最終章 赤い月の涙

赤い月が昇る時

   「別れ」


 少し心配な状況ではあったが領地をあまり留守にするわけにもいかず、事の成り行きを見届けないままに、フローラ達は翌日帰る事になった。またこれで暫くの別れである。


 珍しく国王は上機嫌で、ランドーも瑠海とお供を連れ、護衛と見送りを兼ねて国境まで行ったらどうだと言い出した。


 見送りと言っても、丸一日も経るまるで小旅行となる為か、全く乗り気でないランドーの背中を押す様に、シャルルが笑って言った。


「ここへ来て一度も城門の外へ連れて行った事が無いのだろ? 私の事なら心配致すな。城には母の近衛兵も、警護の者も沢山いる。」


「ですが、殿下。」


「もっと自由な国から来た瑠海にとって、閉じ込められているも同然なのだぞ。それにたまには其方も息抜きが必要だ。」




 馬車の窓から、なだらかな斜面に広がる長閑な葡萄畑を見ながら、瑠海は溜息を一つ吐いた。未解決の問題を忘れて景色を楽しむなんて芸当は出来そうに無いのだ。


 この時期は医師のゲイリーも休暇をとり、十日程診療所を弟子に任せ、研鑽の為に師匠と仰ぐ人の元へ出掛けて行くのだとか。方向が同じな為、途中までは一緒だが彼には今しか採れない薬草を手に入れる目的も有るらしく、早々に別れて行った。


 彼を見送り一心地付いた所へ、ランドーがドアを開けて馬車に乗り込んで来た。彼女の浮かない顔が気になっていたのだ。


「元気が無いな。考え事か?」


「えっ……うん、ちょっとね……」


「よければ話してくれないか?」


「……うん、でも……」


 瑠海は外の景色に目を移した。


「水臭いな。二人で生きると決めただろ?」


 ランドーを振り返る瑠海だったが口は重い。


「殿下のお気持ちを考えると、縁談をこのまま進めてもいいのかな、なんてね。ごめん、私なんかが差し出がましい事言って。」


 しかし、そんな瑠海に彼も頷いた。


「実は私も同じ事を考えていた。浜辺で殿下を発見した時、実は人魚が一緒にいたのだ。有り得んと思うかもしれないが……」


 彼の言葉に彼女は口をつぐんだ。


「バカな事言わないでよ。殿下にはその辺り、ちゃんとお聞きしたの?」


「ゲイリーに飲まされた気付けの酒が美味くて、二瓶飲んだ所までは覚えているが、後の事は一切記憶に無いと、おっしゃっていた。」


 しかし、全く想像出来ない事ではなかった。身体に入った毒の為に彼はオスの人魚に変化しようとしていたのだ。意識を取り戻した時の事を考えれば、荒れ狂う化け物などではなかった事だけは確かだったが……


