第668話


「っ‼︎」


 視界の先で地面を二回転程した颯。


「・・・ぅ」

「・・・」

「やっぱりお父様は強いや・・・」


 何とか立ち上がりながらも、視界は下に向き、意気消沈といった様子に見え・・・。


「はや・・・」


 横で俺達の様子を見ていたローズが、声を掛け様としたが・・・。


「もう一度お願いします‼︎」

「っ・・・」


 落としていた視線を上げ、しっかりとその漆黒の双眸で俺を見据え、再戦の要求をして来て、その様子を見たローズは・・・。


「っ・・・」


 感慨深いものを感じ、その感情の雫が溢れて来そうな感覚を覚えたのか?

 後ろを向き、その掌は其れをぐっと堪える様に握りしめていた。


「お父様」

「あぁ、分かったよ」

「ありがとうございます」

「ちょっとぉ、颯ばっかりずるいわよっ」

「凪姉ちゃん・・・」

「次は私の番でしょ?」

「ぅぅ・・・」


 先程迄は順番待ちなど訴えていなかったが、颯の頑張りを見て感じるものがあったのか、俺との模擬戦を要求して来た凪。

 姉弟関係だけでなく、言葉のやり合いでは凪に敵わない大人しい性格の颯は、困った様に視線を泳がせてしまう。


「凪?お姉ちゃんなのだから、颯を待ってあげなさい?」

「ええー‼︎何でなのママ。そんなの男女差別よ‼︎」

「凪・・・。貴女ねぇ・・・」


 別に男女差別では無いのだが、最近は間違っている事を分かっていても、態とそういう言い回しを選び、話の流れを相手に掴ませない様にしようとする凪。


(特に、自分が口じゃ勝てない大人に対して使って来るところと・・・)


 それだけではなく、身長差もあるのに態々前屈みになり、其処からもう一段降りての上目遣いというポージング迄つけてくるのだ。


(ローズ譲りの容姿でそれをやるものだから、大人の男は皆んな甘やかしてしまうんだよなぁ・・・)


 そんな自身の事を棚に上げた様な感想を俺が抱いていると・・・。


「凪、いい加減にしなさい」

「ええー‼︎パパァ・・・」

「ぅ・・・」


 ローズの有無を言わさぬ一刀両断に、凪は逃げ遅れていた俺へと視線を向けて来た。


「まぁ・・・。え〜と・・・、そうだなぁ・・・」

「司っ」

「お、おぉ・・・」

「パパァ」

「う、う〜ん・・・」


 全く情けない話だが、妻と娘に挟まれて、その何方にもまともに応えられなくなってしまう俺。

 然し、そんな状況の中、颯は・・・。


「お願いします。お父様‼︎」

「お・・・。おぉ」


 臨戦態勢を整え終えて、此方をしっかりと見据えていたのだった。


「ええー‼︎パパァ・・・」

「退がってな、凪」

「ええ・・・」

「危ないぞ?」

「・・・ちぇっ」


 そんな珍しい颯の様子に、俺が応える様に構えを取り、横目だけで凪に告げると、凪も諦めた様に地面を蹴りながら退がったのだった。



「ありがとうございました」

「あぁ・・・」


 正直なところ、二戦目は颯の粘りが凄く、息が乱れそうな感もあったが、其処は父親の威厳を示す為、俺は颯と凪には気取られ無い様に小さく息を吐き、呼吸を整えたのだった。


「じゃあ、次は私ね」

「・・・ん?」


 凪の宣言に、俺は聞き返す様にしながら、息を整えていたが・・・。


「お昼が先よ?」

「ええー‼︎何でぇ、ママァ」

「時間だからよ?」

「じゃあ、何の為に待ってたの?」

「偉いわね〜、凪」

「ぶぅ〜」


 ローズは凪に休憩を宣告し、頬を膨らませた凪を、赤ん坊にする様に褒めてやっていたのだった。


「行きましょ、司」

「・・・あぁ」


 此方を見て来たローズの視線には、俺の疲れを気取った様子が見て取れて、敵わないなぁ・・・、なんていう風に一人心の中で惚気てしまった。


「お父様・・・」


 俺の隣に立ち、此方を見上げて来た颯。


「強くなったな、颯」

「・・・はい‼︎」


 俺は背も伸びて撫で易い位置になった背に掌を置くと、其の背は思っていたよりずっと広いものになっていたのだった。

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