第2話 幽霊って……怖くない?

 2017年4月3日(月)21:00




 ごく普通の二階建ての家の六畳一間。数年前にリフォームして和室から洋室に変化し、畳だった場所はフローリングの床に、横に引いて開く戸は鍵付きの扉に代わっている。


 しかし全てが洋室になっているわけではなく、和室だった名残もある。例えば押し入れとして使用していた場所がそうである。今ではただの物置として使用していており、和洋が存在している空間が隼人の部屋である。


 その隼人の部屋にラインの通知音が隼人の部屋に響く。




 ――誰だ? 既読スルーしても問題ない奴なら既読スル-かな。今日はラインとかする気分じゃないし……。




『ヒドイじゃないですか! 何で帰っちゃったんですか? 明日夕方五時にまた待ってますからね! 絶対に来てくださいよ! 絶対ですよ!』




「行くわけないだろ! って言うかどうやってライン送ってるんだよ?」




 誰に聞こえるわけでもないのだが、思わずラインを送って来た相手に向かって怒鳴る。いや、正確に表現するならば、スマホに向かって怒鳴っている。




 ――あれ? でもそう考えたら今まで普通にラインしてたな。ってことは花子さんもスマホ持ってるってこと? 幽霊がスマホ? いやいや、シュール過ぎるだろ!




 2017年4月4日(火)17:00




『まだかな……』




 隼人を待つ少女が、トイレの個室にいたことを知る人は……いなかった。




 2017年4月4日(火)21:00




 再びラインの通知音が隼人の部屋に響く。




 ――ったく誰だよ? もう俺は風呂に入るところだってのに。




『今日どうして来てくれなかったんですか? ずっと待ってたんですよ! 明日こそ来てくださいね! 待ってますから!』




 ――デートの待ち合わせじゃないんだから。




「はぁ……絶対に行かない。ってだからどうしてライン送れるんだよ?」




 ――やっぱりスマホ持ってるのかな? まぁどうでも良いか。風呂入って寝よう。




 2017年4月5日(水)17:00




『まだかな……』




 翌日もまた少女がトイレの個室で隼人を待っていた。


 その待ち人が来ることは……今日もなかったのである。




 2017年4月5日(水)21:00




 三度ラインの通知音が隼人の部屋に響く。




 ――……また花子さんかな?




『だからどうして来てくれないんですか? 女の子を待ちぼうけにさせるって、ちょっとヒドくないですか! 明日こそ待ってますからね!』




「だから行くわけないだろ! それに俺のIDをなんで知ってるんだよ?」




 思い返してみたら不思議な話である。


 このラインのやり取りを始めたきっかけは、ある日突然送られてきたメッセージだ。


 その時の内容は「初めまして! 最近ライン登録したらあなたの名前が出てきました。何か運命的なものを感じたのでライン送ってみました。迷惑なら無視してください。でも少しでも興味を持ったらお返事ください」と、こんな感じであった。


 隼人は別に運命とかそういうものを信じる質ではないが、人生であまり異性と関わったことがないため、コロリと騙されたわけである。




 2017年4月6日(木)17:00




『はぁ……やっぱり来てくれないのかな?』




 諦念の混じった溜息と共に、少女の呟く声が静寂の空間に微かに溶ける。




 2017年4月6日(木)21:00




 四度目となるラインの通知音が隼人の部屋に響く。




 ――どうせまた花子さんだろ。




 そうは思いながらも重要な通知だったらまずいと思い、スマホを操作してメッセージを確認する。




『あの……やっぱり来てくれないですか? どうしたら来てくれるんですか? (´;ω;`)』




 ――絵文字とかアリなんだ? って言うか、ノリ軽いな。こうしてやり取りしていると、同年代の人にしか感じられなくなるしなぁ……。絵文字でも泣いてるみたいだし、話を聞くだけでも良いかも知れないな。それにあの後、何日か様子を見てみたけど、俺に危害が及ぶことは無かったしなぁ……。




