第1話 女子高生の……花子さん?
2017年4月3日(月)17:00
――今日は俺にとって貴重な日だ。
『今日の午後五時、高校の三階のトイレで待ってます。会えるのが楽しみです(^▽^)/』
「どんな娘なんだろう? 楽しみだなぁ」
――自慢じゃないが俺は今まで女の子と付き合ったことがない。そんな俺に、もしかしたら彼女が出来るかもしれない。まぁまだ顔も見てないし、会話もしたことがない。今日初めて会うのだから、当然といえば当然だ。
きっかけは、ある日突然来たLINEだ。最初は何かのイタズラかと思った。でも何度かやり取りしているうちにわかったことがある。
まず彼女は俺と同じ高校に通っているらしい。その証拠に俺の学校のことをよく知っている。イタズラなら詳細は分からないだろうことまで知っていた。
次にうちの学校は今年から共学になった。つまり圧倒的に女子の数が多い。だから確率から言えば女子である可能性が高い。
まぁそんな俺になぜ彼女がいないのか、ということだが……答えは単純だ。
俺は悪くない! 世間が間違っている! と張り切って待ち合わせ場所まで来たわけだが、
「って……誰もいないじゃん!」
――三階のトイレは確かここしかないはずだ。北側ということもあり、昼間であっても暗い。
図書室近くという事もあり、生徒はあまり近づかない場所だ。端的に言うなれば、誰も寄り付かない場所の一つだ。
どこかに隠れているのだろうか? でも、もともとあまり人はいないのだ。隠れる意味もないと思うが……。
そう思いながら彼、西園寺隼人が左右を見回してみる。
夕方の校舎というのは、昼間のそれと違っていて、耳に届く生徒同士の話し声もまばらになり、彼のいる廊下一つとっても前後左右に生徒の影はない。
これがさらに時間が経って最終下校時刻になると、今の夕闇に沈む廊下の暗さはさらに暗くなり、より不気味さを増していく。
学校のトイレには怪談話がつきものであるが、殆どの生徒がそれを怖がるのは小学校時代ではないだろうか。中学、高校と進学するに連れて昼間よりも夜の方が楽しくなる、という不思議な心理変化があるのは言うまでもない。
そして隼人もまたそう言った生徒の一人であり、昼間よりも夜の方が好きな人物だ。
隼人が待ち合わせの場所と時間を間違えていないか確認する為、スマホを取り出そうとした時、
『あ! こっちです!』
――あ、声が聞こえた。あれ? でも今……。
微かに、しかし確かに隼人の耳に届いた女生徒の声。その声のした方に視線を移すが、どう考えてもトイレの中から聞こえてきていたようである。
「中から? 外で待ち合わせじゃなかったんだ? っていうか女子が男子トイレの中に入るって……でも、明るくて良い感じの声だったな」
――聞いたことない声だけど、学年が違うのかな? 少なくとも今のクラスじゃ聞いたことない声だ。
『奥から三番目の個室にいますヨ~』
夕暮れ時のトイレ内は静まり返り、日の当たらない空間は不気味とも不思議とも受け取れる空間で、そこがまるで別世界の様に感じるほどである。
その空間内に、先ほど隼人の耳に届いた声がトイレ内に微かに響く。
――個室にいるのか? って……大丈夫なのかこの娘。思いっきり男子トイレの中だぞ。倫理的にどうなんだ?
「いや、今誰もいないから出てきなよ」
隼人が声の主に若干の疑問を持ちながら口を開く。
『でも……』
再び声がする。やや躊躇いがちで、遠慮する色が濃い声色である。
――恥ずかしがってるのかな? でもトイレの中で出会うっていうのもどうなんだろう?
