アンコール

「……」


 吹奏楽コンクールの県大会が終わり、喜んだり悲しんだり泣いたり笑ったり、様々な声が響き続けた会場の外も少しづつ静けさを取り戻していた。既に俺たちの学校の面々もこの場を後にし、顧問の先生も帰ってしまったけれど、俺はホールの近くにあるベンチに座ったまま、一歩も動くことが出来なかった。あれほど自信に溢れていたのに、あれほど楽しい気分だったのに、1時間も満たない間でそれらの心が一気に消え失せ、俺はただ突きつけられた現実に押し潰されるだけになっていたのだ。


 確かに、先生たちが見せてくれた審査員さんの中には、俺たちトランペットパートの音色を素晴らしい、もっと腕を磨けば更に良い音色になる、と高く評価してくれた人もいた。今年は残念だったけれど、今の実力を維持すれば来年は間違いなく最高の結果を出せる、と励ましの言葉も書いてくれた。そして、先生自身もまた、俺たち部員の演奏をはっきりと褒めてくれた上で頭を下げてこの結果を謝っていた。ずっと前に最高の結果を出さなければ顧問をやめちゃうかもしれない、と告げたのに、最高の結果を出せなかったのは自分の方だった、と。折角ここまでよい評価を貰えるほどの音色を出せる実力を上手く束ねられなかったのはこちらの責任だ、熱中症や疲れで皆を苦しめさせてしまって本当に済まない――いつも笑顔だけど少し怖い先生の瞳に、薄っすらと涙が見えていたような気がした。


 だけど、それでも俺は立ち直る事が出来なかった。先生も精一杯頑張っていたのは分かっていたし、先輩や同級生など部員の仲間も皆あの舞台で良い音を奏でていた。そして俺も、できる限りの力を込めたはずだった。でも、結果は県大会止まり。例え金賞を貰っても、その上にある真の目標、『地方大会』へ進む事は出来なかったのだ。


「……」


 結局、今回も俺はドジでポンコツなダメ男だ。いつの間にかベンチの隣に座っていた、幼馴染と交わした約束すら守れないほどに。


「ふふ、お疲れ様……」

「……よう」


 元気がないようだけど、どうしたのか――彼女の答えに、俺はただ謝る事しか出来なかった。当然だろう、俺はあの時の言葉を破ってしまった最低の男だ。地方大会へ進めなかった今、ずっと抱いていた思いを彼女に伝える資格なんてある訳ない。ただ情けない奴として謝り続けるしか、残された道はない――そう思い続けていた俺の体に、彼女は思いっきり近づいた。左側に彼女の温かく優しい心地を感じてしまうほどに。

 一瞬全身が真っ赤になり、落ち込んでいた気持ちが一瞬だけ消え去ったのを見計らったかのように、彼女はそのまま笑顔で俺にこう言った。もしかして、ずっと前のあのの件で悩んでいるのか、と。


「……本当にごめんな……あれだけ楽しみにしていただろうにさ、俺は結局あの言葉を……」


 その直後、俺の耳に入ったのは信じられない響きだった。


「……で、その、いつ伝えてくれるのかな?」

「……へっ?」


 驚いたのも無理はないだろう。約束を破ったと信じ切っていた俺の隣で、幼馴染は何かを待ち望んでいるかのような、ちょっぴり意地悪な笑みを見せていたのだから。何がなんだか分からず唖然としてしまった俺の額を彼女は滑らかな人差し指でつつきながら、その種明かしをしてくれた。確かにあの夏の暑さと湿気が少しづつ強まってきた午後に、俺ははっきりと彼女にコンクールでよい成績を取る、と明言した。だけどそれからずっと俺はある大きな勘違いをし続けていた。金賞を取って『地方大会に出場する』事が、思いを伝える条件だとずっと思いこんでいたのだ。


 地方大会とかいう凄い大会に出るなんて、一言も発していない。金色に輝く素晴らしい賞=を取ったら伝えたいことがある。それが、あの時に言った全てだ――。



「……あ……あ……あああああ!!」



 ――彼女の言葉で、ようやく俺はとんでもないを踏んでいた事に気がついた。

 既に今、あの約束は完全に果たされていたのだ!


 より一層優しく、そして嬉しそうな微笑みを見せる彼女に、俺は照れ臭さ交じりの笑顔を返そうとした。だけど、笑い声と同時に俺の口から洩れたのは、明らかに泣きべそをかいている時の音だった。そして、目からも大粒の涙が零れ、気づいた時には笑っているのか泣いているのか、俺自身でも把握できない状況になってしまっていた。悲しい訳じゃないし、落ち込んでいると言う事でもない。あまりにも嬉しすぎると、人は歓喜の声だけでは収まらないぐらいの感情を溢れさせてしまうのかもしれない。

 そして、笑いながら泣くと言う我ながら器用な事を続ける俺の肩に手を寄せながら、幼馴染は最後の後押しをしてくれた。


「私、君がダメな人だなんて一度も思った事ないよ。いつも一所懸命で、どんな事にも夢中になれて……」


 正直言って、羨ましい。でも、だからこそ危なっかしくて、放っておけない。

 それが、私の正直な思いだ。


 その言葉で、ようやく俺は涙を拭き、もう1つの『本番』への覚悟を決めることができた。

 ちょっとだけ情けない気持ちはあるけれど、既に俺がずっと想い続けていた心は彼女にはっきりと届いていた。残るは、俺自身の口でその思いをはっきりと届ける事だけだったのだ。

 そして、俺は思いっきり深呼吸をし、口の調子を整え、誰も見ていないか、物陰で隠れて見てないかを確認した後、大きく咳払いをした。全身が更に真っ赤になっていくのを感じたけれど、もうそれにビビる事はなかった。


「……よ、よし……!あ、あの……あのさ!」

「……どうしたの?」


「……俺さ、まだこれからもドジ踏んじゃったり、四字熟語間違えたり、宿題忘れたりするかもしれない。また変に慌てちまうかもしれないし、失敗するかもしれない……でも……」



 こんな俺でも、好きでいてくれますか。



 その結果は、わざわざここに書かなくても良いだろう。

 夏の夕陽に照らされながら、笑顔で家路につく俺と彼女の心は、どんな『賞』よりも眩しい、に光輝いていたのだから……。

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こんな俺でも、思いを奏でていいですか? 腹筋崩壊参謀 @CheeseCurriedRice

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