嵐を呼ぶ髪飾り

 どれだけ振りか、瑠海は短い夢を見た。


 学園祭当日は、準備をして来た学生にとって、公認されたバカ騒ぎ状態の準備期間が終了する寂しさが否定出来ない日だ。その反面、事故その他を無い様に乗り切れば、大役を果たせたと言う達成感も味わえる日でもある。


 模擬店の商品を完売させ、売り上げを会計に渡したらフィナーレの仮装パレードだ。その後は創立百三十周年記念を祝う花火が打ち上げられる予定になっている。


 瑠海は模擬店を共に運営した友人達と共に、実行委員会から一方的に貸し出されて来た衣装に着替えた。着替えながら、うら若き乙女に対して何故婚礼衣装なのかと、本部側の意図を類推し、つい愚痴を零し合った。


「どうせ彼氏もいませんよ、悪かったわね。」


「決まった人もいないのにさ、先にこんなの着ちゃったら、嫁に行き遅れるってお婆ちゃんが言ってたよ。」


「行き遅れ上等よ!」


「何だか恥ずかしい。」


「胸張って行くわよ!」


「張れるだけ張ってやろうじゃない。」




「瑠海様……瑠海様!」


 揺り動かされ彼女は飛び起きた。


 ぼんやりした視界の片隅で、エドが目のやり場に困った様子で立っていた。


「エド……?」


「酷くうなされておいでだったので……あの、もう、おっ、お昼を回っておりますっ!」


「お昼? うっそぉー!」


 焦り、手を振り回す瑠海。


 エドはしどろもどろな様子で付け足した。


「ランドー様が、出掛けるから起こして来いと。」


「エドすぐ支度するから、待ってて。」


 髪を慌てて梳かし、適当に一つにまとめる。


「瑠海様……その金の髪飾りは……」


 自分がいるにも関わらず、着替えようとする彼女に慌てて背中を向けるエド。


「あっ、これ? ランドーに買ってもらったの。綺麗でしょ。」


 傍らの台の上に乗っているが、何か問題だろうかと思うが、今はそれどころではない、とにかく早くしなくてはならぬのだ。


「ランドー様から……ですか。」


「祝賀会の為の支度よ。」


 この無口な青年の考えは、いつもよく読めないが、どうも気落ちしているらしい。


「エド、どうしたの?」


「お早く願います。」


 彼は瑠海の顔も見ないでドアを出て行った。


「どうしちゃったの? ねえ。」




 この町の時間的秩序は、基本太陽の巡りが司っているが、機械仕掛けの時計ではなく、超アナログな日時計だ。町の中心の広場にも、城の中庭にも、人の目に付く場所に立てられている。その一つ、兵士達がよく利用するランドーの住まいの横手の庭にある時計の前に、腕組みをして、爪先はお決まりの貧乏揺すりでランドーが立っていた。駆けて来た二人の足音に気付き、声を掛け辛い雰囲気を蹴飛ばす怒鳴り声が飛んで来た。


「今、 何時な ん ど きだと思っている!」


 思わず肩を竦める瑠海。


「ごめんなさい。ちょっと昨日徹夜しちゃって、眠ったのが明け方だったから。」


 一度怒ると中々治まらないのか、寝坊はそんなに重罪なのかランドーは無言のまま速足で馬を進めて行く。エドは違う用事で今回も付いて来なかった。瑠海は気まずい空気に、素晴らしい景色も眺める気分ではなくなっていた。


「髪飾りは仕舞っておけと言った筈だが。城詰めの女達がここぞとばかりにバカな事を噂し合っているぞ。」


 話の根っこはどうしてだかエドもそこだった。彼の苛々の根源もどうも同じらしい。アレを買って貰った事が、何か特別な意味が付け加えられてしまう様な事だったのだろうか。いや、どちらかと言えば、他の者に知られた事が問題の様だ。確かにマーガレットには話したが、他の者の目を特に気に留める事もしなかった。彼は主人と言う立場から、侍女としての持ち物として髪飾りを買ったと単純に考えてはいけなかった神経質な要素を含む行為だったのなら、最初から言ってくれたらよかったのだ。この国の習慣などまだまだ知らない事ばかりなのだからと瑠海は思った。


「噂って、どんな?」


 パーティーの翌日行われる狐狩りの猟場を下見するとかで、二人の馬は近くの森林に差し掛かっていた。


 空は快晴。鮮やかな緑の木立と木漏れ日が重なり合い、何ともコントラストの効いた鮮やかな風景に聞こえているのは、ただ馬の蹄の音と鳥達の歌声、そして風の音だ。

 乗馬初心者の瑠海は、最初から馬にナメられ前進も出来なかった為、引き綱が一本ランドーの馬に繫がれている。


「個人の事に口を出すつもりは無いが、これも風紀と秩序を守る為だ。エドには聞かなかったが、昨夜の相手はあいつか?」


「何の事? 彼には会ってないけど。」


 何気なく返して来た瑠海を、ランドーは馬を回して振り返った。彼の怒りの原因は他にも有るらしい。


「では、誰なんだ。明け方まで帰らなかったと聞いたぞ。」


 瑠海も子供と言う歳ではない。彼が何を言いたいのかすぐに察しが付いた。


「変に勘ぐらないでよ。」


 最近はろくに口もきいてくれなかったのに、いきなりこんな話題なんてと瑠海は彼を見たが、鼓動は意のままにならずに跳ね上がった。昨夜の人魚の事を話すべきか否か迷っていたのに、打ち明ける気が削がれてしまった。


