12・妖精兵団 と 仲違いによる戦略的撤退 の 話
12-1
◆◇◆◇◆◇
その日、マーシャとエルロイドが屋敷に帰ってきたのは、既に夜もかなり更けてからだった。彼女が玄関のドアノブに手を伸ばしたその時、かん高い早口が聞こえる。
「止まれーッ!」
子供のようなその声は、マーシャの足元からした。
「ダニスレート王国国境警備隊だっ! 入国許可証を見せろーっ!」
すかさず、マーシャはスカートに手をやりつつ膝を屈め、視線を低くする。
「私ですよ、妖精さん」
それは子供や幼児に視線を合わせるどころではなく、地面を這う昆虫を見る視線だ。マーシャたちとドアとの間に、軍馬にまたがった騎士がいる。甲冑に身を固め、軍旗を手にし、背後に射手の隊列を配備させた騎士だ。ただし、手の平サイズの。
「ギャギャー! じょ、じょ、じょじょじょ女王様ァーッッ!? こ、これは失礼しましたーッ!」
文字通り手の平の上に乗ってしまうサイズの騎士は、マーシャにそう言われて軍馬諸共のけぞった。
「開門、かいもーんっ! 女王陛下のご帰還であーるっ!」
騎士が大あわてで軍旗を振り回すと、ひとりでにエルロイド邸のドアが開いていく。
「うわー女王様だ」
「お帰りなさーい」
「よくご無事でー」
「嬉しいですー」
玄関をくぐって帰宅するマーシャとエルロイドに、わらわらと射手の武装をした兵士たちが嬉しそうに群がってくる。誰も彼も騎士と同じく手の平サイズなので、マーシャは踏んづけてしまわないようにやや気を遣った。彼らは幻覚などではなく、正真正銘の妖精たちである。
「毎回大げさですね」
「ふん、妖精とは実に不思議な存在だな。まさか、我が家にこうして憑くとは思いもよらなかった」
楽しそうなマーシャに対し、エルロイドの反応は芳しくない。このところ毎日、こんなやり取りが繰り返されている。どういうわけか、この妖精たちはマーシャを姫君とし、エルロイド邸を領地とし、ここに居着いてしまったのだ。
マーシャに対しては、まるで彼女が本物の女王であるかのようなうやうやしさを見せた騎士の妖精だったが、エルロイドの姿を認めた途端、その態度が一変する。
「こらーっ! 止まれッ!」
軍馬の手綱を引き締め、大あわてで騎士はエルロイドの前に立ちふさがる。
「お前は誰だっ! 入国許可証を見せろーっ!」
「ふん、馬鹿馬鹿しい。なぜ主である私が君たちに足止めされなくてはいけないのだね。理解に苦しむ」
妖精にそう命じられても、当然のことながらエルロイドは聞く耳を持たない。だがそれが、妖精たちをさらに刺激した。
「こらー! 不法越境者だ! ただちに応戦しろーっ!」
騎士の命令一下、たちまち射手たちが弓を引き絞る。
「撃てー」
「放てー」
「発射ー」
やる気のない発言とは裏腹に、一斉に放たれた矢は狙い過たずエルロイドの上半身に次々と当たる。
「やかましい! 私はこの家の正当なる所有者だ! 今すぐ射撃を中止して撤退するように! さもなければ――――」
次の瞬間、一際強力な一矢が彼の顔に当たり、小さな爆発音と共に爆ぜる。
「きょ、教授!?」
さすがに驚くマーシャだが、煙が晴れた跡にある彼の顔は無傷だ。だが、その顔が怒りで見る見る紅潮していく。
「もう勘弁ならん! 今日という今日は君たちを全員展翅してやろう! 覚悟しろ!」
妖精たちを追い回すエルロイドの背中を見つつ、マーシャは呟く。
「むきになればなるほど、遊ばれているような気がしてならないのですが…………」
◆◇◆◇◆◇
遡ること一週間前。マーシャはエルロイドの命令で、とある古びた金属片に対して妖精女王の目を使用していた。何でもその金属片は、かつて七十年戦争を勝ち抜いた国王、フィーサー三世が用いた剣の破片だとか。もっとも、金属片と共に同封されていた教会の資料によると、どうやら贋作らしいのだが。
「せいれーつ!」
「気をつけっ!」
「敬礼っ!」
だが、彼女の緑色に輝く左目に呼応して出現したのは、手の平サイズということをのぞけば正真正銘の兵団だった。何しろフィーサー三世は、何度となく神がかった勝利を帝国にもたらしてきた。彼の死後、その武装が聖遺物となったのも当然である。そして真偽を問わず、強い想念がこもった器物は妖精を引き寄せる。
「フィーサー陛下の血を継ぐお方、我らをお呼び下さってありがとうございます。我ら妖精騎士団、あなた様のお声一つで戦場を共に駈けましょうぞ!」
剣の破片(贋作)からあらわれた騎士は、軍旗を高々と掲げてマーシャにそう宣言する。彼はエルロイドではなく、マーシャの方を一心に見つめていた。
「ほう、これは……」
「……可愛いですね」
本人は厳粛な騎士の誓いを述べたつもりだが、あいにくとマーシャとエルロイドにとっては愛嬌のある仕草にしか見えない。
「そ、そんなお戯れを! 戦が生業の我らを指して可愛いなどと……あまりにご無体ですぞ、女王様!」
