11・不自然な密室 と 強引な解決策 の 話
11-1
◆◇◆◇◆◇
「マーシャさ~ん、これで何回目ですか~?」
異様に長く続く廊下を歩きつつ、マーシャの隣を歩く女性が間延びした声を上げる。レースやフリルでたっぷり装飾された服を着た、かなり小柄の女性だ。
「ええと……」
マーシャはさっと記憶を辿る。
「二十一回目よ」
それは、この見覚えのある廊下を歩いた回数だ。
「もううんざりです~。ちょっと休憩しましょうよぉ」
とうとう女性の方は、その場に座り込んでしまった。だらしなくお尻を床につけていることからして、相当肉体的にも精神的にも参っているようだ。
「ええ、そうしましょう」
周りに誰もいないのを確認してから、マーシャも床にハンカチを敷いてから座り込み、壁にもたれ掛かる。
「これが妖精のいたずらなんですかぁ?」
「きっとそうね。少なくとも、この家の造りがもともとこうだった、という可能性はなさそうね」
「そうだったら一体どれくらいの大きさなんですかぁ……」
女性は首を左右に振る。外見こそ幼いが、中身はマーシャと同年代なのがよく分かる。だからこそ装飾過多な服装が、似合うようでやや似合っていない。
「ごめんなさいね、マーシャさん。こんな変なことに付き合わせちゃって」
彼女が謝るので、マーシャは努めて気にしていない様子を装う。
「気にしないで、ルーニー。私の雇い主は、こういうことの専門家なの。だから助手の私も慣れっこよ」
実際、エルロイドならばむしろ嬉々として現状を楽しんでいるに違いない。
そう言いつつも、マーシャの左目は周囲を油断なく見回していた。この家はあたかも鳥籠のようだった。その形状が、ではなく用途が、である。そして、マーシャたちは閉じ込められた小鳥だった。だが、ここまで妖精郷の近くに位置しながら、妖精の姿は見えない。よほど妖精が姿を見られたくないのか、あるいは何かルールがあるかのどちらかだ。
◆◇◆◇◆◇
そもそも事の発端は、マーシャの友人であるルーニー・ペイワークの婚約である。服飾店に勤めていたこの小柄な女性は、若手弁護士のボーヘン・ダイラバートの未来の妻となることが決定したのだ。ボーヘンは決して辣腕ではないが、依頼人の身分を問わず親身になって接することから、特に貧しい人々に人気の弁護士だった。
そんな彼がエルロイドの元を訪れたのは、婚約者のルーニーから、「自分の友人が勤めている先はドランフォート大学の教授、それも妖精を研究する教授のところだ」という情報を得たからだった。ボーヘンが大学にいるエルロイドに面会するなり切り出したのは、「自分の依頼人が相続した財産の中に、妖精の出る家というものがある」という話だった。
ボーレンによると、その依頼人は多額の負債を抱えていて、なるべく高値で相続財産を売りたいと思っているそうだ。しかし、この妖精が出る家というのは、ひどくくせ者だった。相当強力かつ根性のねじ曲がった妖精が住み着いているらしく、誰かが住もうものなら全力でいたずらと嫌がらせをしてくるのだ。これでは家が売れるはずがない。
ということでボーレンは依頼人を助けるべく、家から妖精を追い払ってほしいとエルロイドに協力を仰いだのである。もちろんエルロイドは同意した。依頼人のためでもボーレンのためでもなく、自分の知的好奇心を満足させるために。だが彼も折悪しく立て込んだ仕事があり、まずはマーシャが一人で派遣されることとなった。結果がこれである。
◆◇◆◇◆◇
柱時計が七時を告げ、マーシャは目を開く。
「おはようございます~。マーシャさん」
並んだベッドの隣から、もぞもぞとルーニーが起き上がった。
「おはよう、ルーニー」
マーシャも起き上がり、軽く体を動かす。眠った気がしない。ここは家の中の寝室だ。ベッドも寝間着も勝手に拝借させてもらった。結局、二人はこの家で一泊してしまったのだ。
妖精の住む家という触れ込みは間違っていなかった。それどころか、群を抜いて力の強い妖精がいるらしい。何しろ、マーシャの妖精女王の目を持ってしても、妖精を従わせることはおろか正体を暴くことさえできないのだ。妖精は家の中のどこかに隠れていて、マーシャの緑色に輝く目から見事に逃げおおせているらしい。
そもそも、ここは家といっても本来は廃屋だ。マーシャがルーニーに連れられて足を踏み入れた家は、調度品もなければ掃除もされていない、ほこりの積もったどこにでもある廃屋だった。しかし、二人の後ろでドアがひとりでに閉まって鍵がかけられるや否や、そのどこにでもある廃屋の光景は、消しゴムで消された鉛筆画のように消えていった。
マーシャとルーニーは昨日、よく手入れが行き届いた室内を延々と歩き回らされている。壁には額縁に飾られた絵がかけられ、あちこちには東洋の漆器や陶器が置かれている。暖炉には石炭が積まれ、台所の戸棚にはパンやハムが収納されている。一見すると、ただの無人の家だ。ここはあの廃屋ではなく、妖精郷に程近い別世界に位置しているらしい。