「はぁ……行ってみるか」




 恐怖が全く無くなったわけではないだろう。しかし、今日まで何もなかったのは事実である。


 また、いつまでも既読スルーをするというのも、一応女性に対しては失礼と感じたから、と言うのも影響しているからかもしれない。


 溜息混じりに明日は花子さんに会いに行くことを決めたのだった。




 2017年4月7日(金)17:00




 学校北側の廊下に面している図書室の隣には、一つのトイレがある。


 今ではほとんど誰も使うことがない、古びたトイレである。


 誰も使うことがほとんどないのだから、不要な設備とも言えるだろう。


 だが、いまここにはひとりの住人が居る。




『やっぱり今日も来てくれないのかなぁ……』




 現世になんかしらの未練があり、この学校の生徒ではないはずなのに、地縛霊となった女子生徒、花子さんである。


 その花子さんの声は誰にも届かない。この三日間、彼女の言葉を聞くことが出来た人は一人もいない。


 彼女と会話するには、方法があるからだ。しかし、その方法は既に噂話としてされており、今の時代誰もその方法を試そうとする者はいないのだ。


 今彼女と会話することが出来るのは、西園寺隼人ただ一人である。


 その隼人も、初日のみ会話しただけで、このトイレには寄り付こうとしなかった。


 しかし




 ――コンコンッ




 誰も来ないはずのトイレの個室の扉を叩く、軽い音がトイレに響く。




『え? まさか!』




 突然のことに花子さんが動揺する。


 絶対に誰も来ないと思っていた、その待ち人が来たのだ。


 誰でも驚くだろう。




 ――コンコンッ




 再び個室の扉を叩く音が響く。




「花子さん、遊びましょ!」




 続けて自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。


 聞き間違えるはずがない。つい最近会話した男性の声である。




『あ、は~い!』




 花子さんが動揺しながら返事を返し、待っていた人と会うために、個室のドアを笑顔を浮かべて開ける。


 しかし、




『あれ?』




 花子さんの目の前には誰もいなかった。目の前にいるはずの待ち人、西園寺隼人の姿はなかった。


 いや、誰の姿も発見することが出来なかったのだ。


 なぜなら




「また二回で出ましたね?」




 先日隼人が行った方法だったからだ。


 花子さんと出会う方法は、「三回ノックして、返事が聞こえたら開ける」である。


 こうすることにより花子さんの姿を見ることが出来る。


 そしてそれは花子さんからも同じであり、手順を間違えた場合、姿を見ることは出来ない。




『イジワルな人……キライです』




 隼人の思惑に、まんまと引っ掛かった花子さんの恨みがこもった声が隼人の耳に届く。




「……でもさ、一応俺も怖いんだよ。それでもあんなラインもらったら、さすがに無視できないかなって……。あのさ、本当にトイレの花子さんなの?」




 隼人のこの問いかけも当然の事だろう。


 今のところ、隼人に聞こえる声の主が、幽霊のものであるという事は、認めたくはないが本当の様である。


 しかし、それが有名な「トイレの花子さん」という事は、残念なことに証明されていないのだ。




『はい。トイレの花子さんをさせてもらってます』




「させてもらってる? 名前じゃないんですか?」




 聞こえてきた声に疑問を感じる隼人。


 隼人の耳に届いている声が、「トイレの花子さん」のものである場合、名前も「花子」でなくてはおかしいからだ。




『えっとですね、そう言う職業……的なものです! 現世に残るにはこうしないといけなくて……』




 どうやら「トイレの花子さん」と言うのは、幽霊の中で職業のようなものであるらしく、現世に残るには、こうするしか方法が無いという。




 ――いや、出来るなら現世になど残らず、そのまま成仏してもらった方が良いんだけど……。




「はぁ……そうなんですか」




 もう何も考えることを諦めた隼人の頭に、別の疑問が浮上する。




「あの……トイレの花子さんっていうと、小学生くらいを想像するんですけど、声がやけに大人びていますね」




 普通であれば、トイレの花子さんと言えば小学生の幽霊を想像するはずだ。


 モデルになったのも、小学生の女生徒のはずで、誰でも「トイレの花子さん」と言われれば、想像するのは幼い小学生の女の子を想像するだろう。


