第七章 混沌

第1話 少女キリアカイ


 キリアカイの話は、ごく訥々としたものだった。

 乱れきった感情のまま語るため、話はしばしば前後したし、整合性のおかしなところもあちこちにあるようだった。

 ともかくも、それをまとめると、大体こんなことだった。



 百二十年前。

 様々な顛末の果て、北東の四天王となったユウジンがキリアカイを正妻にと所望してから数か月、キリアカイは自室にこもってほとんど外に出なかった。

 ユウジンは、それでも折々に季節の花や贈り物を手にして彼女の部屋を訪れたのだったが、彼女は頑として彼を受け入れなかった。つまり、基本的には門前払いに近かった。

 当然である。直接手を下したわけではなくとも、彼はまぎれもなく、彼女の親や家族、親族の仇の身内だったのだから。


《第一、あたくしには分からなかった。なぜあの方が、あたくしなんかを妻にと所望されたのか──》


 当時、まだ小娘と言っていいほどの年齢だったキリアカイは、自分がそれなりに美しい娘であることは自覚していた。が、その反面、城にいる多くの女官や父の側女たちを見ていれば、自分のそれが別段「非常な美貌」と言うほどのものでないこともわかっていた。

 心映えのほうもそうだ。娘に非常に甘かった父親や母親、そのほか身の回りの世話をしてくれる女官たちに存分に甘やかされて育った彼女は、今思えば相当に甘ったれの、ただのわがまま娘だったに違いない。

 だから。

 キリアカイは当時、ユウジンが自分のどこを気に入ったのかが分からなかった。


 もっとおかしいことは、ほかにもある。

 もとの立場がどうであれ、キリアカイはほとんど力づくで手に入れたも同然の「正妻」なのだ。本来であれば誰をはばかることもなく、手籠めにでもなんでもすればいいところである。実際、これまでの魔族の国では敗将の娘など、ただの戦利品として散々に嬲られ、殺されるばかりの運命だったのだから。

 それが単純に「戦利品」として、だれに汚されることもなく一人の男に下賜された。ただそれだけのことではないか。

 なのに、なぜあの男は自分を普通に、まるで正当な妻であるかのように扱おうとするのだろう。

 それがキリアカイには謎だった。いや、むしろ不気味に思えたほどだった。


 何日たっても、何か月たっても、ユウジンの丁寧で腰の低い態度は変わらなかった。部屋を訪ねた際、どんなにキリアカイに手ひどくはねつけられても、暴言を浴びせられても、彼はただその美麗な面差しを涼やかに微笑ませるだけで、少しも不快そうな顔は見せなかった。

 そしてそれは別に、キリアカイの前だけの演技ということでもないらしかった。なぜならキリアカイ付きの侍女たちが、毎日さまざまに彼女の耳に彼の噂話を聞かせてくれたからである。

 ちなみにこの侍女たちも、あの事件の折にその命を救われ、そのままキリアカイ付きにされた者たちだった。


『ユウジン様は、まことにお優しい殿方でいらっしゃいます』

『昨日も、年嵩の者にいじめられた下働きの少年が井戸端で泣いていたのを、こっそりとお慰めになっていらしたのだとか』

『お姿がお美しいばかりではないのですね。あの方はお心もそれに負けない清らかさ、下々に対する憐れみをお持ちでいらっしゃるようで』

『聞くところによると、南東のバクリョウ閣下の庇護をお受けになられるまで、弟君おとうとぎみのハオユウ様と大変なご苦労をなさったのだとか』

『ああ、だから取るに足らない者にまで、あんな風に優しいお心遣いをくださるのね』

『お嬢様の旦那様になられた方は、まことに素晴らしい殿方でいらっしゃいますわ』

『わたくしたちが申すのですから、間違いありません。ああ、本当にうらやましい』──。


 耳元でさんざめく侍女たちの楽しげな語らいを、少女キリアカイはずっと変な気持ちで聞いていた。

 そうなると、ますますわけが分からなくなった。

 そんな素晴らしい殿方が、どうして自分なんかを妻にとお望みになったのか。


(別に、わたくしじゃなくてもよかったんじゃないの。誰でも好きな女を迎えて、他にもいくらでも側女を置いて……好きにすればよかったのに。お父様だって、そうしておられたのだから)


 彼は四天王なのだ。女など、どうせり取り見取りではないか。ましてや、あの見た目にあの気性。そもそも、言い寄られて袖にする女などいるわけがない。

 だから彼が部屋にやってきて、いつもの笑顔を向けられても、キリアカイは素直に喜ぶ気持ちにはなれなかった。


(ふん! どうせ城内のだれにでも、その笑顔を向けるくせに)


 そう思ったらムカムカして、何故かひどく気持ちが塞いだ。周囲の侍女たちに当たり散らして、手当たり次第に勉強用の巻物を引き裂いてみたり、茶器を床に叩きつけて壊してみたり。そうせずにはいられなかった。

 どうしてこんなにイライラするのか、分からなかった。

 キリアカイが自分からその理由に気付くには、彼女の心はまだあまりにも幼かった。

 そしてそのたび、ユウジンに酷い言葉やら手元にあった物やらを投げつけて「出て行ってくださいませ!」と金切り声で叫んだりした。


 それでも、ユウジンは決して怒らなかった。

 一度など、手元が狂って、投げた茶器のひとつが彼の額に当たり、怪我をさせてしまったことすらあるというのに。

 周囲の人々が真っ青になって「いけません、すぐに手当てを」とか「どうか姫様をお許しください」「どうかどうか、お命ばかりは」と慌てふためき、涙ながらに床に頭をこすりつけるのを片手で制し、彼は「大事ない。気にするな」と、ちょっと笑っただけだった。

 そして「本日はご気分が優れなくていらっしゃるようですね」とひと言残し、すっとその場を立ち去った。


 その後も、なんのお咎めもありはしなかった。

 キリアカイはとっくの昔に、すぐにも首切り役人がやってきて、自分を公開処刑台にでも引きずっていくものと覚悟を決めていたというのにだ。

 だが、何日経っても、なんの命令も下りはしなかった。ただ、ユウジン自身もキリアカイの私室を訪問おとなうことはなかったけれども。


(どういうことなの──)


 それで余計に、不安になった。

 「何が」と問われると、難しい。

 でも、今なら分かるのだ。


 キリアカイは、恐れていた。

 なんだかんだと言いながら、ユウジンが本当に、心の底から自分を嫌ってしまうことを。「もうあんな女はどうでもいいか」と、自分に関心を持たなくなることをだ。

 だからあの日、キリアカイははじめて自分からユウジンの執務室を訪れたのである。

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