46 「コーヒーが美味しいって話かな。」



「――美味しい。これは、朝日が淹れたのか。コーヒーを淹れるのがこんなに上手だったとは。」

「ですよね。僕もそう思います。でも、僕がこの前ここに来たときはペットボトルのコーヒーで、キッチンに入った時にコーヒーメーカーやサイフォンなどはなかったんですよ。まぁ、僕が見た範囲ではですけどね。

 倉井さん、コーヒーお好きでしょう?」

「あ、ああ。そうだが。」

「だから、たぶんこのコーヒーは朝日さんが倉井さんのために淹れようと思ったものなんですよ。そんなことをする相手が嫌いなわけないですよね?」

「だ、だが、それはただの想像――」

「そうですね、僕の勝手な想像です。でも、少なくとも僕は朝日さんは倉井さんのことを嫌ってなんかいないと思います。」

「でも、現に朝日は一人暮らしを望んだだろう。」


 倉井さんのその言葉に、僕はどこまで話したものか悩む。だけど、その答えはすぐに出た。どうせ話すなら、しっかり全部話そう。


「朝日さんは、イラストを描きたいから一人暮らしを望んだって、日向さんから聞きました。」

「イラスト?」

「はい、イラストです。『星空深夜』が良く描くようなアレですね。」

「なんでそんなのものために一人暮らしを?」

「本人から直接聞いたわけではありませんが、日向さんの話では『お父さん頭固いからそういうの許してくれなそう』だそうです。

 ――思い当たる節、ありますよね?」

「ああ、ある。」


 倉井さんは頭を抱えながらそう言うと、静かに頷く。


「そうか、だから朝日は一人暮らししたがったのか。」

「はい、そうだと思います。」

「じゃあ、私がイラストを認めたらいい――いや、それはないだろうな。」

「どうでしょう。倉井さんが認めるなら、朝日さんは転校してもいいと思うかもしれませんよ?」

「確かに前ならそうだったのかもしれんが――うまくいかないものだな。」


 倉井さんは残念そうにそう呟くと、コーヒーを一口飲む。


「私は娘に嫌われていると思っていた。うざいぐらいにあれはダメこれはダメと言っている自覚はあったし、子どもからすればそれは『自分は信用されていない』と感じることもわかっていた。でも、私はそうしてしまう。大事だからこそ、守ってやりたいと思ってしまうんだ。

 私がわからないものを娘が触るのも不安だし、私の目の届かないところに娘がいるのも不安だ。だから、私は朝日と日向からうざいと思われようとことあるごとに干渉してしまった。それはよくないとわかっていたのだがな。」


 倉井さんのその言葉に、なんと返せばいいのかわからない。たかが十五歳の僕ではなにを言っても薄っぺらくなってしまうだろうし、なんの説得力もない。僕が言えるのは無責任な言葉だけだから、下手なことを言いたくない。


「わかっていることと、実行に移すことは別だ。わかっていてもしなければ意味がない。朝日を束縛する気はないといったが、実際にはそれと同じようなことをしてしまっていたのだろうな。自覚はあるさ。本当に、私は自分勝手だ。私には『自由にさせる勇気』が足りないのだろうな。」


 僕は、なにも答えられない。なんと答えていいのか分からずに何度も口を開きかけては閉じる。必死に脳内で言葉を探し、考えた。

 朝日さんの同級生として、僕は朝日さんには自由に生きてほしい。でも、それは同時に倉井さんに不安になってほしいと言っているのと同じで、そんなことを言ってしまうのは違う気がする。だからこそ、言葉が見つからない。


「ああ、悩ませてしまってすまない。これは私のただの愚痴さ。」

「いえ――」

「いや、いいんだ。これは私の問題なのだから。おや、朝日が帰ってきたみたいだ。」


 ドアの開く音がして、朝日さんの小さな「ただいま」という声が聞こえてくる。すぐにリビングのドアが開いて、首筋に汗を流す朝日さんが入ってきた。やはり外は暑かったようだ。というか、コンビニに行ったにしては時間がかかりすぎな気がする。


「エアコン涼しい。はい、飴。」


 朝日さんはそう言ってレジ袋ごと倉井さんにそれを差し出す。そのレジ袋は近くのスーパーの袋で、おそらく時間がかかったのはコンビニではなくそっちに行ったからだろう。朝日さんは「お釣り」と言いながら倉井さんにお金を渡そうとするが、倉井さんは「駄賃として持ってなさい」と受け取らなかった。

 倉井さんはレジ袋の中を覗くと、一瞬固まった後顔に笑顔を浮かべる。そして、レジ袋から飴の袋を取り出すとそれを僕に見せてきた。


「ああ、君の言った通りだったかもしれないな。」


 僕の目に入った飴の袋に、思わず僕もニヤリと笑ってしまう。コンビニでは売っていないであろうコーヒー味の飴は美味しいのかはわからないけど、たぶん倉井さんは美味しく舐めるのだろうとわかる。


「なんの話?」

「いや、ただの他愛のない話だ。じゃあ、私はそろそろ帰るとしよう。なにかあったらここに連絡をくれ。」


 倉井さんはそう言いながら名刺入れを取り出し、名刺を一枚僕に差し出してくる。僕がそれを受け取ると、倉井さんは笑顔を浮かべた。


「朝日、コーヒーありがとう。美味しかったよ。」

「そう。」


 倉井さんの言葉に朝日さんはそっけない態度をとるが、倉井さんはそれでもいいとばかりに笑い、鞄を持って立ち上がる。すると、朝日さんの頭を数度撫でてから「じゃあな」と言ってリビングのドアを開ける。僕は倉井さんを見送ろうと立ち上がるが、倉井さんは手でそれを制止してそのまま出て行ってしまう。


「逢音、お父さんとなんの話してたの?」

「うーん、朝日さんのコーヒーが美味しいって話かな。」


 僕の答えに朝日さんは「答えになってない」と言ったが、僕が答える気がないことに気が付いているのか深くは追及してこなかった。朝日さんは僕の隣の席に座ると、疲れたのか「ふぅ」と息を吐く。

 そんな朝日さんの様子を見ていると、僕のほうにもどっと疲れが出てくる。


「じゃあ、僕もそろそろ――」

「待って。」


 帰るね。そう言おうとした瞬間、朝日さんから制止がかかる。


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