二章 〇〇〇〇〇

1 「まぁ、いろいろあったんですよ。」




「――暑い。」


 マンションから一歩出た瞬間、容赦ない日光と暑さが僕を襲う。もう完全に夏だと気温が主張してやがる。

 できることなら、自然相手に裁判起こして慰謝料請求プラス暑さの軽減を求めたい。今すぐ回れ右したい衝動に駆られたけど、目的地のマンションは道路を渡ってすぐなので諦めて前に進む。マンションのエントランスに入ると日陰の分涼しく、一瞬天国のように感じた。

 最近よく思うよ、夏って嫌いだ。プールに行くような友人がいるわけでもない――こともないか。さっき石橋君から『プール行こうぜ!お前いたらナンパ成功する気がするわ!』とメッセージが来たけど、既読スルーしておいた。

 僕はいつも通り『409』とボタンを押し、朝日さんにドアを開けてもらう。昨日調べて知ったことなのだが、これはオートロックシステムと言うらしい。まぁ、試験に使うわけじゃないし特に覚えるようなことでもないんだけど。


『はい。』

「逢音です。おはよう。」

『うん。どうぞ。』


 いつも通りの朝日さんの声がスピーカーの向こうから聞こえてきたと思うと、エントランスのドアがガーっと開く。何度もここに来ているので、もうすでにこの場所を通るのも慣れた。エレベーターに乗り込み四階まで運んでもらった後、朝日さんの部屋のところまで通路を歩いていく。

 『409』と書かれた部屋のインターフォンを押すと、いつも以上に短い時間でドアが開けられ、中から朝日さんが出てくる。白を基調としたワンピースに、スパッツ(?)を穿いている朝日さんは、身長差的に僕を見上げる格好になった。いやね、スパッツとかタイツとかニーソとか、よくわかりません。僕自身描いたことはあるけど、よくわからずに描いてたからね。


「おはよう、朝日さん。」

「うん。どうぞ。」


 朝日さんは僕の挨拶にそう返すと、僕に中に入るように促す。僕は「お邪魔します」と言いながら中に入るけど、そこで玄関の違和感に気が付く。朝日さんよりも少し大きめのサイズに見える靴がきっちり並べて置いてあるのだ。まぁ、大体誰のものかは予想できるんだけどね。


「朝日さん、もしかして日向さんも来てるの?」

「うん、そ――」

「そうだよ~!久しぶりだね、逢音君!昨日お父さんに会ったんだけど、なんか逢音君のこと大絶賛してたよ!なにしたのかは教えてくれなかったんだけど、なにしたらあんなにお父さんを認めさせられるの?」


 朝日さんの言葉を遮って、日向さんがすごい勢いで話してくる。相変わらずの口数の多さに僕は苦笑するしかない。というか、倉井さんの件に関しては僕が言っていいことじゃないと思うから、本人に聞いてほしいなぁ。


「まぁ、いろいろあったんですよ。」


 靴をしっかり並べながら僕がそう言うと、日向さんは不機嫌そうに「つまんないのー」と言うけどスルーしておく。

 何回かこの人と会って学んだことだけど、この人の話にいちいち返事してたら疲れる。いい感じに相槌を打っておけばいいんだよ。聞き流すスキルも大事だと思うんだよね。


「――まぁ、入って。」


 朝日さんは日向さんのことをリビングのほうに押しながら、僕にそう言う。押されている日向さんは「押さなくても歩くよー」というが、朝日さんはグイグイと押していく。仲のよさそう(?)な姉妹の姿に少しほっこりとしながら、僕はリビングのほうに入る。

 リビングにはいつもと違いテーブルにノートパソコンが置いてあって、その周り、テーブルの半分ほどを占拠するようになんか資料らしき紙が並べられている。


「いやぁ、大学の課題が残っててね~。家ですると怠けちゃいそうだから、こわーい妹に見てもらいながら集中しようかと――って、朝日ごめんって。怖いとか言ったのは謝るから!ねぇ、ごめんって!」


 朝日さんは椅子に座った日向さんの脛を、テーブルの脚を上手いこと避けながら蹴る。いくら朝日さんが本気で蹴っていないとはいえさすがに少しは痛いのか、日向さんは「ごめんね~」と朝日さんに謝る。女の子に怖いとか言っちゃいけないんだなぁ、というか、朝日さんって日向さんには結構容赦ないよね。まぁ、姉妹なら当然かもしれないけど。


「まぁ、朝日さんはしっかりしていますからね。」


 姉に「怖い」と言われて少し不機嫌の朝日さんにそうフォローをいれつつ、僕は日向さんの斜め向かいの席に着く。足元に置いた鞄から筆記用具と夏休みの課題を出して机の上に置いたところで、ちょうど朝日さんがアイスコーヒーを出してくれる。

 それを一口飲んでみると、いつも家でよく飲むペットボトルの味とは違い、この前飲んだ朝日さんが淹れたコーヒーの味と同じだった。



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