 それゆえに生じた疑問である。




『私一応、十七歳です! 華の女子高生、JKですよ!』




 しかし、隼人の疑問の答えは全く違っており、小学生ではなく高校生であるという。


 このことに一瞬驚きの表情をしそうになるが、それを無理して平静を装い、次の言葉を選んで投げる。


 考えた時間は恐らく2、3秒だっただろう。その刹那の瞬間に考えた言葉と言うのが




「へぇ……それじゃさよなら!」




 これである。隼人としてもなるべく早くこの状態から抜け出したいのだろう。


 しかし、




『あ! 待って待って!』




 続く花子さんの言葉に、ドアノブに掛けていた手を止めて聞き返す。




「何ですか? ラインの通り来たからいいじゃないですか!」




 しかし、発せられた言葉は女性に向けて発するには、あまりに冷たかった。




『あの、せっかくだから会ってお話ししませんか?』




 ――いや、絶対に嫌でしょ! もしそんなことして、いきなり呪い殺されたらたまらない。


 ま、この花子さんはちょっと……いやいや、かなりネジが飛んでるから、大丈夫だとは思うけど、それでもこれが罠かも知れないしな。




「嫌ですよ! だって幽霊なんですよね? 怖いですよ!」




 ――だから俺は今、心に思っている事を素直に伝えることにした。


 だって恐いもん。まだ死にたくないし。




『大丈夫ですよ! そんな怖い感じじゃないはずです!』




 ――怖いか怖くないかは俺が判断するんだけどな……。


 って言うか、そんなに・・・・という事は、ちょっとは怖いという事ですよね?




「……証拠は?」




 ――提示できないでしょ? だって幽霊だもんね。




『えっと……』




「はい、さようなら」




 ――もっとも、証拠を提示されても会う気なんてないけどね。




『あ! あ! そしたらそのスマホで撮影してください! それで恐かったらもう来なくていいです!』




「撮影しても呪わない?」




『私にそんな力ありません』




 ――本当かよ? まずその証拠が欲しいわ。ん? いや待てよ。


 花子さんを写さなければ大丈夫じゃないか?




「はぁ……良いですか?」




 ――という事で、スマホを取り出してカメラを起動し、相手の返事を待たずにシャッターを切ってみる。


 フラッシュはわざとたかない。だって、本当に映ったら怖いし。




「映ってないんですけど」




 ――賭けは俺の勝ちだな。だって映ってないんだもん。


 それならもう帰っても良いよね。




『早いですよ! 女の子なんだから、少しは身だしなみを整えさせてください!』




 ――幽霊に身だしなみとかあるのか? って言うか、「女の子なんだから」って、今更女子力発揮しても遅くないか。




『はい! 良いですよ!』




 ――そんなことを考えている間に、どうやら身だしなみが整ってしまったようだ。


 仕方ないからもう一度だけ撮影してみるか。どうか何も映りませんように!




「あのやっぱり何も映ってないんですけど」




 ――今回も賭けは俺の勝ちみたいだな。もう映らないでしょ?




『そりゃ私のいないところに向けてましたから』




「どこですか?」




 ――えぇ。だって俺幽霊とか見える人じゃないし。


 そんなクレーム言われても困るんだけどなぁ……。とりあえず声から判断してもう一度撮影してみるか。




『えっともう少し右です』




 ――花子さんの声が言うようにスマホを右にズラしてみる。




『あ! あなたから見て左です』




 ――あ、そういう事ね。確かに花子さんから見て右は、俺から見たら左だよね。


 って言うか、もう完全にいいなりになってるんですけど。


 本当に呪われたらどうしよう? あ、でも別に俺の事悲しんでくれる人なんていないか。




『それで、もう少し下。行きすぎです!』




 ――めんどいなぁ。どうしてそこまでして映りたがる?


 取りあえずゆっくりと上に戻してみる。




『あ! そこ! そこでストップです! そのままちょっと顔を作りますから』




「は? 顔を作る?」




 ――この幽霊は一体何を言っているのだ? 顔を作るというのは、つまり「恐い顔」を作っているのか? それとも別の意味があるのか?




『やっぱり可愛く映りたいじゃないですか!』




 ――どうやら女子力を発揮させたかったらしいな。


 まぁ写真を撮られる女子は大体顔を作ってるとは思うが……あなた幽霊ですよね!


