初めての殺人

 妹を妹と自覚したのは物心が付いてからだから、物語の始まりは私が二才前後ぐらいまで遡る。


 しかし妹は私のことを姉だと自覚したのは生まれて間もなくだった。吟に物心が付いたのは産まれた瞬間からだと思う。本当ならありえないことだけれど、あの妹に限っては正しい認識だと言わざるを得ない。


 それくらい妹は埒外で規格外だった。天才と呼ばれた私なんかよりも遥かに優秀で優等な天才だった。

 それを自覚させられたのは私が三才の頃、一才年下の妹に知育教材のゲームで一回も勝てなかった事実からだ。

 パズル、知恵の輪、積み木など、私は一度も妹に勝てた試しはなかった。

 いや、そこらの普通の大人でも妹には勝てないだろう。吟は二才にしてこの手のゲームを極めてしまった。


 そんな吟に対して嫉妬を抱かなかったと言えば嘘になる。しかしそんな醜い感情はすぐに消え去ってしまった。あまりに優秀、いや違いすぎて同じ人間か疑うほどの知能指数の高い吟に嫉妬なんてするのは馬鹿馬鹿しい。キリンを見て首が長いのを羨ましいと思うのと同じだ。


 言ってしまえば別の生物なのだ。私とは違う、他のどの人間とも異なる別の生物。

 つまり幼少期の私にとって、妹は化け物と同じで、それ以外の何物でもなかったのだ。


 それが大きな間違いだと気づくのは、吟が捕まる直前になるのだけれど、今は関係ないことだ。


「私の娘は優秀だな」


 厳しく品定めをするような審美眼をもって私たち姉妹に接していたのは、他でもない私たちの父親だった。

 名前は松永政治まつながまさはるという。名は体を表すという言葉があるように、父は政治家だった。衆議院議員で地元の名士だった。先祖を遡ると歴代の天皇に仕えていた公家になるらしい。一度だけ家系図を見せてもらったことがあるのだけど、疑いようもない真実だった。


「そうでなくては困る。優秀でなければ意味がない」


 もしも妹だけ優秀だったならば、私は捨てられていただろう。そう思われる無感情な瞳だった。

 しかし幸運にも――後々考えれば不運だったのだろう――私は優秀であると認められた。

 まあ妹が化け物なだけで、私は父の眼鏡に適う程度の優秀だったのだ。


「正直、司は何の能力もないと思っていた。しかし一族でもスタンダードな能力があったようだな」


 能力と聞くと魔法や超能力といった超常現象を想像する人がいるかもしれないが、それは大きな誤りであると言っておこう。この場合の能力はあくまでも人の枠に入る、頭脳の力であるのだ。


 私の場合は『完全記憶能力』だった。一般的には超記憶症候群に罹患りかんした人間を指す。その症状は完全なる記憶力で、私は見た光景を決して忘れない。しかも繰り返し何度も思い出すこともできる。だから今までの食事を一年前どころか十年二十年前まで覚えているし、妹に何回負けたかも記憶している。

 それだけではなく音声や匂いも記憶できる。だから父の言ったことも覚えている。

 そして――妹のしてきたことも忘れない。


 この能力の目覚めたのは二才ぐらいだと思う。それ以前の記憶がないので推測にすぎない。やはり物心が付くか否かは重要なのだろう。

 ちなみに父は政治家らしい能力があった。それは『人の心を支配する』能力だった。カリスマと称すべき能力だろう。どういう仕組みか理解できないけど、父に従わない人間は居なかった。父と同じ政治家だって同じだった。

 本気を出せば国を牛耳るどころか、世界を手中に入れることもできただろうけど、どういうわけか彼はしなかった。父の生きている間は謎のままだった。ようやく知ったのは父が死ぬ直前だった。


 そしてもちろん、私の妹にも能力があった。

 それは『答えを見出す』能力だった。

 分かりづらいと思うので簡単に説明するが、たとえば足し算しか知らない人間に掛け算の問題を出したらどうなるのだろうか? おそらくは答えに至るまで延々と足し算を繰り返すしかないだろう。

 しかし妹は違った。初見で掛け算の問題を出されても解けてしまう。四則演算だけではなく、関数や微分積分でも解いてしまうだろう。

 理屈ではなく――もちろん理屈ではなく理論はあるのだろうけど――妹の手にかかればどんな問題でも、どんな難問でも解けてしまうのだ。


 けれどこの能力には欠点があった。これは長年の間、吟のことを見てきた私だから気づいたことだ。


 まず、これは必ず答えのあるものしか使えない。つまり複数の解のあるものには使えないのだ。従って理数系の問題に限定される。

 次に自分から何かを生み出すことはできなかった。つまり問題を解くことはできても問題を出題することはできないのだ。

 最後に致命的なことだけど、対人関係には使えない。人の感情の機微を読み解くことはできないのだ。


 以上の点から父が妹ではなく私を後継者に指名したのは当然の決断だったのだ。


「吟には好きなことをさせよう。それが不幸な彼女の唯一の幸せなのだから」


 そう語る父の表情は落胆そのものだった。しかし深い落胆ではなく、行きつけのレストランでいつものシェフが店を辞めたことを知ったときと同じ表情だったから、そこまで気にしていたわけじゃないだろう。

