第6話 命たち


 それは紛れもなく、あちら世界で「赤の勇者」だったあのミサキだった。

 女はちょっとバツの悪そうな顔で、茶系で癖のある髪をいじくった。


「すぐにお見舞いに来なくてごめんね。こっちも色々あってさあ」


(生きていたのか──)


 まずは、それが驚きだった。

 確かミサキは、こちらで大量に睡眠薬を飲み、そのために意識不明になってあの異世界へ行ったはず。本人もその時は、てっきり死んだものと思っていたらしい。だが、彼女も実は俺と同様、意識をなくして病院で生きながらえていたというのだ。

 ドラゴンからその話を聞いたガイアは、ギーナと同様、こちら世界に来ることを願い出た。

 意識を失くしていた期間は俺よりも短かったが、ミサキもすぐには退院できず、その後の生活のこともあって、なかなか見舞いに来られなかったらしい。


「そもそもあたし、あんたがどこの『ヒュウガ』だかも知らないし。未成年だと、ニュースに名前って出ないでしょ? それで探すのに苦労してたら、ギーナの方であたしたちを探して、こっちに来てくれたってわけ。今はあたしの部屋で、一緒に住んでんのよ。あ、もちろんガイアは事務所ね」

 見ればギーナも笑って頷いている。

「いや、でもあたしだって苦労したんだよ? だってあたしはずっと、てっきり『ミサキ』ってのは『ヒュウガ』とはちがって、自分だけの名前のほうだって思ってたからさ──」

「ちょっ……ギーナ! 今、その話はいいのよっっ!」


 なぜか突然、ミサキがぎょっとしたようだった。真っ赤になって慌て始める。じたばたと両手を振り回し、今にもギーナの口をふさごうと追いかけ始めた。

 一体なんだというのだろう。ギーナはにやにやと楽しげに笑いつつ、ひょいひょいと素早くミサキの手から身をかわしている。


「え~っ? 別にいいじゃないのさあ。可愛い音じゃん。あたしは好きだよ? 親がつけてくれた大事な名前でしょ? いいじゃないか別に、『キラキラネーム』とか言うやつだって!」

「こっ、こらあああっ! やーめーてーよ──っ!」


 俺は半眼になった。

 ……なるほど。「ミサキ」は苗字の方だったか。だとしたら、「岬」あるいは「御崎」だろうか?

 しかし一体、どんな「キラキラネーム」をつけられているものやら。

 ガイアが笑いをかみ殺しながら「まあまあ、落ち着け」と割って入った。


「しっかし、ずりぃよなあ。こっちでも魔法が使えるなんてよー。でもま、それで俺らも助かったんだけどな」

「そうそう。結局、それであんたらもおアシが稼げるようになったんだからね。このギーナ姐さんに、よーく感謝しなさいってえのよ」

「へーへー。そりゃもう、あねさんにゃあ感謝感激、雨アラレってなもんだわな」


 ガイアがガハハ、と豪快に笑う。

 変な顔になった俺を見て、ミサキがちょっと苦笑した。


「つまりね。あたしたち、三人で会社を始めることにしたの。要するに、なんでも屋みたいなもんなんだけど。まずは人探しとか、ペット探しとか? 場合によってはちょっとした用心棒とかね。まあ、そういうのから始めてみてんの」

「ああ……」


 なるほど。そこでギーナの魔法の出番というわけか。


「女だけじゃあ不安だけど、荒事系はガイアに任せられるでしょ? 本当は<治癒者ヒーラー>も欲しいとこなんだけど、今は贅沢は言ってらんないしね」

「で、大きな声じゃ言えねえが」

 と、急にガイアが声を落とした。

戸籍コセキとかなんとか、そういうめんどくせーことも、姉ちゃんの魔法でちょこちょこ~っとな」

「……そうなのか」


 それは、大丈夫なんだろうか。

 なにやら、かなりの力技を駆使しているようだが。


「まだまだこれからなんだけど、仕事の方もどうにか軌道には乗りそうだし。そのうち、あんたも手伝ってね」

「え?」

「ついでに、お金が貯まったら、あたしたちの結婚式もちゃんとするから。あ、あんたは必ず出席だからね。わかった?」

 びしっと鼻先に指を突き付けられる。

「ってか、友人枠のスピーチはキミで決定だから。覚悟しといてね」

「な……俺がか?」

 矢継ぎ早に何を言ってるんだ、この女。

「あったり前でしょ!」

 ミサキが憤慨して腰に手をあて、仁王立ちになった。

「あんた、もうちょっと自覚もってよね。あっちの世界で、あたしたちのキューピッド役をこなしたっていう自覚をさあ!」

「……いや、ちょっと待て」


 本気で頭痛がしてきた。

 誰がお前らの「キューピッド」だ。いい加減にしろ。未成年をそんなところに上げるつもりか。

 が、怒った風に見せながら、ミサキの顔はもうとっくに林檎のような色に染まっている。気のせいか、それを見ているガイアの目が、ひどく柔らかい光を湛えていた。





「幸せそうだったろ? あいつら」

「ああ。そうだな」


 ギーナと連れ立って街を歩くだけで、すれ違った男のほぼ全員が振り向いていく。その目は明らかに「うお、すげえド派手美人」「隣の野郎はなんだ? まさかカレシってこたあないよな」と言っている。

