12-3



 ◆◇◆◇◆◇



「――さて、一週間ぶりの我が家だ」


 その日の日没後。エルロイドは自宅の玄関の前に立っていた。ちなみにシディは既に先んじて戻り、彼の帰宅の準備を整えている。


「まあいい。行こうか。時間を無駄にしている」


 一方的に非難してしまったマーシャに何と言おうか、あの妖精兵団にどう対応しようか、結論が出ないまま、彼はドアを開けた。


「……教授?」

「なッ!? マ、マーシャ!?」


 よりによって、玄関にはマーシャがいた。その青と緑の両目が、エルロイドの姿を認めて驚きで見開かれる。


「さ、さては君は私が入るのをそこで待ち受けていたな!?」


 驚愕するエルロイドだが、マーシャは落ち着いて否定する。


「いえ、そんな器用なことはできません。偶然居合わせただけですが」


 後ろ手にドアを閉め、改めてエルロイドはマーシャと向かい合う。一週間ぶりに対峙する助手に、奇妙な懐かしさを彼は覚えた。思えば、彼女を雇ってからというもの、常にマーシャはエルロイドのそばに控えていた。たった一週間の空白が、まるで一年のようにも感じるのは不思議でしかない。


「そ、それで何だね? 私に何か言うことがあるのかね?」


 どのように会話を進めていいものか皆目見当がつかず、エルロイドは逆にマーシャに尋ねる。


「ええ、一つ」

「ふん、聞こうではないか。私は優秀で寛大だからな! はははははっ!」

「では――――」


 さて、何が出てくるか。苦言か恨み言か愚痴か非難か。表面上は平静を取り繕いつつも、内心身構えるエルロイドに対し、マーシャは一礼する。


「お帰りなさいませ、教授」

「あ、ああ」


 頭を上げたマーシャは、それ以上何も言わない。


「……それだけかね?」

「はい、それだけですが」

「そ、そうか」


 エルロイドは何度か彼女の顔色を伺ってみるのだが、それ以上の変化はない。


「ところで、君の周りにいたあの妖精たちはどうなった?」


 改めて、彼は周囲を見回す。今日は騎士も射手も見あたらない。


「彼らはもういませんよ」


 マーシャのその一言に、エルロイドは目を限界まで見開いた。


「な、何ぃ!?」

「教授が大学に出向された途端にみんな元気をなくして、次の日には半分がいなくなり、その次の日には全員が暇をいただきたいとのことでしたので、望み通りに解雇しました。ご安心下さい、もうあの妖精たちはこの屋敷にはいません」


 今は日没後だが、まさに青天の霹靂である。エルロイドに対してあれほどいたずらを仕掛けてきた妖精の兵団が、彼が大学に非難した三日目にはもう消失していたとは。


「なぜそれを早く言わないのだぁ!」


 彼が大声を上げるのも無理はない。あまりの事態の変化と、それに一人だけ取り残されていた自分を直視し、エルロイドは取り乱すしかない。


「私は、あの妖精のうるささに耐えかねて大学に退避したのだ! いなくなったのならばなぜそれを教えない!」

「シディ君が大学に様子見をしたときは、とても調子が良かったそうですので」

「そもそも彼らは私の研究対象だぞ! なぜ解雇した!?」

「教授がとても嫌がっておられたので」

「むむむ……」


 くやしいが、マーシャの言うことは正論である。


「もういい! 押し問答は時間の無駄だ。さあ主人の帰宅だぞ、助手は助手らしく振る舞う必要がある!」


 とうとう問答を一方的に中止し、エルロイドは胸を張り、大手を振って歩き出した。


「はい、承知しております。ですので、お帰りなさいませ、と申し上げました」


 それに素直にマーシャは付きそう。いつものように、何事もなく。



 ◆◇◆◇◆◇



「それにしても、まさか妖精たちが自主的にいなくなってしまうとは思わなかったな。彼らの言動は、完全に姫に仕える騎士そのものだった。ただのごっこ遊びで終わったな」


 次の日の昼。書斎でエルロイドは一週間の間にたまった手紙や書類に目を通していた。


「あの子たちは、遊びたかったんだと思います」


 そばで紅茶を煎れるマーシャがそう言う。


「君とかね?」

「いいえ、教授と」

「私とか?」


 マーシャの意外な発言に、エルロイドは首を傾げた。どう見ても、妖精の兵団はマーシャを中心に回っていた。


「はい。あの子たちは、教授と遊んでいるときが、一番活き活きしているように見えました。だから、遊び相手がいなくなってしまったら、途端に元気をなくして消えてしまったんです」

