3 「ああ、手伝いますよ!」





 ポン。

 肩を軽く叩かれるのを感じて、勉強に集中していた意識が強制的に引き戻される。はっとして時間を見ると、既に時間は十二時半となっていた。残っている教科は化学プラス読書感想文だけ。課題がそんなに多くないとはいえ、このペースはなかなかいいのではないかと思う。

 どうもどうやら肩を叩いたのは日向さんのほうのようで、朝日さんはなにやらキッチンで料理をしているようだ。


「逢音君、すごい集中力だね。朝日が、昼食もうできるって言ってたよ。というか、逢音君もうほぼ終わってるじゃん。そのペース、やっぱりおかしいよ――」


 まぁ、我ながらなかなか速いペースだとは思うが、何回も言われるほど速いだろうか。思い返すと、中学の知り合いの解くペースは僕から見ても異常だったし、もしかしたら僕の感覚が麻痺してるだけかもしれない。


「そんなに速くないですよ。あ、朝日さん手伝ってきますね。」


 朝日さんに料理を任せているのになにもしないのは気が引けるので、そう言って席を立とうとする。しかし、向かいに座る日向さんに「いいからいいから、話したいこともあるし」と言われ、両肩を抑えられてしまった。知り合いの姉という微妙なポジションの人の手を払いのけるわけにもいかず、立ち上がれないでいた。


「まぁまぁ、朝日の手伝いはいらないと思うよ。で、話なんだけど――ありがとうね。」


 そう言って深く頭を下げる日向さん。その突然の行動に驚いた僕は、一瞬脳の整理が追い付かず固まった。


「ちょっ!急にどうしたんですか!?頭を上げてください!」


 深ーく頭を下げる日向さんに慌ててそう言うと、日向さんは頭を上げて僕のことをいつになく真剣な目で見てくる。えっと、どう反応したらいいか全く分かんない。こういう場合って、どう対処するのが正解なの?


「僕は、日向さんからお礼を言われるようなことをしたつもりはないのですが――」


 本当に心当たりがない僕がそう言うと、日向さんは首を横に振って話し始める。


「逢音君は、朝日に勉強を教えてくれて、あんなにいい点数取らせてくれた。それはたぶん私じゃできなかったし、むしろ逢音君だからこそできたんだと思う。それに、試験が終わっても朝日と仲良くしてくれてるしね。

 あとは――お父さんのことも、私からお礼を言わせてほしいの。昨日お父さん、なんか憑き物がとれたみたいな顔してたし、お父さんが絶賛してたのを見ると、逢音君がなにかしてくれたんでしょ?」


 そう話す日向さんに僕は軽く肩をすくめる。僕は特別お礼を言われるようなことはしてないはずだ。全部、僕にメリットがあったり好奇心からの行動だしね。だから、お礼を言われても正直困る。


「僕は特になにもしてないんですけどね。好きなようにしてるだけですし。」

「逢音君からすればそうかもしれないけど、私からすると逢音君は妹の恩人なんだよ。だから、ありがとうね。」


 そういうことを言われると、なにも言えなくなってしまう。本当に、お礼を言われるようなことはしてないんだけどな。なんか、申し訳なくなってしまう。


「まぁ、はい――」


 なんと返したらいいものか分からず、そんな曖昧な返事になってしまう。だが日向さん的にはそれでよかったのか、ニコッと笑うと席を立ってキッチンのほうへ向かう。

 謎の疲れが一気に出てきて、僕は思わずはぁっと息を吐き椅子にもたれかかった。なんとなく、そういう気もないのにお礼を言われると疲れるし申し訳ないと感じてしまう。

 僕は机の上に出しっぱなしで片付けるのを忘れていた、夏休みの課題と筆記用具を鞄に放り込むと、朝日さんを手伝うために席を立つ。だが、ちょうどそのタイミングで日向さんが料理を乗せたトレイを運んできた。


「ああ、手伝いますよ!」

「んー?いいよいいよ、これくらい軽いし。朝日のほうもたぶん手伝いはいらないんじゃないかな?今運んでるこれでたぶんほぼ全部だから、あと朝日が飲み物を持ってくると思うから、座って待っててよ。」


 でも、なにも手伝わないのは気が引ける。こっちはお邪魔してる立場なのだから、ちょっとくらい手伝ったほうがいいいと思う。でも、僕が手伝いに行くより先に朝日さんが飲み物の入ったコップを両手で三つ同時に持ってきて――って、あのコップすごい不安定そうに見えるのは気のせい?


「朝日さん、一つ持つよ。」

「いや、大丈夫――あっ!」


 大丈夫と言ったそばから朝日さんの手からコップが滑る。朝日さんの近くにいて反射的にそのコップを抑えようとした日向さんの手は――コップを朝日さんのほうに弾く結果となった。そして、氷が入っていて冷たい飲み物――おそらくオレンジジュース――が朝日さんの腹のあたりにかかった。急に冷たいものがかかって驚いた朝日さんは「ひゃっ!」と声を漏らし、コップを持った手を反射的に自分の手元に寄せる。その動きのせいで、オレンジジュースは慣性の法則にしたがってコップから零れることとなった。


「朝日さん大丈夫!?」


 オレンジジュースで濡れた朝日さんに、僕は反射的にそう言う。それを聞いてはっとした朝日さんは、目に見えておろおろとする。ちなみに、日向さんはまだフリーズが解けていない。


「あ、朝日さん、まず着替えてきなよ。で、えっと――ここは拭いておくから、使っていもいいタオルとかどこにある?」



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