 そのことに辟易しつつ、意識的に目には入れないようにして俺は歩いた。


「仕事のほうはまあ、これからってとこだけどさ。とりあえず不自由はしてないから。あんたは心配しないで、自分のことに集中してくれていいからね、ヒュウガ」

「ああ……すまない」


 自分がもう働いている大人だったら、彼女にそんな苦労をさせずに済んだだろう。そう思うと、どうしても申し訳なさが先に立った。


「だから、謝んないでって! まったくもう、それがイヤだから言わなかったってのにさあ──」

「そうなのか」

「そうなんだよ。ったく、人の気も知らないでさ」


 そこで一旦、会話は途切れた。

 やがてギーナが、ひょいと俺を下から見上げるようにして覗き込んだ。

「あのさ。退院したら、あんたにちょっと見せたいものがあったんだ。少し歩くけどいい? ヒュウガ」

「え?」

 誘われるまま、駅前の人の多い地域をはずれ、住宅街の方へと歩いて行く。道々、ギーナはそれとなしに話を続けた。

「こっちでミサキたちと仕事しててさあ。それはまあ、どこかの家から逃げ出した猫を探すってやつだったんだけど。そのときに見つけたの。で、『これ、もしかして?』って思ってさ」

 何が言いたいのか、いまひとつピンとこない。が、俺は黙って彼女のあとについていった。


「ああ、あれだ。あそこの建物」


 ギーナが立ち止まって指さしたのは、ファミリータイプのマンションだった。近くに小さな公園があり、週末のことで何組かの家族が子供を遊ばせに来ているのが見える。


「あのマンションにさ、十二歳ぐらいの双子の男の子がいるんだよ」

「……うん」

「で、その隣に、まだ結婚したばっかりの若い夫婦が住んでてさ」

「うん」

「多分、その奥さんはお腹に子供がいる。まだお腹が目立たないから、最近できたばっかりらしくて」

「うん」

 そこまで聞いても、どうもピンとこない。

 ギーナは俺の変な顔を見て、困ったように肩をすくめた。

「まあそりゃ、さ。違うかもしれないよ? でも、『そうだったらいいな』って思っちゃったんだよ。あたしはさ」

「…………」

 

 それでもまだ、俺には彼女が何を言わんとしているのかが分からなかった。

 ギーナはじれったそうに隣から俺を見上げた。


「もう! わかんないかい?」

「……ああ、すまない。意味がよく──」


 と、その時だった。

 マンションの玄関口から、少年が二人現れた。二人とも、近くの進学塾のマークのついたリュックサックを背負っている。これからそこに行くのだろう。少年たちの整った顔立ちはそっくりで、ひと目で双子と分かるものだった。

 俺はその顔を見て、停止した。


(え──)


 おかしい。

 なんだろうか、この違和感。

 そうだ。これが、初めて見た顔だとは思えないのだ。

 だれだろう。その双子は以前に見た、誰かの顔によく似ている。

 それも、こちらの世界でじゃなく──。


(いや、まさか──)


 思わずギーナを見ると、彼女の桃色の瞳がきらきら光って、「その通り」とばかりに瞬いた。


「そっくりだろう? あの、四天王フェイロンにさ──」


 フェイロン。

 いや、しかしフェイロンは、まだあちらの世界にいる。

 だとすれば、それは彼の、百二十年前に喪われた──。

 ギーナが俺に少し顔を寄せ、ふふっと笑った。


「多分、生まれてくるお隣の子は女の子だ。きっとそうだよ。……そんな気がする」

 俺は胸が詰まったような気になって、何も言えずにギーナを見返すしかできなかった。彼女の瞳の色がさらに優しいものになる。

「そりゃ、ほんとにそうかはわかんないよ? でも、そうだったら素敵だと思わない? たとえ十二歳差だったとしても、希望がないわけでもないんだしさ。……ね? ヒュウガ」


 双子の少年たちが、笑って何か言い合いながら、ぱたぱたと早足でこちらへ向かってくる。

 ああ、本当だ。よく似ている。

 涼やかな目元に、引き締まった口元。聡明そのものの目の光。

 そして彼に似ているならば、それは恐らく──。


 と思う間に、少年たちは一瞬で俺たちとすれ違うと、あっという間に角を曲がって見えなくなった。

 俺はぎゅうっと、鳩尾みぞおちのあたりに痛みを覚えた。


 ……会えるだろうか。

 彼女は再び、会えるのか。

 再び、は始まるだろうか──?


 少年たちの消えた方向をじっと見ながら、俺は唇を噛みしめた。

 そしてただただ、それを願った。

 目の奥から、じんわりとこみ上げてくるものを感じながら。


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