悲痛な声を上げる騎士に、マーシャはほほ笑む。
「私は女王様ではありませんよ、ただの教授の助手です」
「ご謙遜を。こうして御前に立つだけで、フィーサー陛下と共に轡を並べて戦った日々を思い出しますぞ。あなた様はまさしく、陛下の繋累にございます」
自信満々に言ってのける騎士の妖精の発言に、マーシャは首を傾げてエルロイドの方を見る。
「どういうことでしょうか?」
「贋作から出てきた妖精だ。そういうごっこ遊びで楽しんでいるのだろう」
先程から妖精の一挙一動に興味深げな視線を向けるエルロイドだったが、妖精の発言そのものについてはまったく信じてはいないようだった。
「……ところで、敵はどこに? 何故に我々は呼び出されたのでしょうか?」
召喚の余韻がおさまると、騎士と兵士たちは揃って周囲を見回し始める。
「あの、えーと、それはですね――――」
彼らが望む戦いの助っ人ではなく、単に研究の対象として呼んだだけという事実を、何と言って彼らに説明しようか。マーシャが考えを巡らす暇もなく、騎士はエルロイドの姿を見て突然叫んだ。
「むむむ! 怪しい奴を発見! きっと、たぶん、恐らく、楽観的に見て、あれこそ敵性対象に間違いなし!」
そうなると、次の行動は迅速そのものだ。
「ロングボウ、構え!」
「何だね? 何をするつもりで…………」
一斉に大弓を引き絞る射手たちに、エルロイドは不審そうな目を向けたのと同時に。
「はっしゃー!」
騎士の命令一下、無数の矢がエルロイドに向かって放たれる。
――――その後はお定まりだ。エルロイドが怒り、妖精たちを追い回す。そんな光景が、以来何度となく繰り返されてきた。
◆◇◆◇◆◇
「マーシャ、君は仕事を放り出して妖精で遊んでいるのかね?」
次の日の早朝、休講日にもかかわらず大きなスーツケースを手に出かけようとしているエルロイドは、大あわてで身支度したマーシャに対して冷たい視線を向けていた。
「おっしゃろうとしていることが、私には意味不明です。それと、どこに行かれるのですか、教授」
「見て分からないのかね。大学に行くのだよ」
「でしたら、私も――」
同行します、と言うはずだったマーシャの言葉は、エルロイドの即答で遮られた。
「その必要はない」
冷たく拒絶の意思に満ちた言葉に、マーシャは驚いたように口をつぐむ。
「私は君を助手として雇ったのだ。身近で妖精と遊ばせるためではない」
「私は遊んでなどいません」
「ならば、なぜ妖精を好き放題にさせている」
エルロイドは言葉少なに問いかける。今日は相当機嫌が悪いようだ。
「教授もご存じですが、妖精とは自由気ままに遊ぶ者たちです。たとえ女王の権威であっても、服従を強制することは難しいですよ」
「君がイローヌで漆黒公とやらに剣を突きつけられたとき、その目が強制力を有したのを確認したが?」
確かに、妖精の隠れ里で漆黒公を名乗る少年がマーシャに剣を突きつけたとき、その剣はひとりでに落ちた。
「あれは恐らく、この目に害が及ぶからでしょう。そもそも、この研究対象である妖精たちは騒がしいですが無害です」
マーシャが何気なくそう言った一言だったが、残念ながらそれはエルロイドの堪忍袋の緒が切れる一言だった。
「私にとっては実に、大いに、とてつもなく有害だっ!」
正真正銘激怒するエルロイドに、マーシャは怯えたように一歩後ろに下がった。
「毎日毎日彼らの戦争ごっこに付き合わされ、実に私は不愉快だ! マーシャ、君はそうではないだろうが、私は多忙なのだ! 時間を無駄にし続ける苦痛がいかほどのものか、少しは君も頭を働かせたまえ!」
怒りにまかせてさらに言葉を続けるエルロイドに、マーシャは何一つ反論しない。
「まったく、君には心底失望したぞ。私の研究が遊びではないことくらい、君が一番よく分かっているはずではなかったのかね?」
劣等生を見る目で、エルロイドはマーシャを見る。その事実を理解したのか、彼女は一度きつく唇を噛んでから、深々と頭を下げた。
「――――申し訳ありません。私の配慮が足りませんでした。本当にすみませんでした」
しばらく、マーシャは頭を下げたままだった。しばらく、エルロイドはじっと彼女の頭を見ていた。しばらく、居心地の悪い沈黙が続いた。ややあって、先に口を開いたのエルロイドだった。
「私はしばらく大学に避難する。その間に、彼らを何とかしておくように」
「はい」
続いて頭を上げたマーシャは、一見すると何事もないかのような顔をしている。
「そうか。ならばよろしい」
そう言うと、エルロイドはきびすを返してドアを開ける。その背中に、マーシャの声が投げかけられた。
「教授」
「何だね?」
胡乱な目でこちらを見るエルロイドに、もう一度マーシャは頭を下げた。
「――行ってらっしゃいませ」
◆◇◆◇◆◇
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