第15話 最期

 魔撃は、呆気なくキリアカイたちの姿を飲み込んだ。

 周囲の人々は、そこで爆発した魔撃に巻き込まれないよう、自分のシールドを分厚くするだけで精一杯だった。

 じゅうじゅうと地面が焼け焦げ、岩石が溶け落ち、土や草や何かの生き物が焦げたようなきなくさい臭いが充満する。


 やがて周囲の蒸気や埃がやっと薄らいだ時、そこにはもう、地面が抉られ、隕石が落下した跡のような巨大な穴があいているばかりだった。それは、直径が数キロにも及ぶかと思われるほどの大穴だった。

 キリアカイと騎獣の姿はどこにもない。

 彼女たちの体はあっという間に分子や原子のレベルにまで破壊され、霧散し、蒸発してしまったのだろう。

 俺は<青藍>のつかを握りしめた。


(なんてことを──)


 まわりを囲んだ四天王の面々が、それぞれの面持ちでそちらを見ている。ゾルカンは騎獣の上で、眉間に皺を立てて傲然と腕組みをしている。ヒエンも似たような感じだ。ルーハン卿は表情をほとんど変えずに成り行きを見守る様子。

 この三名は、基本的にはキリアカイに対して過度な憐憫は抱いていないように見えた。それは当然のことだったろう。

 ただ、フェイロンだけはそうは行かないようだった。彼は自分の騎獣の上で、周囲の将兵の士気を気遣って必死に隠そうとはしていたものの、明らかに悄然と肩を落としていた。

 無理もない。あれでも彼女は、かつては彼の兄たる人の、最愛の妻だったのだから。

 そして、俺は。


(キリアカイ……)


 いくら、あんな女でも。

 百年以上も冷血そのものの圧政を敷き、人々から血税を吸いまくった、愚かしい女帝だったのだとしても。

 それでも、こんな最期はあんまりだろう。

 あんな酷いやりかたで夫と子を奪われて、恐らくは半ば狂気に陥り、自暴自棄になったのであろう、孤独な女帝。北東の四天王、キリアカイ。

 それを、こんなにも呆気なく──。


(許さん……!)


 ぐらぐらと腹の底に燃えたつものを抑えきれず、俺はぎりっとマリアの方に振り向いた。

 再び<青藍>を構え直す。


「マリアッ……!」


 が、俺と同様、<空中浮遊レビテーション>で飛んできたギーナが俺の前に立ちふさがった。


「やめて! ダメだよっ、ヒュウガ……!」

「どいてくれ。あいつをこのままにはしておけん……!」

「ダメだったらっ……!」


 もはや彼女は、ここが地上から数十メートルも上だということなど眼中にないらしい。自身の高所恐怖症などすっかり忘れ、無我夢中で、俺の襟元にむしゃぶりついてくる。


「キリアカイがあいつを殺すんなら、まだよかった。他の四天王でも、ヴァルーシャ軍の奴らでも構わないだろうさ。でも、ヒュウガはダメだ。あんたはあいつを殺しちゃダメだよ……!」

「なぜだ? 俺は──」


 キリアカイが家族を殺された恨みに染まっていたことは事実だ。だが、俺にだってそれに近い感情がないわけじゃない。

 あいつは、マリアは、真野と対峙したあの時にライラやレティ、そしてギーナを瀕死の状態に追いやった。いや実際、ライラとレティは一度は死んだ。もしも俺が魔王になることをうけがわなければ、あのまま本当に死ぬに任されたのは間違いない。