「これからどうしましょうか?」
普段着に着替えつつ、ルーニーが心配そうな声を上げる。
「出口を探すよりほかないわね。このまま閉じこもっていても仕方がないわ」
「でも、いつまでたっても出られませんよ」
「だからといって、引きこもったままじゃ埒があかないわ」
エルロイドの助けを待つのも手だが、その間にできることはやっておきたい。
「マーシャさんはたくましいですね~。普通なら安全地帯を見つけてじっとしていようって思いますもの。私、そう思ってました」
ルーニーは、尊敬の感情がこもった目でマーシャを見ている。
「じゃあ、あなたはここで待ってる?」
何気なくマーシャがそう言うと、「やだやだ、そんなこと言わないで下さい~」と言ってルーニーがすがりついてきた。
「離ればなれはもっといやです~。このお家で引き離されたら、到底再会できそうにありませんから」
彼女の尋常でないうろたえ方を見て、マーシャは痛感した。自分はすっかり、怪事に慣れっこになっている。そうこうしている内に、ルーニーが着替え終わり、ようやくマーシャは気づいた。自分はまだベッドに腰掛けたまま、寝間着姿でいる。
「ちょっと待っててね。私も着替えるわ」
そう言ってマーシャが寝間着を脱ごうとしたその時だった。遠慮のない靴音がドアの向こうで響く。しかも、次々とドアが開かれては閉じる音が連続して聞こえる。手当たり次第に誰かが、ドアを開けて室内を覗いて回っているらしい。いや、誰かなどと言うのは回りくどい。こんなことをするの一人しかいない。
「マーシャ! いないのか! マーシャ!」
動く暇もなく、寝室のドアが勢いよく開かれる。
「むっ! やはりここにいたのか、マーシャ。それにそちらにいるのは、ボーヘン君の婚約者であるルーニー君で間違いないな。まったく、ここの妖精は私たちを絶対に逃がしたくないらしい。こしゃくな奴だ。さあマーシャ、君の調査結果を私に……!」
早口でまくし立てつつ部屋に入ってきたのは、やはりエルロイドだった。けれども、その足が途中で止まる。
「教授」
「何かね?」
「見てお分かりになりませんか?」
「……な、何かね?」
口ではそ知らぬ風を装っているが、エルロイドは明らかにたじろいでいる。マーシャは寝間着の肩紐や裾を手早く整えて、ゆっくりと丁寧に彼に説明する。
「女性の部屋にノックもなく入ってくるのは、紳士的ではないと私は思うのですが。ましてや、女性が着替えようとしている最中に」
マーシャの言葉に、大あわてでエルロイドはきびすを返した。反論さえなく閉じられたドアの向こうに、マーシャはフォローする。
「ご心配なく。着替えていたのではなく、これから着替えようとしていただけですから」
◆◇◆◇◆◇
「先程は本当に済まなかった。私の配慮が足りなかったことは謝罪しよう」
廊下を歩きながら、エルロイドは隣のマーシャにしきりに謝っている。
「教授、ですからお気になさらないで下さい。何度も言いますが、着替えていたのではなく、着替えようとしていただけですから」
「似たようなものではないか」
「大違いです」
おおざっぱなエルロイドの分類に、マーシャは困ってしまう。いつも人の視線や思惑をまったく顧みないエルロイドにしては珍しく、今回はちゃんと罪悪感を覚えたらしい。だが、逆に言えばややこだわりすぎだ。マーシャは今怒ってなどいないのだが、エルロイドはしきりと先程のことを蒸し返すのだ。
「そうだろうか?」
「そうなんです。お願いですから、済んだことを根掘り葉掘り問いたださないで下さい。少し恥ずかしいです」
とうとう、マーシャの方が音を上げた。実際やや頬が赤い。
「むむ……複雑だな」
「そうです。複雑なんです」
そこまで感情に訴えて、ようやくエルロイドの謝罪を兼ねた追求は止んだのだった。
◆◇◆◇◆◇
エルロイドが足を止めたのは、一見すると何の変哲もないドアの一つである。だが、その向こうは「ここが応接室だ」というエルロイドの言葉通りだった。それまでずっと当てずっぽうにしか移動していなかったマーシャとルーニーが驚いたのは、言うまでもない。二人とも、ドアを開けるまで中がどうなっているのか予想すらできなかったのだ。
応接室の内装は、これまでマーシャが見てきた部屋の中で図抜けて贅沢だ。やや悪趣味と形容するくらい、絵画やら陶器やらが所狭しと置かれている。むしろ、倉庫に近いとも言えよう。その中で、エルロイドは手持ちの小さなコンロで紅茶を煎れ、少しの茶菓子と共に二人に勧める。そして自分は、それまでずっと書き込んでいた手帳を見せた。
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