「良いから!」
その声の主の態度に、若干語気を強くして答える隼人。
『……』
――さすがに厳しく言い過ぎたかな? それでも何か言ってくれても良いと思うんだけどなぁ。そしたらやっぱりこっちから出向いた方が良い気がするな。
男というのは不利な生き物で、男女が喧嘩をした場合、余程の事が無い限り男側が謝罪しなければ話が前に進まない。
これは恋愛経験が多くなればなるほど感じることであるが、恋愛経験が少なくても、それとなく感じることが出来るものである。
隼人もそれを感じ取ったらしく、ここは自分が折れることにしたようである。指定された奥から三番目の個室の前まで足を運ぶ。
「はぁ……ここかな?」
指示された場所のドアを二回ノックする。トイレ内に乾いた木の音が響く。
『……どうぞ』
やや控えめな声が聞こえる。返事が返ってくるまでに、やや間があったことに若干の疑問を抱く隼人であるが、古びたトイレのドアを引いて中に入ってみると、
「ん? 誰もいない。もしかして場所を間違ったな?」
開いたドアの向こうには誰もいなかった。既に見慣れた和式のトイレと水洗タンクを視界に納め、隼人が首を傾げていると、
『あ! 失敗しちゃった!』
先ほどの遠慮がちな声とは一八〇度方向が変わった声が聞こえる。
「は?」
――失敗? 何に? でもさっきと同じ声……いやどちらかというと、さっきよりもノリが軽い気がする。
聞こえてきた声が何を示しているのか理解できず、隼人が思わず間抜けな声を漏らす。
『えっと、やり直していただけますか?』
「は? もしかして、隣の個室にいるの?」
――やり直す? どういうこと? そもそも何をやり直すの?
『そう言うわけじゃないんですけど』
――じゃあ何をやり直すんだ? それにもう俺が目の前にいるんだから、直接会えば良いじゃないか。
「じゃ出てくればいいじゃない! 俺しかいないんだし」
――だよな? もう一度外に出て周りを見回してみたけど、やっぱり誰もいない。
まぁ放課後だし、何よりもともとあまり人が通る場所でもない。
『でも今のままでは姿が見えないと思います』
「は?」
――いや、だから出てくればいいじゃない! ドアを開けて出てくればいいじゃない。
何をそんなに渋ってるの? 何か理由があるのかな?
隼人が首を傾げながら言葉の意味を理解しようと苦しんでいると、すぐにその答えが聞こえてきた。
『え~と……実は私、「幽霊」なんです』
「え?」
――今なんて言った? 幽霊? そんなものいるわけないだろ? 科学的に考えて、そんなものありえない。非科学的だ。
ということは、やっぱりイタズラだったってことか……。
『ですから、幽霊なんです。「トイレの花子さん」やってます』
「……誰が信じると思う?」
――だってどう考えたってイタズラでしょ。100人いれば100人がイタズラだというはずだ。それに、どこの世界に「自分は幽霊です」という幽霊がいる。いや、幽霊自体いるはずないのだから知らないが……。
既に隼人の頭の中は混乱している。聞こえてきた声が原因なのは言うまでもない。
『信じませんよね』
――はい、信じません。当然でしょ。逆に誰が信じると思うの? どうせどこかに隠れてるんでしょ?
「どこに隠れてるの?」
――声は比較的近くから、いやかなり近くから聞こえる。となると、隣の個室にでも隠れてるのかな?
『えっと、実は今あなたの目の前にいます』
「え?」
――そう言えば目の前から声が聞こえるような……、いやいやそれはありえない。だって俺の目の前にあるのは、見慣れた和式トイレと水洗タンクだけだ。
「誰もいないんだけど……」
視線を上下左右移して個室の中を探すが、やはり隼人の目の前には誰もいない。そもそも、個室に入った時点で誰かいるなら気付いたはずである。
では、どうやって声を届けているのか。その方法は数えるぐらいしかない。
――もしかしてスマホで遠隔操作とかしてるのかな?
その一つがこれである。スマホをハンズフリーにしておいて通話し、それで相手に声を届けるという、なんともシンプルな方法だ。
イタズラでやられれば、それなりにびっくりするだろうが、何せ通話している時に発生する、特有の電子音までは消せないからすぐに判断できるはずである。
しかし、目の前から聞こえる声に電子音の類は混ざっていない。
――それとも別の方法かな? いや、もしかしたら本当に幽霊?
「あの、もしかして本当に幽霊ですか?」
『さっきから言ってるじゃないですか! 声の感じから、もう個室の中にはいないんですよね?』
――いやいや。そんなはずはない。さっきも思ったことだが、幽霊なんて存在するわけない。
でも、今のこの状況を理解するには、これが怪奇現象だと認識せざるを得ない。どうしたら良いんだ?
