草生える

鳥引一夫

草生える

「うわ……、なにこれ……。」


 おれの目の前には草原が広がっていた。

 いや、正確にはそんなでかいサイズの草原ではない。しかしおれの目の前でたしかに草原が広がっていったのだ。


 ついさっきまでは録画してあったお笑いの賞レースを中古のテレビで安酒をちびちび飲みながら見ていたはずだった。

 ぼんやり眺めていたバラエティ番組でふと笑った瞬間、ポツンと草が床から飛び出し、波紋のごとくいっきに草が広がっていった。

 なにが起きてんだ、これ。

 引っ張ってみたがそれは絨毯などではなく、間違いなく草だった。ずいぶんトゲトゲしいタンポポのような葉っぱだ。触るとほんのり湿っており、ますます気味が悪い。引っこ抜くと、どうにも床に根を張っているらしく、床に穴が開いた。十円ハゲのようになった。おもわずへたり込んだ。


「ふふふふ、なんじゃこりゃ。」


 笑うしかなかった。笑うと十円ハゲにまた草が生え、ふさがった。

 笑うと草が生えるのか。なるほど『草が生える』ってことか。

 バカにされてんのかおれは。

 その時、ポケットのケータイがぶるぶると震えだした。

 芹沼からだった。おれと大学の時に知り合った友人だ。今は大学の研究室でなんかやっているらしいが詳しくは知らん。たしか植物系のところだった気がする。


「もしもし。芹沼?」


「おう、今向かってるからビール買っといて。」


「いや今は……、いやなんでもない。来た時話すわ。」


 芹沼が解決してくれるかもしれない。芹沼の研究室は有名らしいし。


「よう、来たぜ。……すげぇなこりゃ。」


 芹沼が来ると今あったことの逐一を説明した。芹沼も若干引いてるようだ。


「お前、植物の研究してんだろ。なんとかしてくれ。」


「俺は別にこんな不思議な研究はしてねぇよ。まあ、天然の絨毯ってことでいんじゃねぇの?はははっ!」


「ああっ!お前迂闊に笑うな!……また草が増えた。」


 天然絨毯はそろそろ壁にまで届きそうなほど広がっている。


「なるほど、お前が草を生やせるんじゃなくて、この部屋で笑えば草が生えるのか。」


 芹沼はしゃがんで草をめくったり、引っこ抜いたりして観察している。時折笑いだし、草を生やしている。


「で、いったいこれはなんなんだよ。」


「えーっと、草の種類で言えば多分これはオニゲシだな。園芸用で売れるぞ。」


「えっ……まじ?」


「ああ。めちゃめちゃ高くで売れるわけじゃないけど、元手ゼロ円ならぼろ儲けじゃねぇの?」


「まじか……う、売るぞ!」


 なんというラッキー。ついてるにもほどがある。この草が金の卵だったとは。


「よっしゃ、お前が草を生やせ。そんで俺が大学のつてでそれを売る。ちゃんと山分けな。」


 おれと芹沼は小躍りしながらビールを煽り、芹沼といろいろな実験を試した。興奮は日付が変わっても冷めなかった。


 昨晩の成果をまとめると、どうにも笑い声がでかくて多いほど草は生える。部屋が草で完全に覆われてから成長を始めるらしい。成長の速さも笑う量とでかさに比例するようだった。


 おれたちは落語、漫才からバラエティまでありったけのビデオをレンタルし、オニゲシを成長させた。苗にしたオニゲシは芹沼に渡し、出荷される。


 ただテレビ見て笑っているだけで大金が入ってくる。笑いが止まらなかった。園芸用の草がこんなに売れるとは。おれは朝方に出勤しているサラリーマンを窓から眺め、酒を飲むのが毎日の楽しみになった。時にはわざと聞こえるようにバカでかい声で笑った。

 脳が溶けそうになるほどテレビを見た。しばらくするとすぐにネタ切れを起こしたが、同じネタでもなんども笑えたし、なんなら回を重ねるごとに笑いは大きくなっていった。


 笑いに浸かりすぎたのか、ニュースを見てるだけでも、日常の些細な出来事でさえも腹がよじれるほど笑った。しばしば笑いすぎて吐くこともあった。オニゲシが電球を覆い、終始暗いおれの部屋はオニゲシの草の匂いと酸っぱい匂いで満たされていった。


 六畳一間のど真ん中で永遠に流れ続けるテレビにおれは笑い続けた。


 オニゲシ栽培も次第に軌道にのり、安心して生活できる程度の金が入るようになった頃、新品のテレビで漫才ライブを再生していると、机に置いてあったケータイがメールの受信を知らせた。芹沼からだった。


 −バカンスなう

 添付画像


 画像は水着でサングラスをつけた芹沼が浜辺で横になっているものだった。後ろに写っている看板から察するに海外のようだ。その姿にぷっと吹き出した。隣には見知らぬ美女もいる。


 芹沼の奴め俺を置いてバカンスしやがって。というかどこから海外に行けるような金が生まれたんだ。あはははははははは。笑いが止まらない。


 新規メールがあります


 羨ましげに画面を睨んでいると芹沼から新たなメールが届いた。


 −お元気で


 それだけのメールだった。あははははははははは。笑うとぼーっとする。おれは吐いた。

 吐瀉物のかかったおれのスマホをスクロールすると、下の方にまだメールが続いていることを発見した。

 メールの最後にはリンクが貼りつけられている。リンクはウィキペディアのものだ。

 タップしてリンクに飛ぶ。

 突然のチャイムに邪魔をされ、おれはそこで読むのを中断した。

 新聞の勧誘だろうか。芹沼以外は基本この部屋を訪れる人間はいないのだが。


「はい、どなたですか?」


 ケイサツだった。生で「こういう者ですが」と聞けたときにはまた笑いが止まらなかった。オニゲシはあっという間に花を咲かした。

 ケイサツは無言のまま部屋に土足で上がり込み、おれの財産を踏み荒らした。

 あはははははははははは。六畳一間のど真ん中で、おれは笑い続けた。

 ケイサツは机の上のケータイを取りメールの中身をのぞいて怪訝な顔をしている。


「ハカマオニゲシ:オニゲシと酷似した特徴を持ったケシ科の多年生植物


 麻薬取締法によって原則栽培は禁止されている。」


 あははははははははははははははははは。

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草生える 鳥引一夫 @tombowminamiya

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