終 幕
新たな風 そして
入り江……波打ち際の物見台に瑠海はじっと佇んでいた。ここに座って海を見ていたシャルルの横顔を思い出していたのだ。
彼の死はあまりに惨い形で訪れてしまったが、それに反して死に顔は安らかで綺麗だった事が妙に印象に残っていた。
(フィリップに仇を討つ大義名分を与えたのだ、なんて言わないで下さいね、殿下。)
でも彼ならそれも有り得ない事も無いと瑠海は思った。ずっと自分の側に仕え、本国からの風当たりからも庇護し続けてくれたと言うのに、元々高い地位にあった彼を引きずり下ろし自分の足元に傅かせたのが自分の実の父だったと知れば、どんなに償おうとしても足りないと思ったかもしれない。それに、愛するドルーチェと決して結ばれないならば、いっそ、と少しは思わなかっただろうか。
(考え過ぎよ。悪い癖だわ。)
ランドーは、入り口の辺りで彼女の姿を見付けそっと近付いて来た。
「やはりここか。そろそろだぞ。遅れるな。」
瑠海は、ランドーの声にドキリとして振り返った。そしてごまかす様に手にした例の半分に折られていた絵を差し出した。仮説は仮説に過ぎない、そう思った。
「これ。この子、誰なのかなぁ。気になっちゃって。もしかしてあなただったりして?」
ランドーは、彼女が手渡した古びた絵を眉間にシワを寄せ見ると、照れた様に苦笑した。
「お前には適わないな。ご明答。これは私と母だ。本当は父と姉がもう半分の所に描かれていた。あの細工物屋のジルが書いた絵だ。」
「多才なのね。」
「母にとっては、この時が一番平和で幸せな時だったのだろうな。」
「この絵の半分って、何処に有るの?」
「母が死んだ時、棺に入れて埋めた。」
それは、王族が入る城の霊廟ではなく、別宅の裏にひっそりと佇む小さな墓だ。
「殆どが叔父の手によって処分され父の絵が他に無かったのと、こちらを残したのは、私が母の顔を忘れてしまわない様にと姉が考えてくれた事だ。とにかく見付かれば燃やされてしまうから使われなくなったあの小屋に隠したんだ。」
額ごと折られた絵は何とも無残だが、当時はそうせざるを得ない事情がやはり有ったのだ。瑠海はフローラの凛とした眼差しを思い出していた。
額の残骸を外して見ると、キャンバスの裏側に何か書かれているのに気が付いた。その古い文字の線に彼女は言葉にならない懐かしさを感じ、唇を震わせた。アルファベットなのだ。
それを見るランドーの表情は複雑だ。
「何と書いてあるのか、誰も読めない。」
懐かしさは時として衝撃を与えてくる。瑠海はその文字列をそっと手でなぞった。
「My family-Alfonse,Frola,Philip and I.」
「読めるのか? アルフォンス? それは父の名だ。何という意味なのだ。」
文字を撫でながら瑠海は顔を上げた。
「私の家族、アルフォンス、フローラ、フィリップと私。お母様は私と同じ世界から来た人だったのよ。それでお風呂が有った……」
「人魚ではなかったのだな、母は。」
瑠海は思わず笑ってランドーを見上げた。
(お母様が人魚だって本当に信じてたのね。私と雰囲気似ている人って彼女なのかな?)
ランドーは、徐に懐から紫の絹に包まれた何かを取り出した。
「これを、お前にもらって欲しい。」
包みを開き、彼女の首に首飾りを掛けた。飾り部分の真ん中には、明らかにあの時のルビアが整然と嵌め込まれていた。
「どうしてここに有るの?」
「海の魔女が返してくれた。すぐに渡したかったんだが、ジルに頼んでお前用に仕立て直してもらっていた。その分暇が掛かった。」
それを一時託されたドルーチェが、出来るもん、と言って拗ねたあの時の顔が瑠海の脳裏に浮かんだ。
「ありがとう。こんな大切な物を。」
ランドーは、思わず溢れた涙を指で拭いながらそれを見ている彼女に微笑んだ。
二つの宝石はまた新たな記憶をそれぞれに刻んだ。一つは人魚の手で王子を救う為に。もう一つは、真の持ち主を護る為に人魚の声の媒体として鋼の自らを折った。
「宝剣も綺麗になったわね。」
「私の家に代々伝わる物だ。これが折れた時、父と母の無念を吸い込んだ剣の声を聞いた。二人の為にもこれは私が持つ事にした。」
王家の宝剣は、折れた部分を拾い刀工が最初から鍛え直して今ここに有る。
「似合ってる。今日はとても素敵よ。」
「お前も。衣装を汚すなよ式が終わるまで。」
瑠海はランドーを見上げた。帰って来たのは宝石と剣だけでは無さそうだ。彼が自ら造り出した影によって、遠い昔に封印した母の思い出と誇りも光と共に帰って来たのだ。その影を消す事がシャルルの本当の願いだったのではないだろうか。