 瑠海は硬く目を閉じた。


「王様の事もちょっと気になってたのに。事更にあなたを外に出そうとしていらっしゃるみたいだったから。気のせいならいいけど。」


 瑠海の言葉にランドーは黙り込んだ。


「陛下は、殿下の廃嫡を密かに望んでいる。」


「ウソ……本当の親子でしょ?」


 瑠海は全ての不安の原因を見た気がした。


「ここで城を離れたのは、マズかったわよ。」


「今回は妃殿下もご一緒だ。だから何も起こるまいと考えて……もしや何か二人の間に見えるのか? あの力で。」


 瑠海は小さく首を振った。王の本心は見る事は出来ないが、これだけは言える。


「ただ、失礼を承知で言うと、王様の声に変な響きが有って何だか嫌な感じがするの。優しい事をおっしゃっても本心じゃない気がしていたの。」


「ラキアは残して来たが、どうしたものか。」


 深い溜息と共に馬車が止まった。国境に着いたのだ。




「フィリップ、聞こうと思っていたんだけど、お母様の形見はちゃんと持っているの?」


「故あって手放しました。」


「そんなにお金に困っていたの? なぜ私に相談してくれなかったの?」


「いえ、そんな訳ではありません。殿下の為にアレを役に立てたまでです。後悔はしておりません。決して売ったのではありません。」


「シャルルの為? でも、あれは家に残ったたった一つの宝だったのよ。」


「我が家の宝なればこそ、殿下の御為に活かしたのです。母上もお許し下さいます。」


「……貴方がシャルルを殿下と呼び、あの叔父を陛下と言って傳づく姿など、本当は見たくないのに。」


 何とも悔しそうに呟いたフローラを、ランドーはそっと抱き締めた。


「何も心配しないで下さい。どんな事になろうと、私は私ですから。どうかそれ以上はおっしゃらないで、兄上が心配なさいます。」


 目を上げローザンブルグの方を見たが、彼は一頭の黒い馬を瑠海に見せている所らしく、こちらには気付いていない様だった。



 連れて来られたその黒い雄馬を見て、瑠海は目を輝かせた。何とも立派な四肢だ。


「あの折は妻がとんでもない事をしました。」


「別に気になどしておりません。」


「吾輩からも改めてお詫び申し上げます。貴女に馬を贈ると約束したと聞きました。コレの小馬が来月産まれる予定ですので、その子を是非貰ってやって下さい。」


「有難うございます。こんなに立派なお馬さんの子なら、きっと逞しく良い馬に育つ事間違い無しですね。足も速そうです。」


「お会い出来て本当に良かった。あれ以来、何か吹っ切れたものが有るのか、フローラも本当に屈託なく笑う様になって、吾輩としてはとても嬉しいのですよ。」


 瑠海は差し出されたローザンブルグの手を取って嬉しそうに笑ったが、彼の手に触れた瞬間、彼の顔色が変わったのを見逃さなかった。笑みを崩さず瑠海は小さく頷いた。


「ご心配無く。人の心は読めませんので。」


 更にギョッとするローザンブルグ。


「立派に読んでいるではありませんか。」


「これは読んだのではなく、状況分析です。簡単ですよ。私が物に触るだけで想いが読めるとしたら、誰だって手なんか触られたくありませんよ。でも安心して下さい。酷く気紛れで、何も見えない時の方が九割以上を占めていますから。本物の巫女にはなれません。」


「申し訳ない、瑠海殿。意外と吾輩、小心者でして。お恥ずかしい限りです。」


 ローザンブルグは改めて瑠海に握手を求めた。彼女は破顔して応じた。


 再会を約束し、互いの健康を祈りながら手を振り、丘に続く街道を去って行く一行を、ランドーと瑠海はいつまでも見送っていた。





 当初は野営を予定していたが、シャルルの事が心配な為そのまま帰城する事になった。


 明け方近く、帰路を急ぐ馬車の中で何時の間にか眠っていた瑠海は、馬車が止まっている事に気が付いた。無数の物々しい馬の蹄の音と鎧の鳴る音が外でしていた。


 ただならぬ気配を感じ影に隠れてそっと覗くと、国王の深紅の旗印を掲げた兵隊が既に周りを取り囲んでいた。


 数人がランドーに槍を向けて、やがて彼は抵抗する様子も無く近付いて来た兵士に後ろ手に縛られてしまった。側にいた二人も共に縄目を受けた。


 瑠海は何が起こっているのか皆目見当も付かず、馬車のドアの影に沈む様に身を隠すだけだった。


 その時、後のドアが音も無く小さく開いた。


 ハッとして振り返ると、エドが息を殺して入って来た。彼は唇に指を立てて声を出さない様に彼女に合図した。兵士達に気付かれない様に御者台に乗り込むと、彼は思いっ切り馬に鞭を当てた。馬は前にいた王の兵を蹴散らす様に蹄を上げ嘶くと走り出した。


 瑠海は後の窓から縛られているランドーを見た。隊長らしき兵士が瑠海を見て叫んだ。


「いたぞ! 魔女を捕らえろ!」


 瑠海はその言葉に愕然とした。


 エドは四頭立ての馬車を精一杯走らせたがすぐに追い着かれてしまった。周りを囲まれ逃げられないと判断した彼が馬車を止めて剣を抜いた時、違う一団が雪崩れ込んで来た。


「待てい! この場は我等が預かる!」


 国王の兵士達を遮る様に間に入って来た兵士達の濃紺の甲冑見覚えが有った。確か、本国から王妃と共にやって来た彼女の親衛隊だ。


 エドは瑠海を外へ連れ出そうとドアを開けた瞬間、扉近くにいた親衛隊の一人が、エドの肩を掴んで制した。


「抵抗するな。我等は妃殿下直属の者。お前達を城へ連行する為に来た。」


「何が有ったの?」


「答える必要は無い!」


 瑠海の問いに短く言い放ち、エドも中へ入れられ、出られない様に両側のドアの外に兵士が一人ずつ立った。後の窓から覗くと、馬車で飛ばして来た道を、近衛隊と同じ濃紺の甲胄を着けた騎馬兵達が物凄い勢いで馬を走らせて行くのが見えた。ランドー達の身柄も確保するつもりでいるのだ。