『えっとですね……本当は三回ノックしてもらう予定だったんですけど、二回だったじゃないですか? だからです。なのでもう一回ノックしてもらえますか? 今度は三回ノックしてください。そしたら返事しますので、中に入ってきてください!』
隼人が頭を両手で抱え、理解と無理解に苦しみながら考える。既に隼人の頭の中はパニック状態なのは言うまでもない。
――仮に本当に幽霊だとしよう。その幽霊が俺にお願いをしてきている。こういう時どう対処すればいい? こういう状況の時の最善の解は……って、今どんな状況なんだ?
単純に考えてみれば、今言われた通りの事をすれば、この声の主(幽霊?)に会えるという事だろうが、そんなこと実行するわけがない!
俺は幽霊なんて信じていない……はずだ。だが、もし少しでも可能性があるなら、それは回避する必要があるはずだ。
そうだよ、心霊・怪奇現象だろうとイタズラだろうと、回避すれば問題ないじゃないか!
隼人の脳にその結論が浮かび、
「そこまで丁寧に説明されて、やると思う?」
どちらでも通じる方法を口に出して答える。その声がやや上ずっているのは、多少なりとも恐怖が体を侵食しているからだろう。隼人の身体が若干震えているのもその証拠である。
『……思いません』
――お? やけに素直だな。それじゃその言葉通りに行動すれば良いか。大丈夫だよな? これで後ろから襲われたりしないよな?
「だよね? じゃあ帰るわ」
既に身体が恐怖に震え、頭は冷静なのに混乱している、という訳の分からない状態になりながら、無理矢理にその場を離れようと試みる。
ゆっくりと足に力を入れて踵を返し、トイレの個室から脚を引きずって外に出て、続けてドアの方に歩いて行こうとすると、
『あ! 待って待って! 大丈夫です! あなたを呪ったりしませんから!』
後ろから再び声が掛かる。先ほどと同じ声だ。
室内に響くその声が、やけに焦っているように感じられるのは、もしかしたら気の所為かも知れない。
その声が幽霊らしからぬ発言をする。
「誰がそれを信じる!」
上ずった声で後ろを振り向かずに答える。既に隼人の頭の中は、恐怖が9割程支配している。
頭の中は幽霊などいないと叫んでいる。しかし、体がいう事を聞かない。
『本当です! 神に誓って! だから私もう一度お願いします!』
「悪霊なのに神に誓うなよ!」
――この声の持ち主(推定幽霊)は、どうやらネジが一本、いや十本ぐらい飛んでいるらしいな。幽霊なのに「神に誓う」って、シュール過ぎるだろ。
『悪霊ってヒドイ! 私は良い幽霊です』
声の主が隼人の意識に響く。どうやら隼人の言葉で傷つけてしまったようで、声に涙が混じっているのが分かる。
男と言うのは単純なもので、目の前で泣いている女性がいると無視は出来ない。
たとえそれが「幽霊です」と言われていても、である。
「あのさ、泣いてるところ悪いんだけど、帰っていいかな?」
どうやら隼人も例外ではなかったようだ。
しかし、自分を幽霊と言っている相手に、さすがに優しい言葉は掛けられないようで、疑問形で問いかける。
『……明日も来てくれますか?』
沈黙の時間が数秒流れ、その後にお願いするような甘えた声で問いかけて来る。その声はやはり涙声で、ところどころに嗚咽が混じっているように聞き取れる。
しかし、
「来るわけないでしょ!」
隼人はその願いを一刀両断する。当然である。
――こんな恐怖? 体験をなぜ明日もしなくちゃいけないんだ? 確かに声は可愛いし、顔を見てみたいとも思ったけど、自分が幽霊です、と言われている状況で誘われても、その誘いに乗ってやる必要はどこにもないだろ!
