第100話


 フェーブル辺境伯とディシプルの連合軍との争いから一カ月後、リアタフテ領は木々や草花に雪を纏い、冬景色へと衣替えをしていた。

 あの後王都からの援軍はリアタフテ領を抜け、フェーブル辺境伯領に入り其のままディシプル国に対し防衛線を張った。

 なおその時にフェーブル辺境伯軍は一切の抵抗を行わなかったそうだ。


(やはり彼らにとって正統な主君は国王となったのだろう)


 フェーブル辺境伯は其の地位と領土を剥奪され地方へと流罪となり、ディシプル軍はフォール将軍など一部を除いて国外退去処分となった。


(まあ、数百を数えるディシプル軍全てを収監しておくのはかなりコストが掛かるだろうしな)


 フォールは王都の牢獄へと連行されて行ったが、去り際「剣に名付けたら教えてくれ」と言っていた。


(伝統的なちゅ◯ち◯ん丸とかどうかなぁ・・・)


 そして・・・。

 紛争終了後に行った魔物討伐で取り逃がしてしまったあのワーウルフ。

 あの後結局いくら捜索をしても発見する事は出来なかった。

 幸いにも住民達から被害の報告も無かったが、あれ程強力な魔物が今何処で何をしているのかは気掛かりであった。


「う、うぅぅ〜ん・・・、ん?」


 今日は週末の朝で早起きをする必要は無かったのだが、ついいつもの癖で開いた瞳には朝日は感じられず、部屋の豆電球の灯りしか映らなかった。


「あ、あれぇ・・・?」


 最近は朝起きると寒さに震える事も多いのだが、今日はやけに布団が暖かかった。

 それに・・・。


(なんだろう?やけに身体が重く感じるし、息苦しいな・・・?)


 起きた瞬間身体を伸ばしながら、脳や肺に酸素を送り込もうと深呼吸をしたが何かが胸の上に乗って居るのを感じた。

 俺が足りなかった酸素を補給する為に、少し荒い鼻息をすると、何かふわふわとした上質な羽毛の様なものが、ピクピクと小刻みに俺の鼻を撫でた。


「ん、ん、・・・にゃ〜、・・・ん、にゅうぅぅ」


 突如聴こえてきた何かの鳴き声の様な其れに、目だけ動かし視線を向けてみると其処には猫耳が見えた。

 俺が鼻で息をする度に其れに合わせて反応を示す其れは、もう既に見慣れた感のあるアンの耳だった。


「うにゅ〜う、ん、・・・ひゃっ、ダメにゃご主人様・・・」

「・・・」


 いやダメも何もどうやって俺の部屋に入って来たんだ?

 俺の部屋の鍵は俺とローズしか持っておらず、昨晩室内から鍵は間違いなく閉めた筈なのに・・・。

 俺は如何にかしてアンを退けようとしたが、アンは小さな手でしっかりと俺にしがみ付き離れてくれなかった。


(猫はこたつで丸くなるって位には寒さに弱いのだろうけど・・・)


 暖かさを求めてどうにか俺の部屋に忍び込み、布団の中で丸まっているのだろうが、こんな状況をもし誰かに見られたら・・・。


「手伝おうか、司?」

「っ⁈・・・ローズっ⁈」


 突如部屋の隅から掛かった声に視線を向けると、其処には窓際にまだ僅かに残る月光を浴びながら佇むローズがいた。


「手伝おうか?」

「ああ、助かる。突然の事だから、起きたらアンが上に乗ってて・・・」

「そう・・・」


 いつから居たのか、まるで突如として現れた様相ローズに俺は焦ってしまい、会話の体をなさない単語の羅列で答えてしまった。

 窓際からベッドの方に向かって来たローズはアンの首襟を掴み、俺から引き剥がした。


「にゃっ、・・・んにゃ〜?・・・うぅぅぅん?」

「・・・」

「はは、助かったよ、ローズ。本当に・・・」

「ええ・・・」


 短く応えるローズのルビーの瞳が、未だ薄暗い部屋の中で何処か妖しい輝きを放ち、俺は言い知れぬ威圧感を感じた。


「じゃあ、この娘連れて行くわね?」

「あ、あぁ、助かるよ、ローズ」

「・・・んにゃ、ご主人様、乱暴なのはダメにゃ、・・・あんっ」

「・・・」

「は、はは、アンの奴め、寝ぼけてるな・・・」


(天地天命に誓って俺はアンにそんな類の事をした事は無いし、そんな目で見た事も無かった)


 ローズは特に反応するでも無く、部屋のドアに手を掛けると立ち止まり此方を振り返り口を開いた。


「司・・・」

「な、何だっ⁈」

「・・・私ね、ちゅ◯ち◯ん丸は無いと思うわ」

「え?」


 俺はローズから叱責を受けるのかと身構えてしまったが、どうやら全くの取り越し苦労だったらしい。


「確かに子供の名前は司やお父様と同じ、日本の名前でとお願いしたけれど・・・」

「あ、いや・・・、違うんだ、ローズ」

「そう?」

「ああ、本当にちゃんと子供の名前は考えているよ」

「なら良いのだけれど・・・」


 妊娠が発覚した後、ローズは子供に日本名を付ける事を望み、俺へとリクエストしてきた。

 どうやら寝言で剣の名を考え口ずさんでしまい、其れをローズが勘違いしたらしい。


(流石に未だ見ぬとはいえ、我が子に雀の鳴き声の名なんて付けないぞ・・・)


 ローズは部屋のドアを開けて部屋から出て、其のドアを閉める寸前に自らの少し膨れてきたお腹を愛おしそうに撫でながら言った。


「この子はきっと男の子だから、お願いね?」

「あ、あぁ・・・」

「じゃあおやすみなさい、司」

「ああ、おやすみローズ」


 そうして1人になった部屋で俺はそっと息を吐いたのだった。

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