第208話
「う、うぅぅ・・・、ん。ロー・・・」
肩を揺らされる様な感触に、自らの婚約者を想像し目を覚ました俺。
「・・・あぁぁ。・・・そうだったな」
瞳を開けた視界の先。
日本から此方に来て、最近やっと見慣れて来た、装飾の施されたシャンデリアの下がる高い天井は無かった。
代わりに見えるのは、ベッドの上に立ち手を伸ばせば届きそうな、簡素なランプの掛かった天井だった。
「ふあぁぁぁ・・・、あ」
俺は身体を起こしベッドに腰掛けると、大きく伸びをして、ランプの火を消した。
(ちょっと、暑いなぁ・・・)
急遽用意して貰った部屋だったので不満は無かったが、日頃、制御装置で空調快適の部屋で生活している為、簡素な風の通り道しか無い部屋は、少し寝苦しかった。
「贅沢は言ってられないな」
俺は自身に言い聞かせる様に口にし、ベッドから立ち上がり船室を出るのだった。
「おはようございます」
「あぁ、おはようございます」
「昨日は良く休めましたか?」
「えぇ、お陰様で」
「そうですか、それは良かった」
船内の通路を歩いていると、船の宿泊客であろう落ち着いた雰囲気の男性から挨拶を受けた。
男性はそのままその場を去って行ったが、何気無いやりとりにマランの昨晩言っていた、彼の人を見る目の力に納得したのだった。
(まぁ、本当の悪人は相手に気付かせ無いだろうが・・・)
「う〜ん?」
昨晩は案内もあったので迷う事は無かったが、1人で歩くと船内の狭く迷路の様に入り組んでいて、特徴の無い通路に俺は、何方に進めば良いか分からなくなった。
「司さん」
「え?・・・グランさん」
背後から掛かった声に振り返ると、其処にはグランがいた。
「どうされました?」
「実は迷ってしまいまして」
「ああ、なるほど。船内は入り組んでいますからね」
「えぇ・・・」
「何方迄?」
「ちょっと、朝の散歩にでもと思いまして」
「おお、それは好都合です。私も丁度出るところでして・・・。もし良ければご一緒にどうですか?」
「そうですか、助かります」
「では、行きましょうか」
「はい」
俺はグランの後ろを、先程迄進んで来た通路側へと戻って行くのだった。
(逆だったんだな・・・)
「気持ち良いね〜」
「はい」
「司君は良く散歩を?」
「えっ⁈」
「いや、これは失礼だったかな?」
「いえ、とんでもありません」
「はは、ありがとう」
俺とグランは船内の蒸し暑い空気から一転、早朝のまだ冷たさの残る潮風を堪能しながら、街へと歩いていた。
「日頃なら鍛錬をしています」
「ほお、それは素晴らしい」
「いえ」
「はは、謙遜する事は無いさ」
「いえ、本当に・・・」
「ははは」
面白そうに笑い声を上げながら歩くグラン。
ただ、事実として日々の鍛錬は、生活や学費の面倒をみてくれているリール、延いてはリアタフテ家に、恥ずかしい思いをさせ無い為に最低限のもので、当然の事だと思っていた。
「私は怠け始めて長いからね」
「そうなのですか?」
「ああ。現役当時は毎朝鍛錬を積んだが、今では散歩がやっとだよ」
「グランさんは?」
「うむ、魔法の心得が有ってね」
「魔導師だったのですか?」
「まあ、そんなところだね」
「へえ〜」
温厚そうな顔付きでスリムな体型ながら、鍛錬の成果を感じる体躯のグランは、俺の理想の魔導師像に一致していて、無意識の内に溜息を漏らしていた。
「・・・っ、此方へっ」
「・・・えっ⁈」
「しっ‼︎」
「・・・っ⁈」
まだ早朝で人通りの無い街をグランと歩いていると、突如として彼に手を引かれ、建物の影に連れられた。
「静かにっ・・・」
「・・・っ」
声を潜めて指示を飛ばして来るグランに、俺は眼球で頷き応えた。
「・・・あれは、ディシプル兵?」
「・・・」
グランが注視する先。
其処にはディシプル兵が街の警備だろうか、周囲を監視しながら歩いていた。
「警備ですかね・・・」
「・・・」
「グランさん?」
「司君・・・」
「はい?」
「瞳に魔力を送ってみなさい」
「瞳にですか?」
「ああ」
瞳に魔力とはどういう事だろうか?
俺は疑問に思ったが、グランの静かながらも鋭い声色に、とりあえず言う通りにした。
「・・・」
「あの兵士を見て見なさい」
「兵士を・・・、っ⁈」
「本当に素晴らしいよ、君は」
兵士から視線を外し、背後の俺を見て来たグラン。
其の瞳は先程迄の温厚そうな物ではなく、眼光炯々としていた。
ただ、俺の驚きは其の変化によるものではなかった。
「あれは・・・、狐の獣人?」
肉眼で捉えていた時は、特段変哲の無い青年兵だったディシプル兵。
然し、魔力を込めた瞳で見据えると、其の姿は狐の獣人のものだった。
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