「私はいい迷惑だったがな。消えてくれてせいせいする」


 今さらそう言われても、エルロイドにとっては困るだけだ。


「本当ですか?」

「無論だとも」

「教授は子育てが苦手そうですね」

「子供は好かん。自己中心的で、自分勝手で、見栄っ張りで、おまけにうるさく何を考えているのか分からん。実に困る」


 彼が偽らざる本心を吐露すると、なぜかマーシャは大きくため息をついた。


「……マーシャ、なぜため息をつく」

「いえ、世の中には『大きな子供』という表現もあるな、と思っただけです」

「なんだね、それは」


 紅茶の入ったカップを彼女から受け取り、しばしエルロイドは機をうかがう。場の雰囲気はなごやかだ。今が、ちょうどよい感じだろう。


「少なくともマーシャ、君には迷惑をかけたな。謝罪しよう」

「……え?」


 不意にエルロイドがそう言うと、マーシャの動きがぴたりと止まった。


「あの妖精たちの昼夜を問わないいたずらに、少し私は苛ついていた。大学に避難する直前、君にやや当たり散らしてしまったのは事実だ。済まなかったな」


 それは、エルロイドがどう言おうか迷っていたことだ。だが、いざ口にしてみれば、続きは淀みなくすらすらと出てくる。助手に謝罪する雇い主。そんな構図などどうでもいい。重要なのは、それが一つのわだかまりだったということだ。ほんの小さな謝罪一つで、エルロイドが一週間持て余していた気掛かりがあっさり溶けて消えていく。


 彼の言葉を耳にしたマーシャは、珍しくひどくおたおたとしていた。ぎこちない動作でポットをテーブルに置き、せわしなく視線を周囲にやり、何度か両手を握ったり開いたりし、最後には深々と頭を下げた。


「ごめんなさい、教授」

「なぜ君の方が頭を下げる」


 既に落ち着きを取り戻したエルロイドとは対照的に、マーシャの方が平静を失っていた。


「私の方こそ、助手なのに下らない意地を張っていました」


 頭を上げたマーシャは、どこかすがるような目をしていた。それを見て、エルロイドはようやく理解した。考えてみれば、彼女はまだ若いのだ。成人しているものの、自分よりもずっと年若い女性である。いつも平静で悠然としているように見えていたので、その事実をずっと忘れていた。


「教授が私を必要とされないのでしたら、お好きなように、とずっと思っていて、だからあんな風に、ずっと知らん顔をしていて……」


 恥ずかしげに顔を赤くしてそう告白するマーシャは、妖精女王の目を授かった境界線上の住人ではない。怒りもすれば悲しみもするし、いじわるをされれば意地を張ったりもする、ごく普通の血の通った女性だった。


「君が謝る必要などない。主人が道を誤れば、助手が迷惑をこうむるのは当然だろう?」

「ですが、教授は私よりも先に謝罪されました。教授は何も道を誤ってなどいません。本当です」


 真摯にそう言われ、安堵する自分にエルロイドは気づいた。


「……そう思うかね?」

「はい。心から」


 怖じることのないマーシャのオッドアイと、エルロイドの目が合う。


「ありがとう。そう言ってくれると、胸のつかえが取れる。明日からの作業に身が入りそうだ」


 そう言うと、深々とエルロイドは椅子に身を沈めた。すべての物事が、あるべき場所におさまっていく心地よさが、心中に広がっていく。


「それにしてもマーシャ、君が意地を張るとはな。君は何事も顔色一つ変えずにそつなくこなす印象があったからな」


 何気なくエルロイドが追求すると、ようやく落ち着きつつあったマーシャが恥ずかしそうな顔に戻ってしまう。


「教授、その、そうあからさまに言われると少し恥ずかしいです」

「何を言う。人間は自分の欠点を認めなくては成長できないぞ。これは厳然たる事実だ。いいかね、君は実のところ意地っ張りだ。少々意外だったな。いや、実に意外だ」

「だからといって掘り下げないで下さい。自分でもなんであんな馬鹿なことをしたんだろうって、本当に恥ずかしいんですから…………」


 常日頃の平然としたマーシャとは違う顔を発見し、エルロイドは大笑する。


「ははははは、何を照れている。私だって自分の過ちを素直に認めるのだ。優秀だからな! 君も優秀でありたいのならば、同様にしたまえ!」



 ◆◇◆◇◆◇



 すっかり機嫌を直して本調子に戻ったエルロイドだが、その笑いがふと止まる。


「おや、こんな手紙もあったのか」


 その手が、机の上に置かれていた一枚の手紙を取った。


「どちら様からです?」

「例の剣の破片の贋作があった教会からだ。今さらなんだ?」


 彼は手紙を開封すると、素早く中身に目を通していく。


「どうされました?」


 次第に複雑そうな顔になっていくエルロイドの表情を見て取ったのか、マーシャが尋ねてきた。


「妙な話だ。教会の資料を調べ直したところ、あの破片が偽物ではなく本物である可能性が高いと言ってきた」

「そうですか」

「マーシャ、何を平然としている。そうだとすれば……」


 エルロイドの思考が次々と事実を結びつけていく。


 もし破片が本物なら、あの妖精たちはかつてフィーサー三世と共に戦った妖精兵団の成れの果てなのか。彼らはマーシャを王の繋累と認め、故に従った。ならば、彼女の出自は……。


「いや、所詮は妖精の戯れだ」


 そう言って、エルロイドは思索を強引に打ち切る。


「恐らくな……」


 それ以上考えることを、彼は無意識のうちに恐れていたのかもしれない。



 ◆◇◆◇◆◇



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