第682話


「ごめんね、司」

「そうか・・・」


 真田家隠れ家前の海岸へと走って戻って来たアンジュは、目的の刃を連れ帰れなかった事を、肩で息しながら甘い吐息で謝って来た。


「仕方ない子だね」

「シエンヌ・・・。それはシエンヌも同じでしょう?」


 潮風で乱れた髪を掻き上げながら整え、肩を竦めるシエンヌにアンジュからのツッコミが入る。


「アンジュ、アンタねえ・・・」

「私に気を遣ってくれなくても良いのよ?」

「ふんっ、誰がそんな事・・・」

「そう?」

「・・・っ」


 シエンヌが気まずそうに視線を逸らすと、その身長差を利用し覗き込む様な姿勢でシエンヌの双眸を追ったアンジュ。


「ありがとう、シエンヌ」

「ふんっ」

「ふっふっふっ」


 シエンヌの其の頬が薄紅色に染まったのは、潮風の冷たさの所為だけでは無いだろう。

 アンジュはそんなシエンヌの様子に、満足そうな笑みを浮かべたのだった。


「私達は三人で留守番をしとくわ」

「そうか・・・」

「悪いけど、お爺様をお願いね?」

「あぁ、分かったよ」


 留守番、そしてエヴェックの事を頼んで来たアンジュ。

 何故、留守番かというと、今日は来るべき最終決戦に向けて、リアタフテ家の屋敷で決起集会を兼ねたパーティーが開かれるのだ。


(エヴェックは、アンジュと刃が参加し難い事を理解して参加してくれたんだよな)


「でも、本当にあの子ったら」

「仕方ないさ」

「司・・・」

「彼奴にも男のプライドがあるんだよ」


 前回のアウレアイッラへの同行はアンジュも居たし、周りはほぼ全員面識のある大人ばっかりだったし、刃にとってホームの様な環境だったのだ。

 それに対して今回は、リアタフテ家の屋敷という完全なアウェーで、刃にしてみればどんな事が起こるか分からない恐怖もあるだろうし、拒否されても仕方ないとは思っていた。


(それに、自身が拒否すればアンジュが参加する事も出来なくなるし、刃からすれば自分の我儘でそういう形にすれば、アンジュの尊厳を傷付けさせる必要も無いと思っているだろうしな・・・)


「でも、あの子は・・・」

「ん?どうしたんだ?」


 一瞬だが、アンジュは視線をサンクテュエールの方に向け何事か漏らしたが、其れは完全に潮風に掻き消れてしまって、俺の耳には届かなかった。


「ううん。男の子の事は難しいなと思って」

「そうか」

「もし、時間が出来たらで良いんだけど・・・」

「ん?」

「少しだけでも良いから、こっちに顔を出してあげてね」

「あぁ、勿論」


 俺は今回の決起集会を終えたら、そのまま現地で楽園への道が開くのを待つ予定だった為、このままだと刃の顔を見てやれない事になる。


(昨日の夜は余り話してやれなかったからなぁ・・・)


 昨晩はフォールからディシプルの対応と、それに伴う家族達の説明を受けていたから、深い時間迄大人の話に終始して、寝落ちしてしまった刃とは余り話してやれなかったのだ。


「此方に何か害が及ぶ可能性は低いと思うが、家の事を頼むな」

「ふっふっふっ、任せなさい」


 胸を張って応えたアンジュ。

 凪がヴェーチルからリアタフテの秘術を得た時、此のディシプルでは元王子の処刑が行われていて、その時に国内の不穏分子と守人達を根絶する事に成功していて、此処から戦火をリアタフテ領へと広げていく事は出来なくなっていた。

 ただ、鍵穴へと割く戦力を優先しなければいけない為、絶対的な戦力不足となってしまう。


(まぁ、フォールも付いていてくれるし、避難の為の海軍も準備はしてくれている)


 然も、今回は海に出れば、ヴァダーを通じて海龍達も此方側となるし、此処は安心出来るだろう。


(危険なのは此方が負けた時だからな・・・)


「じゃあ、明日・・・、っ⁈」


 明日、刃に会う為に顔を出すと告げて出発しようとした俺に、突然抱きついて来たアンジュ。


「・・・」

「・・・」


 柑橘系の爽やかな甘い薫りが鼻を擽り、アンジュの肩越しには気を遣いシエンヌが背を見せていた。


「アンジュ・・・」

「司・・・」

「・・・っ」


 耳元で囁く様に唇を動かしたアンジュ。

 柔らかな唇の感触が耳に触れ、俺は背筋をビクリと伸ばしてしまった。


「ふっふっふっ」

「・・・」


 そんな俺の反応を面白がったアンジュは・・・。


「私・・・。今度は女の子が良いわ」

「え・・・?」


 突然そんな事を告げて来て、俺は応える事は出来ずに、ひどく間の抜けた声を漏らす事しか出来なかった。

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