第3話可憐な天音さん

 図書館から出て僕は当てもなく歩き始めた。

 散歩の良いところは運動しながら自分の知らない場所に赴き、店を巡るという楽しみができる事だと思っている。

 大学に進学してからこの町に住み始めてもう1年が過ぎた。もう大学と家周辺はもうあらかた見回ってしまっているので、新しい発見はないだろう。

 僕はまだ行ったことのない町の南側に行ってみることにした。



 図書館から南に歩き始めて30分、二宮というところに着いた。

 この辺りは全く知らない。ここから適当に歩き回ってみるとしよう。

 迷ったら困るので時々マップアプリで居場所を確認しながら歩き回ることにする。

 とはいえ、ここまで来るのに30分歩いている。ちょっと疲れたので近くの喫茶店にでも入ることにした。



 僕は喫茶・笹山という喫茶店に入った。

 中に入ってみるとなかなかレトロな味のある店内だ。少し暗めの店内の隅には蓄音機がある。どうやら天内のBGMはその蓄音機から流れているようだ。


「いらっしゃい、自由に座ってくれ」


 厨房から渋い店主の声が聞こえて来た。

 僕は店主の言う通り適当に蓄音機の近くの席に座った。

 メニューを見てみる。メニューは普通の喫茶店と同じようだが、値段は少しばかり安価なようだ。

 厨房からおばさんがやってきて僕の前に水を置く。


「注文はお決まりですか?」


 そういえばまだ昼を食べていなかった。僕はおばさんにナポリタンとコーヒーを頼んだ。

 かしこまりましたと言っておばさんは厨房の方に戻って行った。

 僕は蓄音機を眺めながら水を一口飲んだ。


 しばらく蓄音機から流れるクラシックに聞き入ってぼーっとしていると誰かが入店してきた。気にせずそのままクラシックを聞き入っていたら先程入ってきた客が僕の座る席の前に座ったように感じたのでふと前を見た。


「どうも。ご機嫌よう」


 そこにいたのは僕と同じ文学部2年で同じ文芸サークルに所属する天音さんだった。

 天音さんは大学内で隠れファンができるくらい整った顔立ちをしているいわゆる美女である。


「天音さんか。こんにちは」


「何やっているんです?」


「ちょっと散歩を。疲れたのでたまたま見つけたかな喫茶店に入って昼食をと」


 ふーん。と言って天音さんは厨房に向かって大声でコーヒーとフレンチトーストを注文した。


「私、この店の常連なんです。このレトロな雰囲気とレコードが好きなので私にはぴったりなんです。ここのフレンチトーストが非常に美味であることも理由の一つなのですけれど……」


 その時、僕の注文していたナポリタンとコーヒーをおばちゃんがお盆に乗せて持ってきた。

 軽く会釈して僕は皿とマグカップを受け取って思ったよりナポリタンが多いことに気づいた。


「へー。ナポリタンにしたんですね。私はここのナポリタンは多くて食べきれないんですよね」


「確かにボリューム満タンだな」


 まあ、頼んだからには食べきるのが礼儀というものだ。僕はフォークを持つとクルクルと巻きつけて口につめこんだ。


「矢田さんって随分と豪快な食べ方するんですね。ちょっと意外かも」


 天音さんはくすくすと笑って食べるのを見ている。なんだか恥ずかしい。

 僕はなんとか太い麺を飲み込むと、むせかけたのでで水で無理やり胃へと流し込んだ。


「……笑わないでくれよ」


「ふふふっ。すみません。矢田さんの顔があまりにも間抜けだったもので」


「こっちは必死たったんだ」


「でしょうね。見てて苦しそうでしたから」


 美女の前で一体僕は何をしているのか……。僕は落ち着いて少しづつ食べることにした。


「そういえば、矢田さんは何故こっちの方に来たんですか?普段は図書館にいると言っていましたが?」


「……今世紀一のひねくれ者のせいだ」


「あーあのいつもしわくちゃの服を着てる変人ですか。確かによく絡まれてますよね。なんでなんですか?」


「僕に聞かれてもそんなことは知らないとしか言えないぞ。僕だって奴との縁は切りたいのだ」


 そういえばいつあのひねくれ者と出会ったのだったか?記憶にないと言うことは、それほど記憶に残らないほどの出来事だった違いない。

 話しているとおばちゃんがフレンチトーストとコーヒーを持ってやってきた。

 天音さんは笑顔でそれを受け取った。


「やっときましたね。この厚みのあるパンがいいんですよね」


 フレンチトーストのパンの厚みは6cmはある。これは本当に大きい。こんなフレンチトーストは今まで見たことがなかった。


「じーっと見てますけど、矢田さん食べたいんですか?」


「いいや、ただ予想よりパンが厚くて驚いていた」


「始めてきた人からしたらそうでしょうね。店主もそれを狙ってあるみたいです。それでいて美味しいので完璧ですね」


 天音さんは厚いトーストをナイフで一口サイズに切って口に運んだ。


「……。うんやっぱり美味しいですね。この味はこの店じゃないと食べれないんですよ。わたし、何度かこの味に挑戦したんですけど全然こうならないんですよ」


「ほう?それほどなのか?」


「はい。食べたくなってきました?」


「また今度来た時に食べるとするさ」


 喫茶・笹山。僕もこの喫茶店の常連になりそうだ。

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