13-2
◆◇◆◇◆◇
「要するに、いたずらでこんなことをしたんですね。いつものように……」
バラを青く染めた理由をいたずらと断じたマーシャだったが、当の妖精たちは首を左右に力強く振った。
「違いまーす」
「人間さん、大はずれっ」
「いたずらじゃありませんよーだ」
「じゃあ、どうしてです?」
しかし、さらに彼女が問いただすと、妖精たちの目が泳ぎ始める。
「え~とですね……」
「それは……」
「どうしてでしたっけ……?」
マーシャの顔が険しくなったのを見て、さらに妖精たちは焦る。
「えーとえーとえーと……そうだっ!」
「思い出しましたっ!」
「すっかり忘れてました!」
だが、幸い彼女たちの記憶は答えを導き出すことができたらしい。
「ずばり、ご褒美です!」
一匹の妖精が大声で宣言する。
「どうして青いバラがご褒美なんですか?」
「だって、このバラを育てたお爺さん、とっても大事に育ててましたから」
「バラがみんな喜んでます」
「妖精王様のバラ園を思い出しちゃいますよ」
「それに、ずっとお爺さん、青いバラを咲かせたいって思ってましたから」
「ちょっとだけ、妖精王様のバラ園から抜け出して、お手伝いしちゃいました」
にこにこと満面の笑みを浮かべて、妖精たちは青いバラの周囲を飛び回る。
「その結果がこれ、じゃーん! 素敵な青いバラでーす」
「贈り物だよ!」
「心のこもったプレゼント!」
「お爺さん、喜んでるよね!?」
自分たちの行動が騒動の種になっていることなどつゆ知らず、妖精たちはドリズンに好意が伝わったと無邪気に信じている様子だった。
◆◇◆◇◆◇
「お気に召しましたかな?」
後ろから声がかけられ、マーシャが振り返ると、底にドリズンが一人で立っていた。
「わーっ! お爺さんだ!」
「一時撤退!」
「恥ずかしいよーっ!」
彼の姿を見るや否や、妖精たちは口々にそんなことを言いつつバラの葉の間に逃げ込んでしまった。まるでネズミかリスのような動きだ。
「ええ、とても」
普通の人間は、妖精を視認できない。それを知っているマーシャは、落ち着き払ってドリズンの問いに答える。
「嬉しいことです」
おぼつかない足取りで、彼はマーシャの隣に立つ。
「ドリズン様は、バラの育成を手がけて長いのですか?」
「ええ。気がつくと人生の半分以上を、バラと共に過ごしてきました」
そう言ってから、ドリズンは苦笑する。
「はは、こんなことを言うようでは、教育者失格ですかな」
「いえ、そんなことはありません。その結果、こうして珍しいバラと私たちを引き合わせて下さったのですから」
マーシャが即答すると、ややドリズンは驚いた様子だった。
「ふむ、彼が君を助手として選んだのもうなずけますな。お嬢さん、あなたはなかなか頭の回転がよろしい」
「光栄です」
「ですが、一つ訂正をしましょう」
しかし、ドリズンは彼女を手放しで誉めはしない。
「青いバラは珍しいものではありません。今まで、一度たりとも存在しなかったものです」
「そうですか?」
「もしかして、どこかでご覧になったことがおありで?」
「そう言うわけではありませんが……」
改めて、マーシャは目の前の青いバラを見つめる。
「なぜでしょうか。どこか、この青は見ていて懐かしさがこみ上げてくるんです」
事実、マーシャはこの青いバラを見ても、自分でも不思議なほど驚きはしなかった。それまでまったく感じなかったことだが、この青にはどこか郷愁を誘われる。記憶の奥底、過ぎ去った昔日のどこかで、このバラの咲いている様子を見た覚えがあるような気がするのだ。
「ふむ、確かに、青に近い色のバラは作られてきました。それこそ、白のバラに色水を吸わせれば、青いバラの紛い物も作り出せます。お嬢さんは幼い頃、それを目にしたのでしょう」
「ええ、きっとそうですね」
けれども、マーシャはそれ以上記憶の糸を手繰ることはしない。ドリズンの説明に、彼女は納得して追求を打ち切る。
「多くの園芸家が、青いバラを作り出そうと努力と交配を重ねてきました。この私も、その一人です。青いバラ、という言葉は何を意味するかご存じですかな?」
「不可能、幻想、あり得ないという意味だとか……」
マーシャがそう言うと、ドリズンは満足げに首肯した。ゆっくりと彼は手を伸ばし、青いバラの花弁を撫でる。
「ええ。世の中には二種類の人間がいましてな。片方は、不可能が不可能のままで構わない者。もう片方は、不可能を可能にしないと気が済まない者。私は……はは、後者でしたよ」
彼の言葉には、ある種の妄執さえもこもっていた。いったいどれほどの情熱と努力と精根、そして執念と心血がこの一本のバラに込められているのだろうか。
「まさか、人生の終わりが間近になって、長年の夢を目にすることができるとは。惜しむらくは、これを品種として増やせないことでしょう」
そう言って、ドリズンは深々とため息をつく。