 そしたら今更化粧とか出来ないですよね! 別に良いんじゃないですか。




「撮りますね!」




 ――もういい加減面倒だ。ここまで付き合ってやったのだ。文句を言われる筋合いはない。




『もう! なんで勝手に撮るんですか! 盗撮ですよ! 犯罪ですよ!』




 ――あぁ、はいはい。幽霊に法律が認められるなら、いくらでも言ってくれ。




「はぁ……」




 ――とりあえず今回は映っているみたいだな。画面の左上に花子さんと思われる女の子が映ってる。


 カールのかかったショートボブの茶髪。色素が薄く、角度によっては金色にも見える大きな瞳。


 暗い室内でもそこだけ光を当てた様に輝く白い肌。その白い肌に咲く桜色の唇。


 正直言って可愛い。俺が今まで出会ってきた、どんな女の子よりもかわいい。




 しばし画面を見つめる隼人に花子さんが話しかける。




『それでどうですか? 怖いですか?』




「いや、普通の人間みたいですね?」




 ――いや、それどころかもの凄く可愛いですよ。顔だけなら。


 そう、顔だけならの話だ。




『それだけですか? もっとこう……』




 ――俺が顔だけなら可愛いといったのには理由がある。


 それは




「派手ですね。トイレの花子さんが茶髪にミニスカって……ぶっちゃけ残念感が途轍もないです」




 ――大丈夫なのか幽霊業界。こんな奴が「トイレの花子さん」をやってるんだぞ。


 別に俺は一向に構わないんだが、幽霊って言えばもっとこう……怖い感じがあるはずだろ。


 なのに何でこいつピースしてるの? え? 目立ちたがり屋なの? リア充なの?




『幽霊になった時の服装ですから』




 ――なおさら問題だわ! 普通の会社だって就職活動する時は、ちゃんとした身なりをしていくだろ。


 それなのに幽霊の業界はそんなので良いの? って言うかむしろ、見た目で職業を決めてるまであるんじゃないか。




「でもトイレの花子さんって言うとやっぱり、おかっぱ頭に赤い吊りスカートっていうのが定番なんじゃ……」




『そんな昭和初期みたいな恰好しませんよ!』




 ――それってある意味自分の存在を否定してますよ。


 トイレの花子さんって、昭和時代から続く学校のお化けですよね。




「……そうですか」




 ――とりあえず呪われるという事はなさそうだ。


 いや、むしろ呪いにかかるより現在進行形で精神がすり減ってますがね。




『それで、どうですか?』




 ――声がするのが若干近くに感じられる。多分俺の目の前にいるのだろう。


 その声のトーンから、首を傾げながら可愛い仕草をしていると想像できる。のか?




「何がですか?」




 ――いや、たぶんそうだよね。さっきよりも声が可愛く聞こえる。


 見た目を確認したことによる錯覚ではないと、そう信じたい。




『見た目が良ければ会ってくれるって言ってませんでしたか?』




「言ってませんよ」




 ――そう。絶対に言っていない。




『言いました!』




「言ったのは『恐くない証拠を見せてくれ』です。怖くないから会います、なんて一回も言ってませんよ!」




 ――屁理屈かもしれないが、確実に俺の口からは「会います」とは言っていない。




『……』




「思い出しましたか?」




『……イジワル』




 ぽつりとつぶやいた言葉が妙に可愛く隼人の心に響く。




 ――可愛い……だが、それでも譲れないことがある。




「何とでも言って下さい」




『人でなし! ろくでなし! 嘘つき! 男らしくない! 痴漢! 変態! 覗き魔!』




「そこまでやってな~い! っていうか今のただの悪口だろ! 該当する事一つもないぞ!」




 ――ひどい言われようだ。しかも該当すること一つもないぞ。


 そもそも今日あったばかり……かどうかは怪しいが、俺の行動とかをなぜそんなに避難されなければならない。


 いや、やってませんよ。一つも。




『……やっぱり会ってくれませんか?』




 ――ん? なんでそんな急にしおらしくなるの? そんな風に言われたらちょっと心が動いちゃうよ。




「……はぁ……どうやれば良いんですか?」




 ――いやもう動いちゃいましたよ。


 でもこんなに可愛い女の子に呪い殺されるなら、それもありかなぁ。


 いやいや、ダメだよね。




『前に言いましたよね!』




 ――聞いたっけ? そう言えば聞いた気がするなぁ。


 絶対にやらないと思ってたからほとんど聞き流してたけど。




「……ノックして返事が聞こえたら入るってやつですか?」




『そうです!』




  ――なんで急にテンション高くなるの?




「それじゃ行きますね!」




 そう言ってから個室のドアを開け、外に出てドアを閉める。




『は~い』




『……』




『……』




『……あの……まだですか?』




『え~と……』




『すいませ~ん』




『まだですかー?』




 花子さんの涙声が聞こえたと同時に、個室をノックする音がトイレ内に響く。




『あ! は~い!』




 余程待ったのだろうか、歓喜の声を上げながら個室のドアを花子さんが開けると




『あれ?』




 またしてもそこに隼人の姿は無かった。


 なぜなら、




「また二回で開けましたね?」




『……あなたって性格悪いですね』




 ノックを二回しかしていないからである。

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