追憶

めがふろ

第1話 訃報

 顔面に降り注ぐ雨水に目を覚ます。

 冷房は体に堪えるからと窓を開けていたのが裏目に出たようだ。

 窓の外に目を向けると灰色の雲が空を覆っていた。

 急いでベランダに出て洗濯物を取り込む。時計に目をやると午後6時を回っていた。

 冷蔵庫からコーヒーを取り出し一口に煽った。コーヒーとお茶と少しの調味料以外何も入っていない冷蔵庫。夜ご飯はどうしようかと思案しながらタバコに火を付けた時、ケータイのディスプレイが点灯した。

『七川南から着信』

1人掛けのソファーに身をうずめながら電話にでる。

「今近くにいるんだけど雨降ってきちゃってさ家寄っていい?何か要るものある?」

1つ目の質問にイエスと答えた覚えは無いが、いつもの事だった。

「腹が減ったから弁当でも頼む」

短い通話を終えてケータイをベッドに投げる。七川南は高校の同級生だった。大学は違うが同じ上京組という事でしばしば連絡を取っていた。芸術専門学校に通っている七川とは高校時代も特別仲が良かったというわけでは無いが、当時付き合っていた彼女と仲が良かった。二人の相談役をこなすうちに話すようになり、縁が切れた今でも連絡を取り合っている。遠い街に住む女に未練があるわけでは無いが、元カノの親友と連絡を取るというのは何だか悪いことをしているような気分になる。当の七川本人はなんとも思っていないようだが。

 一応来客ということで部屋のなかを見回す。普段から掃除はしている方なので片付けるものも特に無かった。と言っても大学生の一人暮らしだから置いているものも少ない。駅から近いという理由で契約した古いアパートに市原浩二は暮らしていた。都心に来て2年の歳月が流れていた。



 数分すると玄関のチャイムが鳴った。モニターで確認することもなく鍵を開けると、両手にスーパーの袋を抱えた七川の姿があった。後ろで1つに纏められた髪の毛が雨水に濡れている。

「大荷物だな。弁当を頼んだはずだけど」

「弁当なんて体に悪いじゃない。どうせあんたの事だから不摂生な生活送ってるんでしょ。カレーでも作るからちゃんと食べなさい」

反論すれば言い返されることがわかっているので何も言わなかったが自炊は一応している。今日はたまたま食材を切らしていただけだ。とはいえ、作ってくれるというのならそれは有り難い話だった。クローゼットからハンドタオルを取り出し七川に差し出す。

「ありがと」


 七川のカレーは不味くは無かった。美味しくないとは言わないが、そもそも美味しいカレーというものをあまり知らない。市販のルゥなのだから誰が作ってもこんなものだろう。

「せっかくの夏休みだってのにあんたの事だからどうせ一日中寝てたんでしょう」

台所で食器を洗いながら七川が話しかけてくる。的を射た指摘だったが素直に「うん」というのも癪だった。

「失礼なやつだな。今日は1日中レポートを仕上げていたんだ」

真っ赤な嘘である。実際はパソコンと向き合っていたのは30分ほどでそのあとは本を読んで昼寝をしていた。雨水に起こされなければまだ眠っていただろう。

「寝癖のついた頭でよく言えるわね」

鏡に目をやると前髪が盛大に跳ねていた。次から来客のあるときは部屋だけでなく髪の毛にも気をつけようと浩二は誓った。

 カレーのお返しにとコーヒーを淹れソファーに腰を降ろす。七川はベッドに腰かけていた。6畳の部屋だから他に座るところもないのだが、女性をベッドに座らせるというのはむず痒いものがある。

「あんた夏休み中に帰省するの?」

聞き飽きた問いかけだった。地方から出てきた大学生は長期休暇の度にこの質問をされる。

「帰らないよ」

帰省には新幹線でも5時間はかかるしこの時期は人も多い。何より交通費も馬鹿にならない。貧乏学生にとっては死活問題だった。

「そう。じゃあ、葬儀には出席しないんだ」

言われて頭を捻る。葬儀?誰の葬儀のことだろう。親戚は誰も亡くなっていない。何より俺の親戚の生死を七川が知り得る筈も無かった。となれば亡くなったのは高校の同級生の誰かということになるが、そのような話は聞いていない。

「誰の葬儀だって?」

「え。聞いてないの?奈央よ。佐々木奈央」



コーヒーを飲む手が止まった。佐々木奈央。3年の頃の同級生で七川南の親友。そして1年前に別れた浩二の恋人だった。





 

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