いとのさきにあるもの

此田

春ー浅加結①

人の恋心というものはどうにも不思議で、理屈では説明しきれないほどに大きな力を秘めている。結ばれるべき恋人同士は運命の赤い糸で繋がれている、などというロマンチックな迷信に憧れたことのある人も少なくはないだろう。

……かくいう私はというと、運命の赤い糸というものを信じていたりする。

というより、私には“それ”が視えるのだ。


幽霊やオーラなど、非科学的な不可視のものが“視える”人というのはたまにいるらしい。私が“視える”ようになったのは幼稚園の頃。うちの家系ではよく視える子が産まれるのだと、同じく“視える”という祖母から聞いたのはそのすぐ後のことだ。

とはいうものの私の力は大したものではなく、人の想いが紡ぐ糸のような何かが少し視えるだけ。超能力というにはあまりにお粗末なこれは、あってもなくてもどちらでもいい第六感のようなものだった。

時折友人の紡ぐ糸を視て恋愛アドバイザーの真似事などもしてみたけれど、それが別段何かの役に立ったことはない。目の前を通り過ぎるカップルの間で幸せそうに舞い上がる糸に対して、どうせ“視える”のならもっと凄いものが視えたら良かったのにと思ったりしたこともあった。

だけど初めてその人の紡いだ糸を視た時、迂闊にも涙が零れ落ちそうになったのを覚えている。

その日私はまだ新しい制服を着て歩けることが嬉しくて、校内をふらふら歩いて回りながらなんとなく部活見学のようなことをしていた。教室棟やグラウンドといった主要の場所も見終え、ついでとばかりに立ち寄った特別教科棟の隅。あまり人気がなく他の場所よりも少しひんやりしているように感じたそこに彼はいた。地学準備室と書かれたドアのペンキは少し剥げていたけれど、後付けのフックに掛かった“歴史研究会”のプレートはきちんと磨きあげられていて、沢山の人が大切に繋いできたものなのだと一眼でわかった。

手作りの温かみのあるそれを見て、きっと私はここに入部するのだろう、となんの根拠もない予感を胸にドアを開けた。

「失礼します」

狭い教室内に然程大きくもない私の声が響くと同時に振り返ったその人の周りに広がっていた糸を見て、思わず声が出そうになった。

「……‼︎」

きらきらと銀糸のような眩い光を放ちどこまでも滑らかに伸びていくそれは、今にも消えてしまいそうなほど儚くて、それでいて今まで視たどの糸よりもはっきりとその場に“在った”。

あまりの出来事に息もできずに呆然としている私を見て不思議そうに首を傾げた先輩の顔は驚くくらい白くて、切れ長で涼しげな目元も相まり日本風の吸血鬼のようにも見えた。

「新入生?」

突然現れた私の姿に驚いたのか少し掠れていた声は思っていたより低く、途端に私の中で彼の存在が現実味を帯びた。私にだけ見える清らかな糸を纏ったその人のことを、神聖な何かのようだと思ったことは誰にも言えない。

眼を瞠ったまま動かない私を気遣ったらしい先輩は、もう少ししたら他の部員もくる筈だからよかったら見学して行ってねと柔らかく微笑んでくれたが、私は上擦った声で「出直します」と叫び逃げるように去ることしか出来なかった。

どきどきと激しい鼓動を抑えるように深く息を吸った私の視界は、感動の涙で滲んでいた。

あの先輩は恋をしているのだ。この世界の誰かに、あんなにも綺麗な想いを寄せているのだ。

身体中で炭酸水の泡が弾けるような衝撃を感じながら、名前も知らないあの人の恋が叶うことを祈った高校生活四日目の放課後。

その日私は世界で一番美しいものを見た。

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