「ですが……本当に美しい。現世に化成した幻想とは、まさにこのようなものを言うのでしょうな」
彼の言葉に、ただマーシャはうなずくしかなかった。
◆◇◆◇◆◇
「……なるほど、やはりあのバラは妖精の仕業によるものだったのか」
その夜のこと。あの後スレーラバージ邸で一泊するように勧められ、エルロイドは素直に同意した。人気のない談話室で、マーシャはエルロイドと向き合っている。
「ええ、妖精たちがはっきりとそう言っていました」
彼女の返答に、エルロイドは顔をしかめる。
「遺伝によるものではなく、妖精の干渉による着色では、確かに品種として認められることはないだろうな。一代限りの変異、あるいは明日になったら消えている可能性さえある」
しばし天を仰いでから、彼はマーシャに向き直る。
「時にマーシャ、君はそのことをドリズン氏に教えたかね?」
「いいえ」
「そうか……それはよかった」
珍しく露骨に安堵した様子を見せるエルロイドを見て、マーシャは首を傾げる。その仕草に、彼は慌てた様子で言葉を続ける。
「いや、まあ、そういうことだ。そうではないかもしれないが、そうだろう」
「教授?」
意味不明の説明に、ますますマーシャは不審がる。
「もしかしてドリズン様は、教授の研究に懐疑的なのでしょうか?」
「いや、そういうわけではない。むしろ彼は私の研究を後押ししてくれた、よき理解者と言ってもいい。そもそも、この私が自分の研究の偉大さが分からないような輩の元で、いたずらに時間を浪費する可能性など皆無だ。少しは頭を働かせたまえ」
「ドリズン様は、私を頭の回転が速いと誉めて下さいましたが?」
「残念ながら、それは世辞だ」
「断言なさらないで下さい」
自信満々な彼の発言に、マーシャはむっとするが、それを押し殺す。
「いいのですか? 教授は、この青いバラの調査を依頼されたのでしょう?」
「そうだ。ドリズン氏も手放しで青いバラを受け入れる気はなかったようで、過去の文献を調べて青いバラについての情報を集めたのだ。結果、私の研究と重なることになった」
「妖精王のバラ園、ですか」
マーシャがその名詞を口にすると、案の定彼の顔色が変わった。
「なっ……!?」
だが、すぐにエルロイドは平静を装う。
「むむむ、マーシャ、なぜ君がそれを知っている?」
「今日会った妖精たちがそう言っていましたので」
「まったく、妖精から直に証言を得られるとは、つくづく君は私の研究にふさわしい助手だよ」
多少出鼻をくじかれた様子だったが、エルロイドは説明を始める。
「そのとおりだ。常若の国、永遠なる黄昏の土地、遙か妖精郷を治める妖精王アルヌェン。彼のバラ園は、青いバラが美しく咲き誇る場所だと伝説では語られている」
「アルヌェン……」
マーシャは妖精の王たる者の名を呟く。どこかその響きは、不思議な懐かしさを帯びていた。
「彼はよく現世に顔を出しているらしい。商人、騎士、旅人、楽師、時には浮浪者に化けて、様々な物語に彼は登場している。英雄に対するトリックスターの役割だな。だが、その本質はむしろ死神に近い。彼は本来、影の国という冥界の王なのだ。事実、彼は幾度となく英雄のいまわの際に現れ、その魂を自らが支配する冥界へと連れ去っている」
一通り説明を終え、エルロイドが満足した様子を見てから、マーシャは本題に入る。
「ご自分の庭に突然咲いた青いバラ。それが妖精と何か関係があるのではないかと、ドリズン様は教授をお招きになったわけですね」
「そうだ。氏は私の研究が科学的見地から行われる、れっきとした学術であると知っている。さすがは我が母校の名誉教授だな」
けれども、急にエルロイドはこんなことを言い始める。
「だが、果たしてそれを伝えるべきかは、実は私は少々悩んでいるのだよ」
「白黒や正誤を即断される教授にしては珍しいですね」
マーシャの疑念ももっともだ。彼は自分の研究に絶対の自信を持っている。妖精とは実在する生物であり、系統立てて科学的に説明できる存在だと常に吹聴している。
それなのに、ここに来て急に真実を隠すような物言いをするとは、実にエルロイドらしくない。
「うむ、それと言うのも…………」
と、彼が言葉を続けようとしたその時だった。突然外から、女性の悲鳴が上がった。恐らくは、この邸宅で働いている侍女の声だろう。すかさずマーシャとエルロイドは立ち上がり、談話室のドアを開けて外に飛び出す。
「こっちだ!」
意外なほどに機敏なエルロイドの後を追って、マーシャは階段を登り、上階にあるドアが開けっ放しの部屋に飛び込む。そこはドリズンの私室だったようだ。彼はベッドの脇でうつぶせに倒れ、その側で侍女がおろおろとしていた。
「いかん! すぐに医者を!」
エルロイドの叱咤で、ようやく硬直していた時間が動き出す。
◆◇◆◇◆◇
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