 また新しく見出せばいい。それくらいの気持ちだったに違いない。




 さて。ここまで妹と父の話をしたが、もう一人、話すべき家族の話をしよう。

 とはいっても、話したくないのだけど。


 忌避する理由は母の性格が陰険だったわけではなかった。むしろ逆に慈愛に満ちていて、私たち姉妹にとっては聖母のように優しい母親だった。

 だけど、妹のした許されない行為が原因であまり話したくなかった。

 でも話さなければいけない。何故なら妹の根幹の話だから。


 母の名は松永みことという。父から言われたけど、私たち姉妹は母親似だ。私もそう思う。しかしそれは見た目だけで、私たち姉妹の性格は父親似であることは疑いようもない。

 能力はもちろん、複雑怪奇な性格の父親に私たち姉妹は――似ている。

 そう自覚しなければならない。


 もしかすると父は母の性格を私たちの受け継がせたかったのかもしれない。だから母を『操って』結婚したのかもしれない。

 母の深い愛情を持ち、父の非情さを持っていれば、それはそれで、完璧で歪な人間が出来上がっていただろう。

 しかしそうはならなかったのは父の血が強すぎたからだと私は推測している。

 古代から何世代にも渡って日本の公家政治に影響を与え、戦後の政財界にも影響を与え続けた高貴なる血が、優しさだけがとりえの母の血を跳ね除けてしまったのだろう。


 まあ推測にすぎないことを語るよりは実際に起きたことを語ることにする。


 完全記憶能力を持っている私が思い出が希薄と評したのは、実際に何度も会っていないからだ。

 母は妹を産んだあたりから病気になってしまった。原因不明の難病。徐々に身体の自由が利かなくなり、心臓や呼吸さえも無意識にできなくなる奇病だった。

 会えるのは一ヶ月に一度。それも三十分だけだった。

 初めは優しく接してくれた母だったけど、徐々に身体の機能が衰えて、私が五才になる頃には寝たきりになってしまった。

 五才の誕生日を祝ってくれることもなく。それどころか誕生日ソングすら歌えないほど衰弱してしまった母。


「司、吟。あなたたちは強く気高く美しく。そして優しく生きるのよ」


 それが母の口癖だった。しかし病状の動けない母は品が無く弱く醜かった。そしてただ優しいだけだった。

 おそらく妹のしたことすら許してしまうほど、優しかったのだろう。


 妹のしたこと。それは決して許されざることだった。


 母との最後の面会のことだった。

 この頃、母の病状が悪化していたので、面会は家族だけが許可されていた。

 母はいろんな医療器具に繋がれていた。


「みこと。もうすぐ選挙だけど、なんとか当選できそうだよ。それから君の友人の森田さんに子どもができたそうだ。元気な男の子だよ」


 父はいつも物言わぬ母に語りかけていた。

 多分、父は父なりに母を愛していたのだろう。母が死んでから後妻を貰わなかったことからも分かる。

 生涯、父は母以外を愛さなかったと思う。他の人間は利用するための道具にすぎなかった。

 それは私たち姉妹も例外ではない。


「……ごめん。仕事の電話だ。司、吟。ここで待っていなさい」


 父の携帯に着信があった。ここでもし、父の携帯に着信がなかったら母はもう少しだけ生きられただろう。

 父が出ていって、それからすぐに妹は動いた。


「……吟? 何しているの?」


 五才の私には妹が何をやっているのか理解できなかった。

 素早く妹が手に病院内から能力を使って盗んだであろう手術用の手袋を嵌めたこと。

 そして母に繋がっている医療器具を弄り出したことを。


「何して――」


 止めようとしたとき、妹は私の唇に手を当てた。そして声に出さずに言う。


『黙ってて』


 完全記憶能力を持っている私は父から読唇術を習っていた。父はいずれ自分の仕事の役に立つか、私が独立したときの武器になると踏んだからだろう。


 妹の瞳はまるで氷のように冷たく凍てついていた。その迫力に圧倒されて、椅子に腰を下ろしてしまった。


 妹は『作業』を終えると何事もなかったように椅子に座った。それと同時に父が帰ってきた。

 結局、妹のしたことは、私しか見なかった。




 母が死んだのは次の日の朝だった。

 眠るように息を引き取ったと父に言われた。

 妹が殺したんだ。そう確信した。


 父に言うべきか悩んだけど、結局は言わなかった。


 母の葬儀。

 焼かれて煙となって母が青空を昇っていくのを見て、胸が一杯になってしまった。

 妹を横目でちらりと見た。

 まるで私と反対に胸がすくような顔をしていた。

 私はその顔を忘れられなかった。

 忘れたいと初めて思ったけど、忘れることができないので、しばらく怯えて眠った。


 これが妹の最初の『殺人』だった。

 僅か四才にして、おぞましい殺人者が誕生してしまった。

 奇しくも母の葬儀の日は。

 妹の誕生日と重なっていた。

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