


 その花子の言葉に思考を再稼働させ、花子を助けるべく隼人が手を伸ばすが、


『無理なの! なぜかここから離れられないの! だから隼人だけでも!』


 なぜか花子はその場所から離れることができないようである。見れば花子の足元にある本から、触手のようなものが花子に纏わりつき、花子を離すまいと接着剤の如くくっついていた。


「バカ言うな! 俺は約束は守るし、守らせる質なんだ! だから俺は明日絶対に花子さんに会いに行く!」


 隼人が叫び花子の手を握ると、強引に自分のもとに引き寄せようとするが、花子が伸ばしかけた腕を自分の胸に引き寄せ、隼人の伸ばした手を拒む。

 その花子の行動に眉根を寄せる隼人だが、


『悪霊に呪われたらどうするの? 最後に会えて良かった。私のことはもう良いから早く逃げて!』


 花子の口から拒んだ理由が紡がれる。その花子の瞳が涙に潤み、歪んだ微笑みを隼人に向ける。花子の目から涙が頬を伝ってながれ、雫となって図書室に滴り落ちる。


「うるせぇな! 可愛い女の前でくらい、格好つけさせろ!」


 ――そうだ。可愛い女の子の前でくらい格好つけてもいいだろ。そのために学校に来んだ! 花子さんの名を呼んだんだ! 決して最後の別れを言うためじゃない!


『……』


 隼人の言葉に花子が目を見開いて口に手を当て、隼人の目をまっすぐ見つめて言葉を失う。


「なんでだ? どうして連れ出せないんだ?」


『分からないの! この本から離れられないの!』


 隼人が再び手を伸ばして花子の手を取り、花子を連れ出そうとするが、どんなに力を込めても本が花子を捉え放そうとせず、目の前の悪霊は徐々に二人に近寄ってくる。

 その距離が残り数メートルに迫った時、隼人の頭に一つの考えが思い浮かぶ。


 ――本が花子さんを放さないなら、根刮ぎ移動させる!


「この本を持ち出せば……」


『触れちゃダメ!』


 隼人の頭に浮かんだ考えは、花子をその場から連れ出すのではなく、花子を捉えてる本ごと移動させようというものであった。

 しかし隼人が自分の考えを行動に移そうとした直後、花子がそれを制する。


「どうして?」


 花子の行動に隼人の口調が荒くなり、目の前の花子を見上げる。


『その本、既に瘴気に犯されてる。隼人が触ったらきっと呪われる!』


 ――呪われる? 悪霊になったら呪いの力が使える、って前に花子さんが話してたけど、この本に触ったらこの悪霊に取り憑かれるってことか?


「じゃあどうすれば?」


『もう良いから逃げて!』


 ――考えろ、考えろ! 悪霊の対抗手段は……!


