アイスココアは疲労と運ゲーの味

鮎川剛

アイスココアは疲労と運ゲーの味

 近所の自販機からアイスココアが消えていた。

 売り切れではなく、販売終了。よりにもよって、この暑い時期に。これでは夏期補習や買い物の途中にカカオ成分を補給できないじゃないか。

 全くもって許せない。万死に値する。トマトジュースと位置を間違えて『リコピン増量!』のシールを貼るのと同じくらいには許せない。ちなみにこれは実際にあった出来事で、これもまたその自販機で起こったのだ。つまり僕にはその自販機を二万回殺す権利がある。誰かバールを持ってきてくれ。バールを。

 そもそも、僕は夏が嫌いだ。

 夏は暑いし、セミがうるさいし、何よりチョコレートがすぐに溶ける。

 つまり、学校や外出先にチョコレートを持っていけないのだ。二時間ごとにカカオの成分を摂取しないと禁断症状が出る身としては、こんなに辛いことはない。

 そういう訳だから、せめて夏休みの間くらいは、不要不急の外出を極力避け、冷房の効いた室内で一人静かにチョコレートを食べていたいのだが……今日は少し難しいみたいだ。


「ふっふっふ、お帰りなさい、カカオくん。ずいぶん待ちましたよ」

 仕方なく自販機よりも少し遠い場所にあるコンビニでボトルのアイスココアを買って帰って来ると、幼馴染のリカがいた。リビングのソファに腰掛けて麦茶をすする姿は、彼女が最初からうちの子だったと錯覚してしまいそうな自然さだった。

 一応付け加えておくと、普段の彼女はこんな口調で話したりはしない。

「……とりあえず、用件を言ってくれ。何だか嫌な予感がする」

 あの忌々しいバレンタインデーに、このカカオジャンキー、もとい僕にチョコレートを渡すという暴挙をやってのけた彼女の事だ。これは何か企んでいると見て間違いないだろう。

「ふっふっふ、用件ですか。いいでしょう。あなたには知る権利が──」

「なあ、その喋り方疲れないか?」

「……疲れる」

「なら普通に喋ればいいじゃないか」

「もー、ムードが分からないやつね……とにかく、用件を言えばいいんでしょ?」

 そこから一呼吸置いて、リカは一息に、

「カカオ! 今からあたしとデスゲームをしなさい!」

「……はあ?」

 いやいやいや、いくら何でも展開が速すぎるだろ。

「いやー、最近デスゲームものの漫画とかゲームにハマっちゃってさ」

「違う、そうじゃない。なんで幼馴染と殺し合いをしないといけないんだ?」

「殺し合いじゃなくてデスゲーム。殺し合いはただお互いに武器を振り回すだけでしょ? それとも来年から友チョコじゃなくて強敵チョコが欲しいの?」

「殺し合いの定義がよく分からないし、後半に至っては言ってることが分からないな。というか、あんなにしおらしい態度をとっておきながら『友チョコ』とは何だ? 紛らわしい。あれは完全に『本命』を渡す時の態度だろ」

「…………」

 全く、天使と悪魔の誘惑に負けて、自分の流儀を曲げてまで受け取ったチョコレートが『友チョコ』だったなんて、あの時は期待して損をした。もしリカがくれたチョコレートが僕の気分を的確にとらえた、いわゆる『どストライク』な物じゃなかったら、きっと僕は今頃少年院にいるだろう。

「どうだ、ぐうの音も出まい」

「ぐう!」

「今言っても遅い」

「ふん! まあいいわ。どうせカカオにはここで死んでもらうんだから」

 くそ、話題は逸らせないか。こうなったら……

「それじゃあ、今からルールを説明するわよ」

「ちょっと待った。リカ。君の言うデスゲームに、僕が参加するメリットが見当たらない。よって僕は辞退する」

「ふーん……それは残念ね。せっかく、カカオが勝ったらおいし~いココアの飲み方を教えてあげようかと思ってたのに」

「……ほう? リカ。今、恐れ多くもこの僕にを教えると言ったな? いいだろう。そのゲーム、乗った! このカカオジャンキーを、確かに満足させてくれるんだろうな?」

「勿論よ。それじゃあルール説明、行くわよ!」

 そう言って彼女はスマートフォンを取り出した。画面には二つのサイコロが表示されている。

「ルールは簡単。カカオが2~12のうちから好きな数字を宣言して、その後あたしがこのアプリでサイコロを振る。二つの目の合計値が宣言した数字と一致してたら、カカオの勝ちよ」

