第5話 その男女


「よう。お疲れー」

「……やっと来たのか。貴様」

「まあそう言うなって。ちゃんと来たんだからいいだろー?」


 真野が見舞いにきたのは、すでに夏休みも終了し、二学期が始まってすぐのことだった。「学校の宿題とプリント類を渡しにきた」というのが、その言い分である。ちなみに真野は「魔王の種」が戻って来ることによって、すでにあちらの記憶を取り戻している。


「どうせ最初のうちは、リハビリで大変だろ? こっちも遠慮したんじゃん。わかんねえかなあ、オレの繊細な心遣いが」

 真野はそんなことを言いながら、さっさとそこいらにあったパイプ椅子を持ってきて、勝手にベッド脇に座り込んだ。とは言え、微妙に俺の手が届く距離にはいない。

「あ、これ。親からな」と言いながら、手にした小さな菓子折りを有無を言わさずギーナに押し付けるようにする。


「元気そうじゃん。ま、レナたんがいるんだから当然だろうけどさー」

 即座にギーナがムッとした。

「あんたもリョースケも、『レナたん』『レナたん』うるさいよ。いい加減にしな。あたしには、ギーナってれっきとした名前があるんだからね!」

 が、真野は意にも介さない。わざとらしいふくれっ面を作ってベッドに肘をつき、俺を上目遣いに見上げて、足をぶらぶらさせる。

「なんかお前、回復もめちゃめちゃ早いんだって? いいな、いいなー。こーんな美人に看病してもらっちゃってさあ。オレなんてレナたんの魔法がないぶん、めっちゃリハビリ大変だったんだぜ? めちゃくちゃ頑張ったっつーの!」

「……燃やされたいのかい。クソガキ」


 見ればギーナが、胸元から例の煙管を取り出している。その先に、ぽっと小さな炎が現れた。

 目が完全に据わっている。

「やめろ、ギーナ。病院は基本、火気厳禁だ」

 いやそもそも、病室での煙草はまずい。

「はあ? ヒュウガ、こいつに甘すぎないかい? わかってんの? こいつはあのマノンなんだよ? あたしらがこいつにどんな目に遭わされたか、忘れたわけじゃないだろう?」

「いや、それはもちろんだが」

「ちょっとぐらいお灸を据えたって、バチは当たらないんじゃないのかねえ」

 そう言う間にも、煙管の先の炎がボボボボ、と不穏な音を立てて燃え上がる。

「火がダメってんなら、氷漬けって手もあるんだけど?」

 満面の笑顔なのに、その目が明らかに笑っていない。

 俺は頭を抱えたくなった。

「いいから、やめろ」


 真野はそんな俺たちをにやにやと変な目で見て笑っている。

「ま、なんでもいいけどさ。さっさと治して戻って来いよな」

「え?」

「だってさあ。ビミョーなんだよ」

 言いながら、真野は視線をひょいと左上のほうへ向けた。

「知ってるだろ? あいつら、退学や停学食らってさあ。まっ、今んとこ、目立ったちょっかいは掛けてきてないけどさ」

「そうか」

 それは良かった。

「でも、ほとぼりが冷めたらわかんないだろ? ああいう奴らって、基本バカでしつこいし。それに再開した場合、余計にエスカレートしがちじゃん? そうなったら、あれだしさあ」

「…………」


 なんだそれは。

 まさかとは思うがこの野郎、俺を用心棒に使う気か。

 俺はさすがに呆れかえり、半眼になって真野を睨んだ。ギーナも「処置なし」という顔で肩をすくめる。というか、今にも真野を氷漬けにしそうな顔だ。

 

「だーから。責任、取れっての。その代わり、勉強の面倒は見てやっから」

「え?」

「まかせろっての。これでも結構、成績はいいんだかんな」

「いや、真野──」


 が、彼は俺が訊き返す隙を与えなかった。顔を背けて立ち上がり、さっさと廊下側に向かっている。


「だから、早く戻って来いよな。待ってるから。……そんで」


 それは、向こうむきで、ほとんど聞き取れないような声だった。

 でもあいつは、最後に確かにこう言った。


──『そんで……色々、悪かったな』。


 そのまま、あとも見ないで部屋を出て行く。

 俺とギーナはしばらくぽかんと見送った。それから、互いに目を見合わせた。


「……ぷ」

「くく……」


 どちらからともなく笑い出す。


「まったく。あいつも、相当素直じゃないねえ──」

「……そうだな」


 夏の終わりの午後の病室。

 カーテンを通して入る陽射しが、ぼんやりと周囲を照らしていた。





 結局、そこから退院まで二週間ばかりかかった。

 どうにか中間テストまでには戻れそうだ。幸い、勉強については孝信と真野が相当に手を貸してくれて、さほど遅れずに済んでいる。これなら比較的スムーズに高校生活を始められそうだった。

 俺はすでに、医者が驚嘆するほどの速さで回復している。体力も、普通に生活する分には問題ない程度まで戻っていた。もちろん合気道の稽古を本気で行うところまでではないが、それもなるべく早いうちに再開するつもりでいる。


「おう。久しぶり」


 背後から野太い男の声がしたのは、退院後の、とある週末のことだった。俺はギーナに誘われて、久しぶりに街へ出たのだ。

 振り向いて、呆気にとられた。

 太い片手を上げてにかりと笑い、傲然と立っている巨躯の男。

 忘れもしない。それは、異世界で知り合ったあの男だった。


「ガイア……なのか? 本当に?」

「おうよ。忘れられてなくて良かったぜ~」


 にかにか笑うその顔も赤い短髪も、鼻の頭の真一文字の刀傷もあの時のまま。ただし、服装は随分違った。黒いTシャツに、ジーンズと革ジャン。そこに、ごついミリタリーブーツを履いている。まさにこちらの世界の出で立ちだ。

 厚い胸板といい筋肉の盛り上がった太い腕といい、ちょっと見ると、アメリカ映画などに出てくる海兵隊員のようなイメージだ。

 やがてその後ろから、小さな声で「あのう」などと言いながらこそこそと出て来た小柄な女。


(え……?)


 グレーのスーツ姿のその女を見て、俺は目をみはった。


「ミサキ……なのか?」

「う、うん。久しぶり、ヒュウガ」


 そうだった。

 それは紛れもなく、あちら世界で「赤の勇者」だった、あのミサキだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る