 隼人が本を取り上げようとした姿勢のまま、どうすれば良いか考えを巡らせる。

 ゆっくりと悪霊が二人に近寄り、二人までの距離が残り二メートルまで迫った時、今日の昼間に祐一から聞いた言葉が隼人の頭を過る。


「寄り代となってる物を……壊す……」


 顔を上げ、悪霊の寄り代となっているものを探すべく視線を左右に向けると、花子を捉えている本の後方に赤黒く光を放っている黒い装丁の本が開いているのを見つける。


「あれか!」


 ――確かポケットにジッポライターがあったはず。


『隼人、何でそんなの持ってるの?』


「あとで説明する! 今は……」


 隼人がジッポライターに火を点け、悪霊の寄り代になっている本に向かって狙いを定める。


「奴を倒してからだー!」


 赤黒く光を放つ本目掛けて火の点いたライターを投げる。

 隼人の投げたジッポライターは、その小さな火を消すことなく数回上下に回転し、狙った本の上に音を立てて落下し、徐々にその火の勢いを大きくさせる。

 浄化の火は本を燃やし、花子に手を伸ばそうとしていた悪霊を包み込んだ。


「……倒した?」


 音もなく悪霊は二人の目の前から消え、隼人が呟く。


『多分……』


 その呟きに花子が答え、隼人に視線を移したあとに涙を目に溜めて笑顔を向ける。


『隼人……ありがとう。ありがとう』


 目の前の隼人を抱きしめ、今度は遠慮せずに泣きながら隼人にお礼を言う花子。


「いやぁ対処方法聞いといて良かったぁ……って」


 花子を抱き返し一息ついていた隼人であるが、視線の先にある火に異変が起きていることに気付いたようである。


『ねぇ隼人……おかしくない?』


 隼人の怪訝な声に花子も振り向き、その異変に気付く。


「あぁ、何でこんなに燃えるんだ?」


 隼人のてから放れたジッポライターであるが、悪霊の寄り代となっていた本を燃やしたまでは良かった。

 火は燃やすものがなくなった場合、徐々に小さくなるはずである。しかし、本を燃やした火は小さくなるどころか、徐々に大きくなりつつあることに隼人が気付いたのである。


『ねぇ……あの隣の部屋から出てる液体、何?』


 花子が指差し、隣の部屋から流れ出ている液体が萌えていることに気付く。


「えっと確か隣は……化学準備室!」


 地震の影響で隣の部屋でも棚が倒れ、その中身が漏れ出しているのだろう。そしてその流れ出していたものは、


『じゃあ……もしかして』


「化学実験に使う薬品……流れてるのはもしかして……アルコールランプかな?」


 理科の実験などによく使う、馴染みのある器具。特に小学校時代から色々と実験の際にはお世話になったであろう、アルコールランプの中身であった。


『まずくない?』


 花子が抱き合っていた隼人と視線を合わせ、ボソリと呟く。


「非常に……マズイ。逃げろ!」


 その花子の言葉に隼人がとった行動は、この場から逃げることであった。それは当然のことながら、犯人と疑われないためである。

 もし隼人にやましい出来事がなかったとしても、ここにいればその場から逃げ出すだろう。


『ダメよ! 火事になるでしょ? 今ならそんなに火が大きくないから消せるよ! 廊下の隅に消化器あるから!』


 逃げようとする隼人の腕を引き、自分の顔を隼人に急接近させて怒った表情を見せる花子は、今ならまだ消せると隼人に言う。

 火が炎となりつつある中に映し出された二人の影は、姉が弟を叱りつけているそれに見える。


「よ、よし!」


 有無を言わせない花子の言葉に、隼人が廊下に出て消化器を持って戻ってくる。


「間に合ったか?」


『結構やばいよ! 早く隼人!』


 ――えっと、どうやって使うんだっけか? 確かこのピンを外して……と。


「喰らえー!」


 消化器から霧状の消火剤が図書室中に充満し、勢いを増していた炎と眩しいまでの光を消し去った。

 その様子を確認した花子が、


『間に合……った?』


 短く呟く。家事が大きくなる前に消化に成功した。


「いや、手遅れだろう」


 しかし、消化した本人は浮かない顔をして花子を見つめる。


『何で? 火は消えたよ』


 隼人の言葉に疑問を抱き、何が手遅れだったのかを花子が尋ねるが、その答えは簡単なことであった。

 それはすなわち


「防災ベルが……」


『あ!』


 防災ベルがけたたましく鳴り響き、学校の前に消防車が集まりつつあったからである。


 2017年4月8日(日)19:30


 悪霊を浄化し終えてから二十分後、隼人は警察官に拘束され、事情聴取を受けていた。


「それで、どうしてこんなところにいるのかな?」


「えっと……」


 ――なんでこんな目に合わなくちゃいけないんだ? 俺があいつを祓わなければ今ごろこの学校は……どうなっていたんだろ? いやそれよりも何よりも、今はこの場をなんとかしないといけないんだけど、何も思いつかん。


『隼人! 私の言うとおりにして!』


 答えに困っている隼人に、花子が耳元で囁く。

 もっとも、花子が大声で話したところで、目の前の警官には何も聞こえないのであるが。


「花子さん?」


『大丈夫。私の声はほかの人に聞こえないから』


「ん? どうしたのかね? なんで君はこんなところにいるのかな?」


 いよいよ行動が怪しくなってきたのか、警官が語気を強めて隼人に詰め寄る。


『近くを通ってたら火の手が見えて』


「えっと……ですね、近くを通ってたら火の手が見えて」


 花子の言うとおり、隼人が言葉をそのまま複写して口にする。


『火事になったらまずいと思って窓を割って入りました』


「火事になったらまずいと思って窓を割って入りました」


 ――え? それってかなりマズイ行動じゃないの? 花子さん大丈夫? このままだと俺、悪ものになっちゃうよ。


『廊下の隅にある消火器を持って現場に駆けつけたら』


「廊下の隅にある消火器を持って現場に駆けつけたら」


『思ったより火の手が早くて、急いで消化しました』


「思ったより火の手が早くて、急いで消化しました」


「……なるほど」


 隼人の言葉を聞き、まだ完全には納得していないと言った表情で警官が厳しい視線を向ける。しかし、直前の地震のことや発火場所が化学準備室ということもあり、隼人の言葉が嘘か本当か決めかねているようである。万に一つもない


 ――多分もうひと押しすればなんとかなりそうだな。ライターは花子さんに持ってもらってるから見つかることはだろうしな。


「自分の学校ですし、知らんふりは出来ませんから」


 ――まぁぶっちゃけ俺の学校が火事になろうが全然構わないんだけどな。むしろ火事になってもらった方が、学校を公に休めるから嬉しいまであるんだが……。


「……いきさつはわかった。まぁ小火だったからよかったが、でも危険だったことは間違いない。君が巻き添えになったらどうするつもりだったのだ?」


「いや、それは……すいません」


 隼人のダメ押しが効いたのか、警官はひとまず納得したようである。そして隼人の行動に対しての注意をする。


 ――まぁ、確かにその通りですよね。はい。


「ふむ、とりあえず君のおかげで大事にならないで済んだ。そのことについては我々としても嬉しい。明日には生徒のみんなに通達されると思う。あとは先生の言うことをよく聞いて行動するようにね!」


 とりあえず警官は隼人のことを解放することを決めたようだ。


「は、はぁ」


「じゃあ今日はもう帰っていいよ」


「え?」


「何か忘れ物でも?」


 ――わすれものって訳じゃないんだけど、花子さんをどうしようか?


「えっと……」


 花子の事を心配して視線を向けると、花子が片眼を瞑って隼人に優しく話しかける。


『大丈夫! 後でラインちょうだい!』


 その言葉で安心したのか、隼人は警官に一つ頷くと


「いえ、大丈夫です。ご迷惑をおかけしました」


 一言謝罪の言葉を言ってから花子にもう一度視線を送り、その場を立ち去るのであった。

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