「……まあいい。相手が誰だろうと構わんが、節度を守ってくれ。ましてや寝過ごして皆に迷惑を掛ける事など二度と……。」


 不自然にランドーは言葉を切った。


「お前は他の女達とは違うと思っていた。私が愚かなだけなのか? それともお前の国ではそれが普通の事なのか?」


 瑠海は一瞬言葉を無くした。この頭ごなしの疑いは何時かと状況が似ていないかと思ったのだ。大学の友人が、彼氏に他に好きな子が出来た、と突然の別れを言い渡された時だ。なぜか一番に疑われたのが自分だった。


「ねぇ、言いたい事は分かったけど、違うの。全部正直に話すから。話せばいいんでしょ!」


 友人の誤解だった事は言うまでもないが、彼女とはそれっきりだった。失恋をして傷付いていた彼女に、友人としてもっと違う接し方が有った筈なのだ。でも、出来なかった。喧嘩腰の相手を柔らかな言葉でかわせる程自分も大人ではなかったのだ。


「まさか、殿下か!」


 ランドーの裏返った声に、瑠海は馬から落ちそうになった。


「そんな訳無いでしょ! 私が夜部屋にいなかっただけで、そんな事をしてるって思ってたの? 呆れた。一緒にしないでよ。」


「では、何なのだ!」


「人魚が浜辺に来ていたの。庭の一番奥の所。それで話しをしていたら朝になっていたの。早く帰りなさいって言っているのに中々腰を上げてくれなくて。朝になってたのよ。」


 彼女の言葉にランドーは口を閉ざしていた。

「人魚か。下手な言い訳を思い付いたものだ。私が相手にしなかった当て付けか。」


「当て付けって。信じてくれないの? 話せって言ったのはあなたの方でしょ。」


「人間を嫌う人魚が、自分から戻って来る筈が無い。私はお前に責任がある。行動を把握しておきたいだけだ。お前が誰と肌を会わせようとどうでもいい。勘違いするな。」


 瑠海はランドーの瞳にいつもと違う激情の様な物を見た気がした。しかし、彼の誤解を正す必要が有るのか。考えてみれば自分は、彼にとって必要の無い厄介者でしかないのに。孤立する事には変な所で慣れてしまった。他人に気を使わずにいられるからそれはそれでいいのだが、一方で瑠海は押さえ切れない腹立たしさも感じていた。




 それからすぐに瑠海は、厨房の給仕係から洗い場に回され、別宅の片付けやその他一式も罷免された様で、一方的に来なくていいと言伝をもらった。表に出なくなった事で、ランドーとは全く顔を合わせなくなり少しの疑問は有ったが、追及しても何だか空しいだけの様に思い気にしない事にした。


 次から次に運ばれて来る汚れた食器を瑠海は黙々と洗った。


 彼女に話し掛けて来る者はいない。何か噂し合っているらしいが瑠海にはそのどれもが、どうでもいい雑音にしか聞こえなかった。仕事が終わって部屋に帰る途中も、誰かが話し掛けて来ても耳にも入らず、会釈をしただけで通り過ぎていた。


 部屋の中には粗末なベッドの他は、着替えの入った古い煤けた篭が壁際に置いてある。その一番底にはここに来た時ランドーに脱げと言われたドレスと、隠す様に入れたあの髪飾りが有った。


 あと何日で祝賀会なのだろうと思った。


 ランドーが、瑠海を避けている様に感じたのは恐らく気のせいではない。内務大臣と言う彼の立場上、こんなよそ者と噂が立つと言う事は不測の事態だったに違いない。瑠海が噂を払拭したくとも、誰に話せばいいのだろう。そんなつもりは全く無かったのに火の無い所に煙は立たないと言う様に、彼は自分と完全に距離を置く事にしたに違いない。


 もしかしたら、王子側からランドーに縁談でも寄せられていて、みたいな者を排除せよと、お達しが有ったのかもしれない。


 しかしどうだろう、この虚脱感は……


 友達との小さな衝突の度、どうでもいい、そんな言葉を瑠海は口にして来た。どうでもいいと思えば腹も立たない。でもランドーに対しては、どうでもいい、なんて言葉で誤魔化せない自分を彼女は強く感じていた。


 あんな言葉を心の中でも思ってはいけないのだ。どうでもいいなんて思っている相手には何も通じないし、もちろん本当の友達にもなれない。正面からぶつからなければ傷付かずに済むからなのか? 傷付かない代わりに関係は自然に壊れて行くばかりなのに。


 いつも彼は助けに来てくれた。それで近くにいてくれる存在だと勘違いをしてしまっていたのだ。


 瑠海はベッドに座り込んだ。


 そうだ。その通りかもしれない。


 ただ何気無く、ランドーの隣に居たかった。それだけだったのに、それがそもそも甘い考えだったのだ。ここは自分が育った世界ではないのだから、価値観も何もかもが違う。人は宝、そう言ってくれた事が本当はとても嬉しかった。しかし全面的に信じてくれると思っていたのも、自分の傲慢だったらしい。


 髪飾りは彼の近くにいてもいいと言う証しの様に感じていたが、そうではなかった様だ。






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