「それは、つまり……運ゲーだよな」

「うるさい! これしか思い浮かばなかったのよ! とにかく、ゲームが終わるまでこのココアは没収! それと……えい!」

 彼女は慌てた様子でレジ袋からココアを抜き取って、冷蔵庫に押し込めると、エアコンのスイッチを切ってしまった。

「おい、それは何のつもりだ?」

「言ったでしょ? これはデスゲームだって。あたしが勝ったら、カカオは冷房の切れたあっつい部屋の中で、喉の渇きにもがき苦しみながら死ぬのよ」

……死ぬまでがずいぶんのんびりだな。

「さあ、覚悟はいいわね? チャンスは3回、ゲームスタート!」

 いきなりスタートか。どうする? とりあえず、適当に好きな数字を言ってみるか。

「9だ」

「分かったわ。1回目、ダイスロール!」

 リカがスマホに手をかざすと、わざとらしい効果音とともに、サイコロが投げられた。出た数字は、7だ。

「残念。1回目はハズレね」

 くそ、外したか。だが、所詮は運任せのゲーム。確実に勝てる手なんて……

「それじゃあ、2回目は5だ」

「2回目、ダイスロール! ……残念、またハズレね」

 まずいぞ。チャンスは残り1回。別に死ぬのが怖いわけじゃない。そもそも、ココアが飲めないなら水道水でも飲めばいい。問題はそこじゃない。ここで勝たなければ、リカの言っていた『おいしい飲み方』を知ることが出来ない。もし、もしもだ。それが本当に彼女がこの地球で最初に見つけた飲み方だったら? その飲み方を、他の誰か、あるいは僕でさえも発見出来なかったら? それが一番恐ろしい。一生で一度のチャンスを、絶対に逃すわけにはいかない。

 考えろ。疑え。このゲームが運任せなのは明らかだ。だが、手は無いのか? すべての可能性を考えろ。記憶をたどれ。二つのサイコロを振って、一番出やすい目があるはずだ。何か……何か……!

「……」

「さあ、最後の一手は決まったかしら?」

「……7だ」

「本当にいいのね?」

「ああ。やってくれ」

「じゃあ、最後のダイスロール、行くわよ!」

 リカが再び手をかざした。二つのサイコロが画面の中でゆっくりと舞い上がり、そして着地した。一方が動きを止めた。3の目がこっちを向いている。もう一つは少しだけ長く転がって……4のところで止まった。つまり……

「7! おめでとう、カカオ! あなたの勝ちよ」

「よし! やった! 勝った! さあ、早く教えろ! 僕にココアを飲ませろ!」

「はいはい。言われなくてもすぐ飲ませてあげるわよ。ちょっと台所借りるわよ?」

 そう言って、彼女は部屋の奥へ消えていった。さあ、一体どんなものが出てくるか。僕の胸は、期待に踊っていた。







「おばさん、お邪魔しました! じゃあね、カカオ! また明日ね!」

 さっきまで命を賭けて戦っていた相手だとは思えない笑顔で、リカは去っていった。本当なら、玄関を一歩くらいは出て見送った方がいいと思うんだが、僕にそんな気力は残っていなかった。

 何を隠そう、生きるか死ぬかの激闘の果てに出てきたのは、アイスココアに塩を少々加えただけの、何とも言えない代物だったのだ。

 勘違いの無いように言っておくと、ちゃんとおいしい飲み方ではあったのだ。だが、その……陳腐だ。何故だろうか、やったことが割に合わないという、ただそれだけのことで、下手に運動した日よりも疲れている。

……あともう一つ。邪推かもしれないが、リカは今、と言った。下手をすると、明日もチョコレートやココアを餌にして僕をデスゲームに誘ってくるかもしれない。そして、僕も懲りずに乗せられてしまうのだろう。今年の夏休みは、果たして休暇として機能してくれるのだろうか?

 いや、もう考えるのも面倒だ。チョコレートを食べよう。疲れた時にはチョコレートが一番だ。このしょっぱい気分も、あるいは甘味をより引き立ててくれるかもしれない。その一心で、僕は冷蔵庫を目指した。夏はまだ終わらない。

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