「ありがとう。」
言葉が続かなかった。
瑠海はランドーの頬にキスをした。
二人は物見台の上で跪くと、シャルルとドルーチェの為に長い祈りを捧げた。
あの丘で摘んで来ていた花、シロツメクサに似た花の冠を瑠海は静かに海に流した。
遠くで高らかにラッパが鳴っている。新しい王の戴冠式が始まるのだ。
瑠海はドレスを翻し振り返った。
「腹を括れって事なのよ、国王陛下。」
「シャルルの最後の嫌がらせだ。」
「叔母上の御意向でしょう。」
ランドーが差し出した手に、瑠海はそっと自分の手を重ねた。
シャルルを失った悲しみが癒えるにはまだ時間が掛かりそうだが、全ては明るく温かい方向へ流れて行くだろう。自分達のすぐ後ろで、いつもの悪戯な笑みを浮かべた彼がそっと囁いてくれている様に瑠海は思った。
見上げると紺碧の空は、爽やかな風を湛え抜ける様に澄み渡っていた。
*********
様々な計器類と、彼女の生命維持の為の機器の駆動音だけがする静かな室内を何時もの様に看護師が行き来し、異常が無いかと波形のチェックをし、何ら変わりが無いと部屋を出ようとしたが、何か違うと思ったのだろうか、彼はもう一度彼女の枕元に戻って来た。
彼女の意識が戻らない状態はほぼ半年続いていた。
彼女は開発チームの一員として、新型の疑似体験型ゲーム機に搭乗し、企業側の要望に沿うよう様々なデーターを送り続けていたが、或る時点に到達した際、落雷による過剰負荷が発生。機械がダウンし、脳内へ強制転送された疑似異世界へのいわゆるダイブ状態から戻れなくなってしまっていたのだ。
薄っすらと瞼を開いた彼女に看護師は思わず身を乗り出した。
「文月さん。僕の声が聞こえますか?」
彼女は呼び掛けた看護師をはっきり目で追った。意識が戻ったと判断した看護師は、感情を押さえられず弾んだ声のままステーションに連絡した。
程なくして召喚された開発チームの面々が集まって来た。
「彼女はどのルートを通ったと思う?」
「いや、ただの昏睡だった方の可能性が高いだろう。」
想定外とは言え、意識不明者まで出したと言うのに全く不謹慎極まり無い発言である。
「そもそも君がクリアは難しいだろうと踏んだのは何故だったんだ。もしかして、彼女がずっと御一人様だったからか?」
口髭を生やした童顔プログラマーは小さく頷き、企業内診療所の医師をチラリと見た。
「キャラデザも、女性の一般的な好みを考慮されていたけど、デザイナーのスランプ中だったし、君も見ただろ、アレ。」
「まあな。恋愛候補設定No.1 王子シャルルはここの坊ちゃんだし、No.2 診療所医師ゲイリーは君だし。No.3 エドはここの看護師さん。最終ボスキャラの王様に至っては社長だしな。」
「ここまで時間が経ったって事は、まさか、NGキャラに捕まったって事なのか?」
「それって通常なら、ユザーを迷宮に誘うプランナーの思う壺だよな?」
ここで彼等の言うNGキャラとは、一般ゲームで言う所の案内役であり、ヒロインを補佐する立場の登場人物で、あくまでストーリーには無関係の者を言う。
「もしそうなら、僕は彼女に聞かなくちゃならない。彼を選ぶなんてあり得ないと思って、彼については何も作り込んでなかったんだ。どうやって帰り路を見付けて来たのか、聞かなくちゃ。」
それを聞いた企画統括部長兼プランナーは、やや殺気立った怪訝そうな顔をしてプログラマーを見て詰め寄った。
「どう言う事だ? まだ試作なのは分かっていたけど、抜け道も作ってなかったって事か? おい、それじゃぁ、ユーザーがもしもNGキャラを選んでいた場合、途中で真っ白で行き止まり、進むことも退く事も出来なくて脱出は基本不可能だぞ。嘘だろ。今まで何で言わなかったんだ。彼女を廃人にする気だったのか? せめて強制終了になるようにしておかないと……」
二人は青褪め、ベッドの上でまだ表情もはっきりしない様子の文月瑠海を見ると、彼等に気付いた様で彼女は微かに笑った。
「……」
「記憶ははっきりしているか? 私が分かるか?」
「はい……」
「質問するよ。」
彼は酷く不安そうに彼女に聞いた。それが今回の新システムにおける最大の難点であり革新的改革点だからだ。記憶年齢の設定。つまりはユーザーがゲーム界における自らの年齢を遡って選択し、記憶もそれに合わせて設定されるのだ。実年齢は35歳でも心は10歳の小学生になってその世界へ入って行けるのだ。
「君は今、幾つだ?」