 王の軍の深紅の兵が、近衛隊の目を盗んでこちらに向かって弓を番えたのを瑠海は見た。飛んで来た矢が戸口に立っていた兵士に当り仰け反り転落して行く。瑠海の目にはそれが現実に起こっている出来事には到底思えなかった。


 馬車は走り続けたが、周りでは国王と近衛隊の小競り合いが繰り広げられていた。王と王妃の軍が闘っているのだ。


 その時、一人の兵士が馬車の中に入って来た。瑠海はすかさず彼に詰め寄った。


「一体何が起こっているのですか! 貴方方は味方同志ではないの?」


「我等は妃殿下配下の兵です。殿下が身罷られ、ランドー様を謀反の疑いで国王軍が捕らえに向かったと連絡を受け、妃殿下から無事にお連れしろとの命令を受けて参りました。」


 瑠海は兵士の顔をじっと見詰めた。


「今、何て言ったの? 身罷るって……殿下が亡くなったの?」


「昨夜、突然の事です。」


「殿下が? まさか、そんな!」


 エドの反応は更に顕著で、彼は兵士に掴み掛からんばかりだった。


 瑠海は、彼の言葉に全く実感も何も無く、二人のやり取りをただの雑音の様にしか聞き取れなかった。シャルルが死んだなんて。信じろと言う方が無理な話だ。それでどうしてランドーが捕らえられなければならないのか。素朴な疑問だけは無限に湧いて来る。


「なぜ亡くなったの? 死因は?」


「ご自害なされたのです。」


「うそだ! そんな事有るものか!」


「自害って、自殺? 遺書は有ったの? それでなぜランドーが謀反なんて。」


 瑠海は兵士に詰め寄った。


「妃殿下は貴女を是が非でもお連れしろと。」


「私を? なぜ、私なんかを?」


 兵士の言わなくとも分かるだろうと言う顔に彼女は息を呑んだ。


「私はただの人間よ。何も出来ないわ。」


「国王陛下は、ランドー様を処罰なさろうとしています。妃殿下は直接聞くまでは動けないと。お二人の間には、元々秘かな反目が有ったのです。それがこんな形で……表沙汰に成ろうとは。」


「殿下の自殺とランドーは何の関係も無いでしょ? 予測出来ていたら、こんな所へ来ている訳無いじゃない!」


 瑠海は、心の中にランドーが無事でいる様子をひたすら描こうとしていた。しかし、何度やってみても上手く行かなかった。震える両手を胸に当て必死に堪えた。


 その時、馬車が激しく揺れたかと思うと息つく暇も無く横倒しになってしまった。幸い三人は、馬車から放り出されずに済み、あちこち撲つけて痛かったが、大きなケガはしていない様だった。エドと先程の兵士は注意深く外を伺い、瑠海を助けて脱出すると、追っ手から逃れる為に森の中へ入った。


 ランドーの身柄を巡って、国王軍と王妃の近衛隊の争いは決着を見ず、やむなく話し合いにより、両軍対峙したまま彼を城へ連行する事になった。


 後ろ手に縛られ、猿ぐつわを噛まされ乗せられた馬の背で、ランドーは堅く目を閉じていた。シャルルが自ら命を絶つなどどうしても信じられなかったのだ。何が有ったのか、何が悪かったのか。と言う意味を本当に理解し、実行していただろうか。


 彼の脳裏を、城を出る際、振り返り様に見たシャルルの、楽しんで来い、と言って手を振っていた元気な姿が過った。何度思っても時は戻らない。ランドーは、目頭を熱くする涙をどうする事も出来なかった。


(せめて側にいればこんな事には成らなかった……)


 ランドーの様子に、二人の部下も言葉を失い下を向いた。


 きな臭さに部下の一人が顔を上げると、負傷兵と死体が転がされたままの激しい争いの跡に差し掛かかっていた。


 瑠海とエドが乗って逃げた馬車が、道端に横倒されているのが目に飛び込んで来た。突き刺さった矢は数え切れず、それを食い入る様に見たランドーは益々堅く目を閉じた。







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