異世界に毒されている⁉
言京 ウナム
始まりはいつも突然。
(……ここは?)
俺は一秒前とは全く異なる光景に言葉を飲み込んだ。
(……よし。ここは一度冷静に目を瞑ろう)
俺は新井朝日。至って平凡の何のとりえもない高校二年生。
学業の成績は中の上。理数系が得意で文系が苦手。運動は可もなく、不可もなく。帰宅部だから体力面は考えものだが、それ以外はそつなくも動ける。
秀でた頭脳があるわけでもなく、最強の格闘術なんかも納めていない。
そう、至って平凡。
今日は土曜日で高校が休みだから、自分の部屋でまったりと過ごしていた……はず。いや、間違いなく、自分の部屋にいた。
(よし……大丈夫)
そっと瞼を持ち上げた。
雲一つない晴れやかな青空。古き良い赤い壁の建物に、きっちりと舗装された道路。ふと閃くのは『中世風』の単語だった。
「あぁ~たぶん。これはあれか?異世界か?」
中世風の街並みから最初に思ついたことが幻覚でもなく、夢でもなく、異世界だと言ってしまうのは、やはり現代の日本のサブカルチャーに毒されていることを実感する。
異世界転生、異世界召喚。
ある日突然、主人公が何の前触れもなく現実とは異なる世界に飛ばされる物語。 その異世界ではなんやかんやトラブルに巻き込まれながらもチート能力や前の世界の知識を利用して、トラブルを解決していく。一種のジャンルとして王道となっている。
そんな異世界ものは、中世風の世界観に、剣と魔法が定番である。乏しい知識を照らし合わせれば、今の状況に合致している。
自分の部屋にいたから突然の不幸な事故にあったとは考えにくい。と、言うことは、異世界召喚となるのか……
(いやいや、そんな夢物語ある訳がない‼第一、俺は神様からチート能力貰ってないよ‼いやいや、そこじゃない。落ち着け俺、冷静にならないと何も進まないぞ)
とりあえず、右手で頬を抓ってみた。
「痛い」
夢から目覚めるお決まりの行動を取ったが、世界は何も変わらなかった。
「すぅーーーーーーはぁ~~~~~~」
俺は動揺する前に深く深呼吸をした。
その時、ビュンっと風を切るような音と共に僅かな風圧を肌で感じた。
その音を無意識に目で追うと自分の目を疑った。
「あれ……もしかして、車?」
一台の乗り物。四つのタイヤを駆動させ道路を走り抜けていた。そのフォルムはあきらかに流体力学に基づいた流線型である。
「異世界に車‼馬とか、見たこともないモンスターが荷車を引いているわけじゃないの‼ってことは、ここは異世界だけど異世界じゃなくて、異世界じゃないから、どこだ?あぁもう訳が分からないぃぃぃぃぃ‼」
ちょっとレールから外れただけで、暴走する列車のように髪を両腕でかきむしった。
「いや、ちょっと待てよ」
かきむしる手を止めた。
異世界に車が走っているのはおかしいが、元いた世界ならどうだ?街を歩けば、車なんて普通に走っている。
たまたま見かけた車が見覚えのないからと言って、俺が世界中に走る車種を知っているわけがない。わからなくて当然だ。
落ち着いて周囲を見渡すと、上着とジーンズと言う一般的な格好に珍妙なものを見るような視線を向ける者もいない。
それに中世風の街並みだって、俺のいた世界にもある。
「そう‼イタリアとか‼」
旅行番組で見たことがある。歴史的価値の高い建物が街ごと残っている街を‼
「な~んだ、別の国に飛ばされただけかぁ~」
と、なると、家に帰れるってことになる。
(この場合どうすればいい?)