システムが正常に機能すれば、覚醒段階でゲーム内での記憶を持ったまま元の状態に戻るのだ。
「26です。」
それを聞いて彼はホッと胸を撫で下ろした。
「よかった。正常だ。」
プログラマーは何かを確信して身を乗り出した。
「ねえ、君はどんな物語を見て来たの? 誰を恋人に選んだの? あれから半年も経っているんだ、教えてくれ。」
彼女は不思議そうに首を傾げて言った。
「ヒロインの雇い主だけど……何か?」
彼女の返事にプログラマーは溜息を吐いた。
「やっぱりフィリップ・ランドーだったのか……でも、文月君、彼は、」
「分かってました。彼は本来顔の無いキャラです。」
「じゃあ、どうやって?」
若き統括部長は何かに思いが至ったのか、目を輝かせて彼女を見た。
「分かった。君は彼の、彼と自分の物語を作り上げて、自力でラストまで辿り着いたんだな。」
「そう……なのでしょうか……」
彼女の笑顔に二人は頭を深々と下げた。
「すまない、未完成も甚だしいモノで君を危険な目に遭わせてしまった。改めて謝罪する。申し訳なかった。」
いきなりの彼等の行動に、彼女は当惑の表情を浮かべたが、冷静な口調で言った。
「そうですね……でも私は戻って来ましたよ。大丈夫。不備な点も幾つか記憶しています。例えば、人魚の腕輪……あれはプランナーであるあなたの希望なんですよね? だって現実では有り得ないもの。海中を漂う細かに砕けたプラ粒が深海の底でサンゴの欠片みたいに積もり積もって固まるなんて……だって私達の海はもうとっくにマイクロプラスチックで汚染されて……そう但し書きしないと……ですね?」
彼女は、不意に何の感慨も無く自らの頬を伝った涙に目を閉じた。耳の奥にあの世界で聞いた人魚の歌が蘇ったのだ。
「でも、ありがとうございました。美しく青い海を見せて下さって。」
彼女のベッド脇の椅子に座り込んで、彼女の手を取った統括部長の様子にスタッフ達は黙って席を外して行った。
彼女は心配そうに自分を見る彼の有様に苦笑し、静かに笑った。
「……髭、伸び放題ですよ。」
「剃る気分になんか成れる訳が無いじゃないか。君が戻れないでいるのに。」
「こんなゲームはいけませんね。あまりに世界が美し過ぎて、戻りたくなくなってしまいました。」
「発売は、先送りになったよ。残念だけど。」
「そうなんですか。雷のせいなのに。とても素敵な景色が楽しめて、登場する人達も一般的に見れば個性的で、デザイナーさんにお礼を言わなきゃって思ってたのに。でも一旦はそれでいいと思います。」
彼はこの期に及んでも、あくまで制作側に立つ彼女に苦笑した。今回彼女が戻って来られたのは奇跡に違いないと言うのに。
新技術の開発により脳内に直接送り込まれた情報が、ユーザーに垣間見せる仮想現実は余りにリアルで確実に彼等を虜にし、それ故に依存度が以前の物に比べ格段に高く、廃人を生みかねないと言う人道的見地から認可が難しかった。それでも行き着いた世界とも言えるこの分野に残された最後のフロンティアへの道を開く為、安全性を実証するべく膨大なデーターを集める事を名目に密かに行われている数多の実験的ダイブにおいて、事故が起こった場合、殆どが廃人となり事実上人間世界への生還を果たせないと聞く。それでも挑戦し続けるのが彼等だった。
「よく戻って来た、瑠海。」
「今思い返すと、その呼び方、本当にそっくりだった。最後の場面で見上げた空が、あなたの瞳と同じ色で、急にあなたに、ここにいるあなたに会いたくなりました。それで私に掛かった呪いが解けたのでしょうか。」
何故自分は試作機に搭乗する前に彼女を止められなかったのかと、彼はずっと後悔し続けていたのだ。彼女はきっと無事に帰って来る。いつもそうだった様に。そう信じさせる何かが彼女には有る。しかし……許したのは本当に愚かだった。
「君を永遠に失うかもしれなかったのに。」
「大丈夫。私はあなたの傍から離れないって約束したでしょ?」
彼女は、自分を見詰めるサファイアの様な彼の瞳に手を伸ばし、自然にウェーブを描く彼の栗色の髪が優美に縁取るその頬を伝った涙にそっと触れた。
「ただいま。「ランドー」と言うのは確かお母様の姓ですよね。」
「覚えていたのか?」
彼の問いに彼女は首を横に振った。
「まさか。システムは完璧でしたよ。どの年齢の私でも、私が好きになるのはあなただけなの。」
「……お帰り、瑠海。」
おわり
人魚の憂鬱 桜木 玲音 @minazuki-ichigo
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