第8話 もしかして……悪霊?

 2017年4月9日(日)19:00


 隼人は日比谷の家から帰宅し、夕飯を食べてからスマホをいじっていた。

 いつもなら何かしらのゲームやウェブサイトを覗いているところだが、今日は何故かそんな気分になれなかった。

 原因は今日、花子と会えなかったことである。そのことに


「はぁ。なんだろ? 何もやる気が起きない」


 ――と言うよりも、何をやっても物足りない気がする。それに胸の奥がなんだか痛い気がする。病気かな? ってそんなわけないよな。


 どうやら当の本人は気づいていないようである。

 隼人は決して鈍感な男子高校生ではない。しかし、過去のトラウマからわざと鈍感な男子を演じているのだ。

 そしてその演じる期間が長ければ長いほど、その演じている人物を本当の自分だと勘違いする。長い人生の中から振り返ってみれば、大した事はないかも知れない。だが、高校生と言う立場で、小学校、中学校という九年間を演じていれば、それが当然の様になってくるものである。

 それゆえに隼人は自分の気持ちを偽っていたのだが、花子の事を考えた時に訪れる胸の痛みは自分の中で説明出来ないままである。


「花子さん、今何してるかな? 電話かけてみよっかな」


 スマホの画面をいじりながら呟き、今日会っていない自分の学校の地縛霊に電話を掛けるかどうか迷っていた。

 いや、既に隼人の中では決定事項のようであり、ライントークの一番上に表示されている名前をタップする。

 最近イタズラと思われるようなラインを送ってきた相手とのトーク画面を開き、無料通話ボタンをタップする。

 通話口を耳に当て、数回の呼び出し音を聞いたあと呼び出し相手が応答する。


『隼人? どうしたの?』


『いや、特に理由は無いんだけど、今何してるかな? って』


 ――まさかただ暇だから掛けたとはさすがに言えないよな。こういう時、女の子ってどう言われたら嬉しいんだろ? やっぱり「声が聞きたくて」とかにすれば良いのかな? いやさすがにそれは気障すぎるか。


 花子の声を聞いた瞬間、胸に詰まっていた痛みが解消されているのだが、どうやら隼人自身はそのことに気付いていないようだ。

 演じ続けた九年間のしがらみと言うのは、なかなか取り除けるものではないようだ。


 自分のことを頭の中で軽く自虐し、次からどう言ったら喜んでもらえるかを考えていた隼人だったが、


『校内に誰もいないから、とりあえず近くの図書室で本読んでるよー!』


 またしても明るい声が聞こえ、そんな思考はどこかに吹き飛んでしまった。代わりに別の事が頭に浮かぶ。それは、


『ポルタ―ガイストじゃねぇか! 誰かに見つかったらどうするんだよ?』


 これである。

 もしも今、花子の近くに誰かいた場合、図書室の本が勝手に捲られていくのが見えたことだろう。

 言うまでもなく、怪奇現象に見えたはずだ。


『大丈夫大丈夫! 図書室には隠れるところたくさんあるから! それに誰もいない学校って足音が響くから、誰か来たらすぐに隠れるし!』


 だがその原因を作り出している通話口の相手は、あっけらかんとした快活な声で隼人の不安を取り除く。

 ただ、その内容が内容だけに顔をしかめる隼人である。なぜなら


『はぁ……人間から隠れる幽霊ってどうなんだろ?』


 これだからである。

 本来ならば幽霊といえば人間を驚かしたり、悪霊であれば悪さをするはずだ。

 それなのにその人間から隠れる幽霊は、残念という他ないだろう。恐らく隼人も同じ結論に至ったはずだ。ため息と共に一人つぶやくのである。

 そこまで考えてから、何かを思い出したように顔を上げて花子と視線を合わせ「あれ?」と口を開く。


『そう言えば、花子さんってトイレから出られなかったんじゃないの?』


 昨日花子は自分の口から『地縛霊』と言った。それならばトイレからは動けないはずである。地縛霊ならば、その場に縛り付けられて動けないというのが常識だ。

 それなのになぜ花子は今、トイレから離れ近くの図書室にいるのだろうか。

 そう思った隼人の疑問に電話口の花子が「えっとね」と続けて言う。


『基本的にはそうなんだけど、それは生きてる人の「意識」があるからだよ。私たちは聖域って呼んでるけど。今日は日曜日で人がいないし、聖域の範囲が狭いからある程度動けるんだ』


 花子が口にした「聖域」はつまり、生きている人間の意識が多い場合、姿が見られても「気のせい」と思われることが多く、それにより花子が悪霊化するリスクが高まることを言っているのかも知れない。