現在の所持品は……スマホのみ。
財布のない、一文無し。
「うん?」
ジーンズの左ポケットで固い物に触れた。
「こんなのいつ、入れた?」
固い物を取り出してみると、それは見覚えのない銀色の指輪だった。
「はぁ~、これじゃ帰れねぇよ」
関係ないと元の場所にしまった。
お金がなければ、当然日本行きの飛行機のチケットを買えるわけがない。その前にパスポートも持ってないから、イタリアから出られないかもしれない。
「あぁ~、ヤバい」
頭を抱え、膝を曲げた。
(まずいまずい。これってもしかしてしなくても、不法入国だよな。捕まったりしない、俺。禁固何年?まさか、終身刑‼いやいや、強制送還で前科一犯。あぁ、どっちにしろ、明るい未来が見えない)
どうする?どうする?俺‼。
「そうだ。そうだ‼」
素晴らしい閃きに俺は、グッと立ち上がる。
(パスポートも、財布も、その他もろもろ、盗まれたことにすればいいだ。それなら、全く不自然がない。この場合は、確か日本大使館に行けば、新たにパスポートやら、いろいろ用意されると思うから万事解決‼なんの問題もなく家に帰れるぞ)
軽快に一歩を踏み出そうと足を前に出した。
だが、二歩目が出なかった。
「そういえば、イタリアの日本大使館ってどこにあるんだ?」
俺の脳を振り絞っても日本大使館の場所が出るはずもない。
だが、こんな時は自然とある物を手がいく。
(そう、文明の利器、スマホ‼)
これだけあって本当に良かった。
画面をちょちょっと操作して、日本大使館の住所を検索すると画面には……
『現在このスマホはインターネットに接続されていません』
「クソが‼大事な時に使えないなんて、この役立たずが‼」
今までの困惑をぶつけるように言葉を吐き出した。
(どうする?本当にどうする?)
誰かに大使館の場所を聞くか?イタリア語は話せないが、ジャパニーズ英語と身振り手振りがあれば、なんとか……よし、それで行くしかない。
そう、意を決し前を向いた。
「わぁ‼……なんだこれ?」
目の前に突如、ソフトボールより一回り程大きい球体が宙に浮いていた。全体が白一色で正面にはレンズのようなものでこちらをじっと覗いている。
「ドローンなのか?なんでこんなところに……レンズがついてるからカメラ機能付き。海外ってすげ~な。これどうやって飛んでるんだ?」
ドローンにはプロペラのようなものがついていてなく、ロケットのように飛んでいるわけでもない。見る限りでは、何で浮遊しているのか全く想像ができない。
「いやいや、関心している場合じゃない」
悪い癖だ。あまりの手に余る問題につい現実逃避をしてしまった。
とにかく、日本語とまでは言わないが、拙い英語を拾ってくれそうな優しい人を探さないと……
ピピピピピピピィィィィィィ‼‼‼‼‼‼‼
突然、ドローンから甲高いベルが鳴り響いた。
鼓膜を突くような音に俺は耳を塞いだ。
「うるさい、急になんだよ」
そう言いながら、突然鳴り出したドローンの原因が他にないかと、細い目で周囲を見渡す。
周囲の人々は、けたたましく鳴り響くベルに反応して全員が行き行く足を止める。そして、冷ややかな目である一点に注目していた。
「あぁ、これは不味い」
その視線の先には、俺がいた。
蔑むような瞳に、甲高いベルの音。火災ベルを押したような罪悪感がどこからか沸いてきた。
グッと足に力を蓄え、一気に地面を蹴った。
全く状況が理解できないけど、『とにかくこの場から逃げろ』と俺の第六感が告げている。
全速力で通りを駆け抜ける。周囲の視線は、引っ張られるように俺を追っているが、我関せずとそれ以上のことは起こらなかった。
「なんでついてくるんだよ‼」
疾走する俺を逃がさないとばかりドローンが俺の後を追ってくる。
「俺、追われるような悪いことした⁉」
百メートルダッシュのごとく、全力で走っているのに、ドローンとの距離は全くひらく気配がない。
「なら、これならどうだ」
と、ばかりに直角に方向転換し、大通りから外れ路地裏に突っ込んだ。
大通りとは打って変わり、路地に入るとグッと人の姿が減った。辺りも妙に光が少なくなり、肌がひんやりとした。
そんな中で俺はなるべく、人が少ない方、細い細い道を選び、細かく道を曲がった。
それでも……
「高スペックすぎるだろ‼」
ドローンがピタリと俺の後ろをついてくる。
全力を振り切って、火事場のバカ力で何とか保っていたが、限界だ。
「$#%#%」
(うん?)
そのとき、どこから人の声が聞こえた。
「$#%#%」
また、聞こえた。
疲れ切った顔を持ち上げ、声のする前を向いた。
正面から全速力で近づく銀髪少女の…姿……が……⁉
(これはまずい)
俺に向かって何かを叫ぶ少女の手には、鉄パイプが握られている。
「嫌な気しかしない」
俺は、鉄パイプ少女を回避しようと、どこか角を曲がろうとした。
だが、曲がる角がなかった。
少女までは直線のみ。後ろからドローン。完全に逃げ場のない詰みだった。
俺は、諦めは諦めまま、瞬時に鉄パイプを握り迫りくる少女と、ベルの音を鳴り響かせるドローンを天秤にかけた。
その結果、急ブレーキをかけ立ち止まった。
「ストップ、ストーップ」
両腕を突き出し、静止を懇願した。
だが、少女は止まること知らず、鉄パイプを振り上げた。
「&%&#%&#」
俺は、命の危機に頭を手で守り、身をかがめた。
(あぁ死んだ。これは死んだな)
バン‼……ガシャン!