 そしてあの女は結局、彼女たちの命を盾に、俺を魔王に仕立て上げた。

 それも、自分個人の恨みつらみを俺にぶつけたいがため。

 ただただ、それだけのためにだ。

 俺はギリギリと奥歯を軋らせた。


「俺だって、聖人君子なわけじゃない。傷つけられれば、人並みに恨みだって持つ。復讐したいときだってある──」


 自分が、いつになく激昂している自覚はあった。

 あったが、どうしても言葉を止められなかった。愛刀<青藍>を握る拳の力を、どうしても抜くことができなかった。

 物心がついて以来、自分の気持ちをここまで封じにくい感覚に陥ったのは初めてかもしれなかった。

 少し離れたところにいるマルコの姿をした真野が、そんな俺をじっと見つめている。目も眩みそうな怒りの中にあっても、俺はどこかでその視線を感じていた。それは不思議な感覚だった。とは言えあの真野が、この局面で何を思っているかなど分かりようもなかったけれども。

 俺は目の前のギーナの瞳を見つめ、絞り出すように言った。


「一矢報いたいと思うのは当然だろう。あいつは、ギーナやライラ、レティをあんな目に遭わせた奴だぞ。今ここでやらなければ、あいつはこれからもまた延々と、この世界のみんなにあだなし続ける。それは、それだけは防がねばならん。絶対にだ……!」

「落ち着きなよ!」

 

 ばちんと音をたてて、ギーナが叩くようにして俺の頬を両のてのひらで挟みこんだ。


「確かに、そうかも知れない。あんたが恨みを持つのは分かるさ。あたしだって、あいつのことなんか大嫌いなんだからね……!」

 目の前に、怒りに燃えたギーナの桃色の瞳がある。

「でも、ヒュウガがそれをする必要はない。あいつに恨みを持ってるのは、こっちの世界の人間だ。それはヒュウガよりも、もっともっと強くて深い気持ちだよ。そうだろう? 復讐するのは、そういう人たちのほうが適役だ。ちがうかい?」

「…………」

「あいつは何百年も、この世界のみんなをだまくらかして来た。嘘っぱちの『創世神』なんて信仰をつくりあげ、だれかれなしに無理やりに、あんたら『勇者』の『奴隷』にさせてさ。ひどい目に遭って来た女の子、男の子……たくさんいる。何百人、いや、もしかしたら何千人もだ。そのことは、あんただって知ってるだろう?」


 ギーナの両手が、俺の胸もとのマントを掴んでいる。その手が、細かく震えていた。俺の脳裏に、あの「緑の勇者」に好き放題にされていた少女たちの顔がよみがえった。

 自分の意思を封じられ、正気であれば決して許すはずのない行為を強要されていた小さな少女たち。本人と、その家族の怒りや悲しみ、無力感はいかばかりだったことか。

 不思議なことに、あの少女たちのことを思いだすと、煮えくり返っていたはらわたが、ゆるゆると温度を下げ始めた。


「…………」


 俺は一度、目を閉じた。そうしてゆっくりと息を吐いた。

 持ち上げていた<青藍>の切っ先を静かに下へおろす。

 ギーナが少しほっとしたように、手から力を抜いた。


「……気持ちはわかるよ。よくわかる。だけど……それでもヒュウガは、あいつを殺しちゃダメだ。ドラゴンたちが言ったろう? あんたはあいつの、『最後の砦』になるんだから!」

「最後の、砦……?」


 やっぱり、いまひとつ意味が分からない。

 俺の顔色からそれを読み取ったのだろう。脇で会話を聞いていたガイアたち、それにフレイヤやサンドラ、果てはライラやレティまでが、完全に「処置なし」といった顔になったようだった。


(だから、一体なんなんだ……?)


 変な顔になって目を瞬いた俺から目をそらし、ギーナは何故かまた赤面して、少し咳払いをした。


「とっ……とにかく! そのあんたが、あのマリアを殺しちゃダメだ。それじゃ、すべての前提が崩れちまう。全部がもとに戻っちまう! ……ここは、みんなに任せた方がいい」

「…………」

「頼むよ、ヒュウガ。一生のお願いだ……!」


 ギーナは顔を歪め、掴んだ俺の胸倉にそのまま顔をうずめた。


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