 それが今日は日曜日だからある程度出歩くことが出来るのだという。


『だからトイレの隣にある図書室ぐらいなら行けるってことか……どんだけ自由な地縛霊なんだよ。ちなみにどんな本読んでるの?』


 残念感がこみ上げ、素直な感想を漏らしてから花子の趣味が読書であることを思い出し、何を読んでいるのかを聞く隼人。

 尤も趣味が読書であることは自己申告であるため、本当なのかどうかは不明であるが。


『今はね「学校の怪談」だよ!』


『シュールすぎるだろ』


 またしても残念感がこみ上げ、自分のスマホに向かってボソリと呟く隼人であるが、花子は気にした様子はなく、読んでいた本の感想を語りだした。


『でもこうして読んでみると、私の先輩はみんな悪い人だったんだねぇ』


『しみじみ語るな! あと少し遅かったら、花子さんだって危なかったんだろ?』


 読んでいる本に載っている「トイレの花子さん」が、どういう悪さをしたのかはわからないが、学校の怪談で一番有名な幽霊である。

 大体想像はできるというものだ。


 ――まったく、小学生の頃に読んだ花子さんは、見つけた子供をトイレに引き込んで霊界に連れて行くような悪さをしてたはずだぞ。それなのに俺と会話している花子さんは、人間から隠れ、誰もいない図書室に行って、恐い話が載っている本を読んでいるって、どれだけ残念なんだ? それに俺が見つけなかったらそいつらの仲間入りだったんだけどな……。


『あ、そうか! そしたら先輩たちはみんな悪霊になっちゃったのかな?』


 隼人の言葉を聞いて、自分のことをすっかり忘れていたようである。

 二人が出会うのがあと一週間遅ければ、花子もめでたく悪霊の仲間入りしていたのだ。図書室にある本の内容から、花子が頭に浮かんだ感想を隼人に聞いてみるが


『知らん』


 そっけなく答える隼人であった。


 ――学校の怪談に載っている幽霊は、基本的に悪さしかしないんだから悪霊になってるんじゃないのか。それぐらい想像できると思うんだけどなぁ。


『アハハだよねー』


 隼人の答えに乾いた笑い声を上げる花子。その声色がやや寂しそうに聞こえ、さすがの隼人も失言と思ったのか、謝ろうと口を開くが、


『あれ?』


 突然声色が険しいものに変わる。


『ん? どした?』


 その花子の言葉を怪訝に思い、隼人が聞き返す。


『揺れてる? 地震かな?』


 花子が何気なく呟く。


『あ、本当だ。結構大きい』


 その言葉を聞いたあと、隼人も地震にすぐ気付いたようである。部屋の本棚から数冊の本が落下し、体感している揺れがだんだんと大きくなる。


『うん……きゃあ!』


『花子さん! どうしたの?』


 突然聞こえる花子の悲鳴。

 その悲鳴を聞いた隼人がスマホに向かって叫ぶ。


『……』


『花子さん! 花子さん! 返事をしてくれ!』


 花子から返事がないことに焦りを覚え、名前を叫び続ける隼人。


『ゴメン、急に本棚が倒れてきたからびっくりした』


『え! ケガはない?』


 どうやら図書室の本棚が倒れてきたようである。通話が途切れたのは恐らくびっくりしていたからだろう。

 花子を心配する隼人の声が徐々に大きくなる。


『幽霊だからね』


 その心配する隼人に、当然の答えを花子が返す。その返事を聞いてつい数分前まで感じていたことを思い出したのか、


『あ、そう言えばそっか!』


 納得したように隼人が返事をする。


 ――幽霊なら物理的なケガはないよな。さっきまで花子さんのことを『幽霊なのに』と思ってたのに、何だか花子さんに揚げ足を取られた気分だ。


『でも結構大きかったね』


『そうだね。こっちでも家の前のコンビニの中が結構なことになってるよ』


 そう言って隼人が自分の窓から外を見てみれば、向かいの個人経営のコンビニでは棚からアルコール類の瓶が落ち、割れた破片を拾っている店主が見える。

 初老の店長が何やらブツブツ言いながら破片を片付けているのが分かる。


『ん? あれ?』


『どしたの?』


 ――余震でも続いてるの? でもそれにしてはなんか……。


 花子の声が、いつも聞いている快活な声でないことに違和感を覚えた隼人であるが、大したことはないだろうと思っていた。


『何か動けない。それにあれって……もしかして、悪霊?』


『え?』


 しかし、続く花子の言葉に隼人はおもわず言葉を失ってしまう。


『ヤバイ、どんどん瘴気が濃くなっていくみたい。苦しい!』


 ――瘴気? 悪霊? どういうことだ? うちの学校の図書室にそんな危険な奴がいたのか? いや、それよりも今は、


『花子さん! 花子さん!』


 通話口の向こうにいるだろう花子の声を必死に呼び、無事を確かめようとする隼人であるが、


『ツー……ツー……』


 その向こう側から聴こえてくるのは、既に通話が終了した時に聞こえる電子音だけであった。


「花子さん! チッ! くそったれが!」


 もう一度花子の名前を呼んでから『通話終了』の表示をタップして悪態を付き、何も持たずに一階に降りて行き、ドアを乱暴に開けると自転車にまたがる。


「隼人ーこんな時間にどこ行くのー?」


「学校!」


 母親の言葉に短く答え、太ももがはち切れんばかりにペダルを全力で漕ぎ、途中にある赤信号なども全て無視し、花子の待つ学校へと急ぐ。

 春になったばかりの生ぬるい夜風が、これから起こる不吉な出来事を助長しているように隼人の頬を撫でる。

 その生ぬるい向かい風の中を、隼人の自転車が学校に向かって走り抜けていく。


 ――あと10分もあれば着く。それまで無事でいてくれ!

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