第9話 窮地


 今や、上空に踏みとどまったユウジン側は、全部で騎獣数匹からなる十数名になっている。あとの者はみな撃ち落とされ、騎獣も逃げ散っていた。

 巫女は不気味なまでの美しい笑みを崩さないまま、片手を上げて言い放った。


《観念なさってくださいませ。でなければ、キリアカイ様。今からでも、ユウジン様を亡き者にして、こちらリュウカイ様と合流なさいませ》

《なんですって──》

《そうなされば、残った方の命ばかりはお助けいたしましょう。リュウカイ様とて、今後のお国の運営上、担ぐべき神輿みこしがなければお困りのことでしょうし》


 女の隣にいるリュウカイ「左様、左様」とばかりにしたり顔でうなずいている。

 キリアカイの胸の炎が燃え上がった。


《な……にを、勝手なことを言ってるの……!》


 押しとどめようとするユウジンの手を押し戻し、前に出て叫ぶ。


「ふざけないでッ! 大事な大事なハオランを……こんな目に遭わせておいて! わたくしから奪っておいて! いまさら、だれがお前なんかの言う事を聞くと思うの!? バカも休み休み言うがいいわ……!」

「待て、キリアカ──」

「あなたは黙っていて! わたくしはどうしても、どうしてもッ……あいつらだけは許せませんっ……!」

 すでに固く冷たくなり、ぴくりとも動かなくなった我が子を胸にひしと抱いて、キリアカイはぼろぼろと涙をこぼしながら言い募った。

「あいつらの言いなりになどなりません。決して、決してなるものですか! わたくしは、ユウジン様の妻でございます。そして、ハオランの母ですわ。わたくしがこの土壇場で、こんなことをされてまで、あなた様を裏切るような女だとお思いになって?」

「……いや」


 ユウジンは苦しげな表情ながら、はっきりと首を横にふってくれた。

 創世神の巫女は、しばらく黙ってそんなこちらの様子を少し観察するようだった。そうしてすっと目を細め、傍らのリュウカイとあちらで何事かを話し合ったらしい。それから、すぐに元どおりの笑顔をこちらに向けた。


《……そうですか。でしたら、仕方がありませんわね》


 途端、空から降る光弾の攻撃は激しさを増した。

 兵の一人がユウジンに向かって叫んだ。


《閣下、いけません! このままでは全滅です!》

 魔撃が魔力障壁にぶちあたるたび、凄まじい音が炸裂する。こんな中では圧倒的に<念話>を使用するのが有利だ。

《皆で、地上に戻って防戦しましょう。その方が、まだ凌ぎやすいはずにございます!》

《わかった。が、お前は援軍を呼びに、一度城に戻ってくれ》

《えっ?》

《城にはハオユウがいる。<念話>で連絡し、すぐに準備をさせてくれ》

《は……。し、しかし──》


 兵士が驚いてこちらを見返した。

 すでに生き残った兵らは少ない。皆を残して一人ここから去ることに、後ろ髪をひかれたのだろう。


《いえ、自分も閣下とご一緒に──》

《多勢に無勢だ。こちらの魔力も無尽蔵にあるわけではない。持ちこたえられる時間もさほど長くはないだろう。その間に、城から援軍を連れてきてほしい》


 連絡そのものは<念話>を飛ばすことで可能だが、道案内をする者は必要だ。この男には、その援軍を案内してきて欲しい。ユウジンはそんなことを淡々と彼に説明してやった。

 やがて遂に、兵はしぶしぶ頷いた。


《……わかりました。どうか閣下、必ずご無事で》

《ああ。気を付けてな》


 兵士はユウジンにきりりと一礼すると、素早くその場を離れていった。

 結局、その兵士は戻らなかった。途中、それを見越して置かれていた敵方の伏兵に屠られたのだろうと思われる。

 あとで聞いたところによると、兵士は城に戻ることも叶わなかった。残っていたハオユウはすでに城内で援軍の準備を終えていたのだったが、そこも突如として現れたオーガどもの攻撃に遭い、総崩れになったのだという。

 義弟ハオユウは重傷を負い、そのまま騎獣に乗って逃げたらしい。その後の行方はずっとこれまで、ようとして知れなかった。



 地上で待ち構えているオーガどもを魔撃で蹴散らし、皆で守りあいながら地面に降り立った一同は、周囲を幾重にも魔法障壁で固め、オーガどもの襲来を防いだ。しばらくはそれだけで事足りた。足もとが固まったぶん、消費する魔力を軽減できたのである。

 しかし、巫女はもちろん、彼らをそのままにしてはくれなかった。

 彼女の手による、上空から振る光弾の威力がさらに増し、周囲のオーガもろともに弾き飛ばし、焼き殺し、粉砕していく。そこには一抹の容赦もなかった。

 障壁の外で、太くて毛むくじゃらの首や腕や足が切り飛ばされ、獣の集団による叫喚地獄が展開される。目も耳も覆いたくなるような惨状だった。


 ユウジン側の魔導師の魔力は、音を立てるようにして削られていく。体力と同様、ある程度回復させる時間を置かなければ、魔力も消耗するのだ。これほど強い魔力をずっと放出し続けていたのでは、早晩、尽きるのは目に見えていた。

 ユウジンは魔力と武力を併せ持つ<狂戦士バーサーカー>だ。キリアカイは本来であれば<魔導師ネクロマンサー>にあたるけれども、持ち合わせた魔力はごく貧弱なもの。術の練度もおぼつかない。

 しかも今は、子供の亡骸を胸に抱えた姿だ。まったく、なすすべもない。


「ぐわ! あ、ああああ──っ!」


 ひとりの魔導師が、遂に最後の魔力が尽きて悲鳴をあげた。障壁が一瞬消えた隙を衝かれ、すぐ脇からオーガが一匹入りこんだのだ。太い腕で外に引きずり出され、あっという間に姿が消える。隣にいた魔導師が、即座にその部分に魔力の蓋をしなおす。

 壁を通して、すぐさま、ばきばき、ぐちゃぐちゃと恐るべき音が聞こえ始めた。オーガどもが待ちわびた獲物をようやく手に入れ、早速その食欲を満たしているのだ。

 キリアカイはわずかに障壁への魔力供給を手伝いつつも、我が子を抱きしめてうずくまっているしかできない。


 そんな風にして、ひとり、またひとりとユウジン側の兵や魔道師が奪われて行く。

 断末魔。血しぶき。

 切り裂かれる四肢。飛び散る脳漿。

 引きちぎられた人の内臓。


 ……まさに、地獄。

 地獄と言うほかはない状況だった。

 

 そこからいったい、どれほどの時間が流れただろう。

 気が付けばもう、障壁の内側に残ったのはキリアカイと、得物である幅広のつるぎを手にして、肩で大きく息をしているユウジンだけになっていた。



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