何かが落ちた音と同時にベルの音が消えた。
「へっ⁉」
恐る恐る顔を上げた。
銀髪少女は、いつの間にか俺の背後に立ち、その足元には、バラバラに壊れたドローンが転がっている。
「助けられ……た?」
気の抜けた声を漏らし、生を実感した。
(たぶん、この少女は敵ではないよな?)
状況を見る限り、鉄パイプを振り回した物騒な少女が鳴り響くドローンに沈黙をねじ込んだ、と言うことになる。
ホッと心地よく響く静寂に気が緩む。
それもつかの間。
少女は鉄パイプを投げ捨てた。長い銀色の髪を揺らし、こちらを振り向くと、俺の腕を掴む。
「$%&$‼」
「ちょっとどこへ?」
俺は少女に腕を引っ張られるがまま、走り出す少女の後に付いて行った。
狭い路地を駆け抜け、その間にいくつかの角を曲がった。角を曲がるたび、わずかに感じていた人気はなくなっていく。
しばらくして、影が溶け込むほどの路地裏で少女は立ち止まった。
俺は、片手を膝に付き乱れた呼吸を整える。
「あの……どこのどなたか存じませんが、助けていただきありがとうございます」
少女は急に強く腕を引っ張り、俺の背中を建物の壁に打ち付けた。
バンっと、少女は俺の頭を挟むように両腕で壁を叩いた。
(これが壁ドンと言うやつか)
人生で少女に壁ドンをされる日が来るとは……でも、この状況でも全く胸がトキメかない。
それもそのはず、少女の表情はどことなく鬼気迫るものがあった。
「&%#&%、%$‼」
少女はそうはっきりと叫んだ。
今まで目まぐるしい状況の中で俺の聴覚がおかしくなっていたと思っていたが、はっきりとそう聞こえた。
何かを尋ねられた気がする。だが、何を尋ねられたかはわからない。
何一つで理解できないが、少女の迫力に押された。
「ハ…ハロー」
やっと思いで絞り出した言葉は、万国共通と言える掴みの一言。お国がどんなに違えど、確実に伝わる単語である。
「ハ……ロ……?」
少女は、その言葉に固まった。
まるでその言葉を初めて耳にしたように首を傾げる。
少女は、壁に付いた手を外し、一歩下がった。『ハロー』と言葉を反芻しながら、顎に手をやる。
少女の拘束から解放された俺は、追い付かない脳の情報処理にただただ呆然と少女を眺めた。
教会の天窓から差し込む月光りの淡い銀色の髪。儚く脆い白磁のような艶やかな肌。透明な青い瞳は、エメラルドのように透き通っている。少女とも、女性とも取れるその顔立ちは、凛とした強さもありながらもどこかあどけない弱さを滲ませている。
まじまじと見ていると、少女は手を顎から離した。
そして、次々と口を開く。
「$#$%#$、#$#%&#。#$%#。%#&$#&$。&&$……#$%$#%&#……#$%#%………#$」
長文を話したというよりも、区切りある単語を紡いだようなニュアンス。どの単語も独特なイントネーションがある。
だが、少女の言葉はどれ一つ理解できなかった。
反応を示さない俺に少女は、再び手を顎にやった。今度は思考するように何かを呟いている。
声を掛けようと思うが全くどうしたものか?なにか困っているようだが、ここは声を掛けるべきなんだろうけど、さすがに言葉の壁は鉄壁だしな……
なんてことを考えていると、少女はポンと手を打った。その後、一瞬、渋るように顔を歪め、大きくため息をつく。
少女は一歩詰め寄る。しなやかな両腕を伸ばしてきた。ひんやりとしたシルクのような心地よい感触が俺の頬を包む。
吸い込まれるような瞳がゆっくりと近づき、少女の額が俺の額に触れた。
間近に感じる少女のなまめかしい吐息にゴクリッ、と唾を飲み込んだ。
「#%&%#$」
少女が何かを呟いた。
その途端、脳に流れ込む濁流に意識が飲み込まれた。
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