声を荒げて隼人が答える。隼人の反応も当然と言えるだろう。目に見えない怪奇現象が、現在進行中なのだ。
どこの世界でも、目の前に見えている落とし穴にわざわざ落ちる奴がいるのだろうか。
『そんなこと言わないでください! 本当に悪霊じゃないですから! あなたを呪ったりしませんからぁ』
何回かのやり取りを経て、恐怖に支配されていた隼人の身体は、何とか動くようになっていた。それは別にこの声の主が、幽霊ではないと確信したわけではない。
一つの疑問が恐怖に勝ったからである。
その疑問と言うのが
「……ちなみに幽霊と悪霊って違うの?」
これである。普通、幽霊と言えば悪さをする。こう考えるのは当然だろう。
声の主が幽霊かどうかは不明だが、一瞬でも隼人に恐怖を与えたことから、何かしら危害を加えてくるのは想像に難しくない。
しかし、声の主は幽霊と悪霊は別だという。
何がどう違うのか、そのことを疑問に思うのは不思議ではないかもしれない。
『はい! 悪霊は人に害をもたらす霊で、私みたいに成仏できないのはただの浮遊霊です』
先ほどと同じ、いやそれ以上に明るい声で答えが返ってくる。
この言葉通りならば、悪さをする霊=悪霊、それ以外=浮遊霊という事になる。
そうなると別の疑問が浮かぶことになる。
「つまり、俺には何も出来ないと?」
『そうです!』
どうやら浮遊霊には、人に危害を加えることは出来ない様である。妙に明るく答えが返ってきたが、そう簡単に信じるわけにはいかない。
隼人の身体にはまだ、若干の恐怖が残っているからである。
「証拠は?」
――わざわざ警戒されるのに、私悪霊ですなんて言う奴がいるとは思えない。俺に何も出来ないって言うなら、その証拠を示してもらえば良い。
証拠を示すことが出来ないなら、それはすなわち「嘘」という事になる。
『……』
隼人の短い問いかけに返ってきたのは無言である。これが示すことはつまり一つしかない。
「やっぱり嘘じゃん!」
――よし! この霊? は嘘を言っている。多分言われた通りにしたら、取り殺されるに決まっている。今ならまだ逃げられるかもしれない。幸いなことに、身体を侵食していた恐怖も大分消えている。今なら走って逃げることが出来るはずだ。
そう決心する隼人の耳に
『嘘じゃないもん!』
先ほどよりも大きなボリュームで声が返ってくる。声の調子から不貞腐れているのが何となくではあるが聞き取れる。
――もん! って何だよ? 最近聞かねぇよ。怒り方があざといよ。って言うか何で俺怒られてるんだよ? それに、
「って言われても、そう簡単に信じられないよ」
隼人の反論も当然だろう。
何かを疑われた場合、それを信用させるには、証拠を見せるのが一番手っ取り早い。
それが言葉だけで訴えられても無理というものである。
『そうですよね……』
「それに今俺、すごく怖いんだけど……」
――まぁ怖さは大分無くなってるけど、この不思議な声がもしかしたら幽霊かもしれない、っていう感じは無くなってない。
『あ! そうだ! もし本当に悪さをするつもりなら、あなたがこの個室に入ってきた時に悪さしてますよね? でも何もなかったじゃないですか! だから私は悪霊じゃありません!』
急に思いついたのか、今までで一番明るい声を出して隼人を説得しようとする。
「一理ある……のか?」
確かに一理あるかもしれない。だが、それで全部が全部信用出来ないのも人間である。
隼人の中で二つの感情が葛藤する。一つは理性、もう一つは本能である。
頭の中の理性は次のように訴えている。「声の主の事を信用しても良いかも知れない。今俺に危害が加わっていないのが証拠だ」と。
対して本能は、「いや、この機会逃したらダメでしょ! 今すぐここから逃げないと!」である。
『大丈夫です! だからもう一度やり直しで!』
――えっと……とりあえずその甘えた口調、やめませんか? じゃないと本当に何か、いけない壁を越えてしまいそうです。
ん? いや待てよ……。
「はいはい……やりますよ」
全くやる気のなさそうに個室を出て再びドアを閉め、隼人が取った行動と言うのは
『……あの……まだですか?』
『え~と……』
『すいませ~ん』
『まだですかー?』
『……』
帰宅することであった。
その後、トイレ内に寂しそうな鳴き声が響き、その事が階段として語り継がれる……ことはなかった。
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